【赤坂②】青山百人町
2018.02.01 14:09
町名:青山百人町
読み方:あおやまひゃくにんちょう Aoyama-Hyakuninchō
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:1872(明治5)年
冠称:「青山」
現町名:港区南青山三丁目の2~4番を除く全域、四丁目17番~22番、五丁目のほぼ全域、北青山三丁目1~4番
概要:青山通りの両側。1678(延宝6)年、「青山」の地名の由来になったといわれる青山忠成が、現・北青山三丁目1~4番に鉄砲百人組の与力25騎・同心100人を住まわせていたことでこの里俗地名が生じた。後に与力が20騎となり、「二十騎町」とも言われた。1678(延宝6)年以後、上地して与力・同心に改めて支給された。現・南青山四丁目17番は後に「足(た)シ地」として加えられ、「足シ山」と呼ばれ、さらに「立山」と訛った。
この辺りでは、旧暦の7月には、各戸に盆灯籠を高々と掲げる「星灯籠」と呼ばれる祭事が明治の初め頃まで行われていた。後の青山南町五丁目は、江戸期には武家屋敷の塀に囲まれ、昼でも暗く、「親不知」と呼ばれた。青山家の墓地・梅窓院や長野善光寺の別院(尼寺・善光寺)が今でも残っている。1872(明治5)年、青山南町五・六丁目、青山北町五丁目に編入となる。
撮影場所:青山百人町