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鶴に間違えられる事があるアオサギ

2024.11.09 07:45

http://sapporo-wbsj.jugem.jp/?eid=573 【鶴に間違えられる事があるアオサギ】

yamaさんのカキコに、たばこのPEACEにタンチョウもどき?があしらわれているのが紹介されていました。当時の専売公社がデザインしたようにはみえませんが、不思議なパッケージでした。

さて、こちらアオサギは鶴に間違えられることがあるそうです。鶴やアオサギを見たことがないひとが間違えるのも頷けます。でも間違えられてアオサギが知られる事になればそれもいいですね。西洋では人気の鳥と聞いたことがあります(^_^.)

https://plaza.rakuten.co.jp/inosisi72/diary/201901300000/ 【アオサギの飛ぶ姿はツルと間違えられる事もあると物の本に出ておりました。そんな雰囲気のご紹介です。】より

大まかに言えば、近年春先からウオ-キングの観察と写真撮影の対象が野鳥になる傾向がある。

特に有馬富士公園と福島大池、あるいは武庫川沿いなどではその傾向が顕著です。

今はその準備として、これまでに撮影した写真で「おさらい」中であります。

今回はその1例として、アオサギの大きさとその大きさが生きる飛翔を載せてみました。

大原の田園地域を飛ぶアオサギ

L93cm 大きいです。

図鑑にも「ツルに間違えられる事もある大型のサギ」とある。

雌雄同色

顔は白く目から後頭に黒帯があり、そのまま冠羽につながる。

武庫川の川面に沿って、低く飛ぶアオサギ

飛ぶと青灰色の雨覆と黒い風切の差が明瞭

いつも友が丘のため池、枯れ木や施設の鉄格子らしいものに1羽止まるその姿が、いかにも

アオサギらしいと思い込みたくなる素敵な風情でもあります。この三田市内のさまざまの田園や

ため池から飛び立つ姿も、野鳥の中で屈指の雄飛さをいつも感じてきました。

アオサギの定宿? 2015-02-02

ため池・枯れ木の上で静止、あるいはため池の生き物に注目か?

今回ご紹介させてもらった写真も、その前には池や川、あるいは田んぼで餌を狙っいる姿が

あり、人間が近づくとそのぎりぎりの距離からこんな姿勢で飛び立つのが常態です。

1. 上の1枚は低い姿勢で飛行後、次第に高度に飛び上がった姿。

2. 次の1枚は、私の位置からは見えなかったが、川の中、あるいは岩から飛び立ち、飛翔

を続けている段階です。

この後、武庫川の川下の右側の土手を超えて飛んでいきました。

3  2019-01-30 福島大池の億、干上がった池の砂地から、じっと水中を眺めていたが

カメラを構えた段階で、水面ギリギリに飛び立ちました。撮れません。

2.のように、土手上から10mほどの低い地点でないとアオサギの写真撮りはむつかしい。

L93cmという大きさが示す重さを感じますね。

アオサギの情報

1. 科 名 ペリカン目サギ科

2. 大きさ L93cm

3. 分 布 本州から九州で留鳥、北海道では主に夏鳥。南西諸島では冬鳥として渡来。

4. 環 境 海岸、 

次は、カモ科ハシビロガモとホシハジロの今時分の姿をご紹介の予定ですが、その写真の整理

中にこのアオサギの写真に感心して、そのご披露に1ぺ-ジを取らしてもらいました。

https://www.excite.co.jp/news/article/NHKtextview_46433/ 【鶴が北へ帰る姿に鎮魂の思いを重ねて】より

春、北方へ帰って行く鶴を表す季語「引鶴(ひきづる)」。「麦」会長で「天為」最高顧問の俳人、対馬康子(つしま・やすこ)さんが、引鶴を詠み込んだ鎮魂の句を紹介します。

* * *

「鶴」は長寿を象徴するものとして、特別な鳥とされています。白く大きな翼で列をなして帰ってゆく姿は、あたかも魂が帰ってゆくような荘厳さがあります。

私の一年間のテーマである「こころを詠(よ)む」、それは文学の永遠のテーマでありながら、常に新しい感動を生み続ける鎮魂の思いとつながります。鎮魂には、死者の霊を鎮めるとともに、生者の体から魂が飛び去ってゆくのを抑える意味もあります。

東日本大震災が起こったのはちょうど鶴帰る頃のことでした。

引鶴や荼毘(だび)の火の粉の無尽蔵(むじんぞう)

黒田杏子(くろだ・ももこ)

「草木国土悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」という言葉があります。仏の照らす真実が、動植物を超えてすべての存在にあるという仏教の考え方です。日本人の、自然と人間の関係に対する思いを端的に表すものとして、謡曲などにも多く取り入れられています。

この作品の「無尽蔵」に、その思いが伝わります。人を荼毘に付すときの火の粉が、国土をあまねく照らす無尽の真実とつながり、鶴とともに一斉にその本来あるべきところにつながってゆく。曼荼羅(まんだら)のようなイメージを浮かび上がらせてきます。

俳句は、散文表現とは異なる、韻律による平明、簡潔な効果を主たる目的とする定型短詩表現です。心の奥の真実にたどり着くための、詩という不思議な力を持った短い表現であることが重要です。■『NHK 俳句』2021年3月号より