朗読台本/朝、5時55分のアラーム(女1)
〇作品概要説明
1人用朗読台本。ト書き含めて約2000字。なんていうことのない朝の一幕。
〇登場人物
私:女性。
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作者:七枝
本文
私:朝、5時55分のアラーム。
私:ぴぴぴと鳴り響く時計を乱暴に叩き落とし、痛む頭をかかえ、とりあえずトイレへ向かう。
私:用をすましたらキッチンへ。ラップをかけていた味噌汁を火にかけ、冷凍していた白飯をレンジへ放り投げる。冷蔵庫には、塩シャケが残っているはずだが、食べる気がしない。今朝は味噌汁ごはんとゆで卵ですますことにする。
私:朝の冷気で冷えた手をすり合わせながら、手早くスーツに着替える。それからようやく洗面台にたつ。鏡に現れた女は、これまた酷い様相をしていた。くっきりと浮かんだクマ。酒でむくんだフェイスライン。濡れたまま寝たせいで、髪はあっちこっち跳ね上がり、これじゃぁ山姥(やまんば)もびっくりだ。手早く洗顔料を泡立てながら、苦笑する。
私:これがはじめてじゃないのにね。
私:昨夜、半年付き合った恋人にフラれた。1ヶ月ぶりの飲みの席で、忙しい合間をぬって作った時間だった。彼も私も社会人で、休みが合わないなりに、お互い会う機会をつくることに努めていた。久しぶりあった彼は、疲労感をにじませていて、でも会った当初は嬉しそうに近況を話していた。……だというのに。
私:じわりと浮かんできた涙を、泡といっしょに洗い流す。下地を整えて、コンシーラーで念入りにクマを隠す。むくんだフェイスラインはどうしようもないだろう。マスクで隠れるだろうか。
私:「きみ、俺のことすきじゃないよね」
私:彼は別れ話を、そんな風に切り出した。話の流れはあいまいだ。たしか、運ばれてきたポテトがしなびているとか、そんなどうでもいいことだったと思う。会話が途切れた隙間を目掛けて、彼はそういい放った。剣客(けんかく)が辻斬りするみたいに。
私:私はなにも答えられなかった。唐突だったからではない。急所をつかれたからだ。その言葉でフラれるのは、実に3回目のことだった。最初は初めての彼氏。2回目は社会人1年目の彼氏。そして昨日。どの人も流れや気まぐれじゃなく、真剣に付き合った人ばかりだ。
私:味噌汁が沸騰した音が聞こえたので、慌ててガスを止める。少量をお椀にうつして、のこりは、あらかじめ温めておいた魔法瓶の中へ。味噌汁のいい香りが1Kの狭いアパートに広がって、にわかに食欲がわいてくる。ついでに解凍したごはんをお茶碗に盛る。冷蔵庫から、ゆで卵をだすと、これで朝食は完成だ。化粧の途中だったが、冷めないうちに食べてしまおう。
私:ぼんやり朝のニュースをみながら、どうしていつもこうなるのかと考える。……嘘。本当はわかっているのだ、原因くらい。それはラインの返答頻度や、ふとしたときの視線の方向や、単純な体の触れ合い等、そういう総合的なことから彼が察したのだろう。
私:私は恋愛感情というものがわからない。人に対して、胸を焦がれるような情熱を抱いたことがない。
私:思えば、学生時代からそうだった。誰とでも上手くつきあえる代わりに、誰とも深い仲になれなくて。なろうとも思えなくて。でも、友達が恋人をつくったから、私もつくってみることにした。昔から寂しい人を見つけるのは得意だったから、恋人をつくること自体は簡単だった。この最初の彼とは、存外長く続いた。だがその大半が、惰性(だせい)と体面と、なけなしの情であった。その証拠に、共通の友人と疎遠(そえん)になった途端、別れを切り出されたのだ。
私:別れを切り出された瞬間、私の胸に去来(きょらい)したモノは、安堵と失望だった。「ああもうこの人を好きなフリをしなくていい」という安堵と、そう感じた自分の無神経さに失望した。学生時代の大半を一緒に過ごした人が、泣きそうになりながら「自分を愛しているか」と問いかけてくるのを見て、そうとしか思えないのだから、つくづく自分に呆れるしかない。そうだ。そういえば、その時も私は何も言えなかった。今回と同様に。
私:結局、彼は私に背をむけた。何度もみた背中が小さく猫背に丸まって、胸がいたんだが、引き留めようとは思えなかった。お気に入りだった行方不明のマフラー、居酒屋で偶然会った話の合うおっちゃん。そんな日常の、細やかな愛しい過ぎ去っていくものと一緒に彼との思い出はしまいこまれた。
私:(テレビ)「今日のラッキーナンバーは~……ジュウイチ!みなさん、今日も元気に、いってらっしゃ~い」
私:朝番組のしめくくりの時間がやってきた。手早く鍋や皿等を洗ってしまうと、また洗面台へ戻る。鏡の中では、左の眉だけ細い女が途方にくれたような顔で笑顔をつくっている。
私:なんて顔してんの。ばかだなぁ。
私:一つため息を吐いて、丁寧に眉をかく。毎朝つづく、この儀式。一歩家をでるために私は化粧をする。ごはんをたべる。服を着る。なにがあろうとも朝がくるから。外に出かけなければならないのだ。生きていくために。とりあえず今日は、仕事にいくために。
私:眉をかいて、フェイスパウダーで仕上げて、暴れる髪をどうにかこうにかドライヤーとワックスで抑えた鏡の中の女は、どうやらいつもの私らしくみえた。なかなかの出来だ。自分で自分をほめたたえてみる。どうだ、えらいだろう?わたし。
私:最悪な夜の後も、朝がくるものだ。
私:今日、もしかしたら私は運命的な恋におちるかもしれないし、なんなら一生人を愛せないままかもしれない。それどころか昨日のことを引きずって、仕事でポカやらかすかもしれないし、あるいは察しのいい後輩が、昼ご飯に誘ってくれるかもしれない。
私:何が起こるかわからない朝が来る。今日がくる。だから、準備をして気合をいれる。
私:「いってきます」
私:いつもより少し低いヒールをはいて、ドアを開けた。朝7時30分。1日がはじまる。
〇おしまい。