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みーちゃん

人生スゴロク

2018.02.01 08:27

やっていることが変わっていっても、

自分の中で変わらぬものがあって。

それは、自分を広げること、だと思う。

自分を壊す、と、近いかもしれない。


小学5年生から大学生くらいまで、

油絵を描いていた。

なにが好きかと言えば…


まっ白なキャンバスに、

思いつきで「ここだ!」と筆を入れ、

どうなるかわからないものを描き出す瞬間。


なにかを見つめ続け、

発見し続けることの喜び。


絵ができあがってきたら、

その整ってきたバランスを打ち壊すひと筆を入れて、

またあたらしく描きはじめ、

繰り返しはじめられるところ、だった。


ずっと重ね塗りできるので、

終わりはあるようでない気がした。


30になる前、

大転機の引越しの時に、

この油絵の道具も含め、

捨てれるだけのものをぜんぶ捨てたので、

もう手元には何もないけれど。

そのときの記憶だけが、今も残っている。

記憶とは、摩訶不思議なもの。


うれしいとか、たのしいの中でも、

瞬間的に通り過ぎていくものだけじゃなく、

「生きててよかった」という、

深い喜びに通じるときがあって。

そこにはいつも、

同じものがある気がする。


道端や畑で、ちいさな命に出会ったとき。

こころを開いて、愛を流し合えたとき。

違和感を越えて、なにかや誰かをより好きになれたとき。


自分という枠組みが壊れて、

内から何かが、

弾けるように、湧き出すように生まれてくる。

愛ってこれかな?って思う。


そしていちばん落ち込むときは、

自分がそういうものと、

かけ離れてしまったとき。

後悔しないよう、

自分に正直に生きているわたしにとって、

人生で激しく後悔したときは、

そういうとき。

自分が好きじゃなくなったとき、

途端に道がわかりづらくなる。


「どうして人は、死ぬってわかっているのに生きるのか」

「地球にも終わりはくるのに、なぜ子孫を残すのか」

問いを投げかけられて、

わたしの中にポチャリと落ちたその小石は、

意識下でぐるぐると回転しながら、

意識の奥へと落ちていった。


わたしという一人の人としても、

人類という不思議な種族としても、

魂の成長を繰り返して、

素粒子に戻るように、

なくなっていくこと。

そんなことを、

目指してる気がする。


なくなるためには、

執着がなくならないと、

なくなれない。


なにかを深く愛するとき、

はじめて自分を壊すことができ、

自分という執着から解放される。

かといって、

その対象へあらたな執着を生むと、

また網にとらわれてしまう。


死を越えてなお残された心残りは、

ちょっぴり賢くなったあたらしい命とともにやって来て、

なくなることを目指す。

執着がなくなるまで人類は続く。

命のバトンと言うよりは、

魂のバトンなのかもしれない。


たくさん愛して、

自分というものを壊し続けて、

もっているエネルギーを愛として燃やし切った暁に、

やっと人生スゴロクをあがれる気がしている。


そういえば偶然、

インド占星術をしてもらえる機会があって、

「すごく古い魂で、今世が最後ですよ」と、しょっぱなに言われた。

たいした苦労もしてないし、

今はなんの問題もなくハッピーな人生なのに、

「やっと終われる!」という、

喜びがいちばんに湧き出た。

そんな自分が不思議だったけど、

スゴロクあがれる!って、

すぐに感じたのかもしれない。


燃やし切れたら、あがれるのかも。

嘘もほんとも、わたし次第。


いつかはなくなっていく、

バラの鉢植えを買ったことも、

なんだかわかる気がした。

ぴんくのミニバラ、かわいいよ!