朗読台本/私の穴。(不問1人)
〇作品概要説明
1人用朗読台本。ト書き含めて約3000字。欠落を抱えた人間が、欠落を埋める殺人鬼になるまで。
〇登場人物
私:設定上女だが、改変可能。
〇ご利用前に注意事項の確認をよろしくお願いいたします。
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作者:七枝
本文
いつのころからか、頭の中に、ぽかりと空いた穴があった。
それは、人ひとりくらいは簡単に飲み込むような深さで、ざらざらとした土壁でできているようだった。
すぐ近くで佇むと、奥からひゅうひゅうと風の音がきこえる。
……もしかしたらどこかで横穴がつうじているのかもしれない。
私は、現実世界では、まるで普通の人間のように、友人と遊んだり、同僚と仕事に励んだり、恋人と夕食をついばんでいたりしたが、実のところずっと、この脳内の、私しかしらない穴の存在に夢中だった。
友人と笑いあっている間も、取引相手に頭を下げている間も、恋人と愛をかわしあっている間も、私には誰にもみえない、私だけの穴がぽっかり頭の中に空いていて、その淵にたたずんで、穴の向こうの暗闇に目をこらしていた。
そうしていると、友人と心の底から笑いあえない後ろめたさや、仕事に熱中できない冷めた思考や、恋人を鬱陶しいと思ういらだちが、すぅっと消えて穴の向こうへ落ちていく。
ひゅうひゅうと聞こえる風のささやきが、まるで愛しい人の寝息のように心のささくれを癒していく。
穴は私の支えであり、指針だった。
穴が飲み込む限り、私は私の日常を、つつがなくこなしていくことができた。
そして、いつか穴がわたしをのみこみ。
土くれと還る日がくるのだと、そう信じていた。
ある日のことだった。
その日は珍しく仕事がたてこみ、残業を余儀なくされた。
就業時間もすぎ、広いオフィスの中に私ひとりになったその時、ふいに同僚の1人が戻ってきた。
「どうしましたか?なにか忘れ物でも?」
「いや、そういうわけでもないんだけどさ」
背を丸めてへらへら笑うその男は、何か言いたそうな仕草をするが、もごもごと要領をえない。
同僚とは、さして親しい間柄でもなかったし、たかだか同じ部署にいるというだけの人間に必要以上の愛嬌をふりまく必要も感じなかったので、「そうですか」と会話を打ち切ると自分のデスクに向かった。
……はずだったのだが、唐突に肩をつかまれ、無理やり男の眼前に立たされた。
「ちょっとまてよ」
「は」
「あのさぁ、俺、あんたをみてたの気づいてたよな?なんで無視するんだよ」
「なにを」
「あんたはいつもそうやって澄ました顔してるけどなぁ、他部署で評判の悪いあんたをかばってやってるのは俺なんだよ?一言ぐらいお礼とかさぁ」
私が何度男の存在を無視したか、それがどれほど罪ぶかいことか、これまでいかに尽くしてきたか。
べらべらべらと男はまくし立てる。ぬらりと男の目が気味の悪い輝きを放つ。
「ああ、なんてやつなんだ、俺がこんなにお前を思って行動してるのにどうせその1ミリもあんたには伝わってない。そうだ、お前はそうやってまた無視するんだ。そうだそうなんだろう。どうせこれもいつもの繰り返しだ。あんたは俺の気も知らずに他のやつといるとつもりだ。俺のことなんてなんとも思ってない。それがどんなにつみぶかいかわかってないんだ」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください」
「このあいだもそうだ。俺がどんな想いであいつらにいってやったと思うんだ。あんたはそれを感謝して俺に尽くし俺の傍にいるべきなんだ。なのにお前は俺を無視する。母さんといっしょだあんたの目におれはうつってないあのひとたちといっしょだどうせあんたも」
私の肩をつかむ手は、どんどんと強くなっていく。
もはや狂乱といっていいあり様で、到底声も届きそうにもない。
「もうっやめてください」
私は激しい混乱のまま、男を突き飛ばした。
「……やっぱり」
「え」
「やっぱりおまえもおれをみない!」
その時の男の目を、なんて言えばいいのだろうか。
私の知らない感情で満たされた、その瞳。
男は、雄叫びをあげ、猛然と襲いかかってくる。
それを見ながら、どこか私は冷静だった。
――ああ。この人の穴の中には、何が詰まっているのだろう。
…………もみ合いの末、男が死に、私が生き残ったのは体力の差と、運だったと思う。
ストレスか性質の悪い妄想のせいか知らないが、どうやら男は最初から弱っていたようだったし、小柄な体格だった。
襲われたのは職場だった為、台車も、大型の段ボールもある。
少々苦労はしたが、その日のうちに「処理」を終えることが出来た。
私は幸運だ。初めての殺人をこんなにスムーズに行うことができるなんて。
あるいは、公になっていないだけで、世の中にこんなことはありふれてるものなのか。
翌朝、職場で男の無断欠勤を聞いた時も、その後失踪したと知らされた時も、私は誰からも疑われず、平穏のまま日々を過ごした。
どうやら、人は存外簡単に殺せるらしい。
私は自信をつけた。これならやれると思った。
男との一件で、確かめたいことができたのだ。
私の頭の中にある穴。ぽかりと大口を開けた穴。私を支え、感情を吸い取り、虚ろにするその穴。
この穴は他の誰にでもあるものではないのか?
私だけがこんなに虚ろな人間なのか?
男の瞳につまった、あの感情はなんだったのだろう。
その疑問が、こびりついてはなれなかった。
あの感情を知りたかった。言葉ではない。実感として手に取るように理解したかった。
そしてまた、私と同じように穴のある人間と語り合いたかった。
だが、どうすればいいのかわからなかった。まさか聞いて回るわけにもいくまい。
考えに考えを重ね、ある一つの結論に至った。
――わからないのなら、前例に倣えばいい。
男のように、衰弱死寸前のところまで追い込むか、肉体的な危険にさらせば、大方の人間の外側は剥がれ落ち、【穴】か、【その中身】はでてくるはずだ。
【中身】があれば、私と違う人間で、何もなければ私と同じく【穴】があるのだろう。
結論が出れば、あとは簡単なことだった。
私はファミリー向けのコンパクトカーと大きなトランクを購入し、都心から2時間半離れた山小屋を借りて、「準備」を始めた。
まず、おおよそ人が入ってこないような場所をさがす。
そして、大きな穴を掘り、水などがたまらないよう、ベニヤ板で蓋をつくる。
山小屋の中に防音対策を施し、汚れてもいいよう、ビニールシートをしきつめる。
それから一旦、家へ戻り、恋人にアウトドアを始めたと話をする……
仕事終わりや、休日の空いた時間に、少しずつ少しずつ「準備」を進めていった。
まるで、祭りの前のような高揚感。
自分が罪をおかしているという自覚はあった。
だが、それに対する罪悪感はまったく浮かんでこなかった。
それどころか、今までなぜこんな簡単なことを試してみなかったのだろうと疑問に思うほどだった。
私がもっている穴。ずっと前から、誰にでもあると思っていたソレ。
どうやらそうではないらしいと、気づかせてくれた男には礼を言わなくてならないだろう。
私は、男の埋めたその場所に、花の種を植えてやった。
無意味に腐るよりかは男も喜ぶはずだと思った。
最初の「問いかけ」は、幼馴染から始めた。
誘いこみやすくて付き合いの薄い、疑われにくい人間、というのも選定理由のひとつだが、一番は対照実験のためだ。
複数いる友人の中で、特に私と似た性質の子を選んだ。
友人が多く、けちのつけようのない恋人がいて、私生活も仕事も充実しているようにみえる、人当たりのよく順風満帆で、いっそ八方美人といえるほどの子を。
連絡をして、久しぶりに故郷の山でアウトドアを楽しもうと誘うと、彼女はなんの疑いもなく私の元へやってきた。
「最近はじめた趣味ってアウトドアのこと?いっがい~」
「なにそれ?どーいう意味?」
クールビューティーなんて言われてるくせにさ、と憎まれ口をたたく彼女と笑いあう。
夏の日差しの下に、彼女の黒髪がキラキラと輝いていた。
キャンプ用の重い鞄をめいめい背負い、用意しておいたバーべーキューグッズを披露したり、野外での食事のすばらしさをもっともらしく語って見せたりする。
きっと、彼女は今から殺されるなどと夢にも思ってもいないのだろう。
…………そうして、事後、私は彼女の指をバーベキューコンロでやいている。
彼女は我慢強く、なかなか素の自分をさらけだそうとしなかった。
だから、私は四肢をもぎ、腹を切り開いて、その中にあった命を引きずり出すしかなかった。
恐怖と痛みで、自慢の黒い瞳が、限界まで見開いている。
その瞳を見ながら、来年結婚するのだと、嬉しそうに語ってくれた彼女の笑顔を思い出す。
「かわいそうに」
彼女に穴がないことは、始める前からわかってしまった。
わかってしまったけれど、山小屋の中ではもう「準備」ができていたので、こうするしかなかった。
「かわいそうにね」
光を失った目が、ぼんやりと私の影を映す。
その目は生前の彼女と違い、私のように虚ろで、少しだけ穴がうまっていくような、そんな気がした。
おわり。