命がけの飛翔
Facebook清水 友邦さん投稿記事
安倍元首相が銃撃されて死亡した事件は、統一教会と施政者たちの関係を、白日の下にさらすことになりました。
洗脳社会の中で、機械的に振る舞う自分の恐ろしさに気がついた人は確実に増えていると思います。
人間の意識が深く眠っていることを表しているグルジェフの寓話があります。
たいそうな金持ちの魔術師が羊をたくさん飼っていました。
ところが、この魔術師はひどいけちで、羊の番人も雇わなければ、放牧している牧草地のまわりに柵をつくりもしませんでした。
そんなわけで、羊はよく森へ迷いこんだり谷に落ちたりしましたが、何より悪いことには、逃げ出す羊が後をたたなかったことです。
というのは、羊たちは魔術師が自分たちの肉と皮を欲しがっているのを知っていたので、それが嫌だったのです。
困っていた魔術師はついに解決策を思いつきました。
羊に催眠術をかけて、まず、おまえたちは不死身だから皮をはがれても何ともない、いやそれどころか健康にもよく気持ちがいいと暗示をかけました。
次に、魔術師はよい主人で羊をとても愛しており、おまえたちのためなら何でもすると暗示をかけ、それから、もし何かがお前たちに起こるとしてもそれはすぐにではない、ともかく今日ではない、だから何も心配する必要はないと暗示したのです。
さらに魔術師は羊に、おまえたちは羊ではないと言い、ある羊たちにはお前たちはライオンだ、他の羊にはお前たちは鷹だとか人間だとか、あるいは魔術師だと暗示をかけました。
それからというもの、魔術師は羊の心配をする必要はなくなりました。
羊はもう逃げ出すこともなく、魔術師が肉と皮をとりにくる日をおとなしく待つようになったのです。
(ウスペンスキー『奇跡を求めて』グルジェフの神秘宇宙論)
羊を一般市民に置き換えると今の日本の状況に似ています。
現代社会では人々の頭に近代合理主義が頭に刷り込まれ、上からの指示に機械的にしたがってしまう人間が大量生産されています。
失敗すると人は過ちに気がつきます。
しかし、深く眠っていて、機械のように振る舞っていると、延々と同じ間違いを犯し続けます。
プログラムに支配されると、外からの刺激に機械的に反応して同じ行動をただ繰り返してしまいます。
頭の中にすでにプログミングが終了しているので気がつけないのです。
多数の人々がプログラムに支配されたまま機械的に動いています。
今のシステムに洗脳されて深く思考することを止めてしまったのです。
機械人間は、自由意志を持つ事は出来ません。
同じ行動パターンを取り続ける退屈な日常があるだけで選択の自由はそこにありません。
もちろん、人間の本質は機械ではありません。
機械の状態でいると環境の変化に適応できなくなって、かならず機能不全が起きるので、何かがおかしいと気がつきます。
その時に意識を、今ここに集中させることで、プログラムされた思考から自由になることができます。
人間は機械ではなく自由意志を持っているので、気づくといくらでも思考と行動の方向を自由に変える事が出来るのです。
人々に目覚めが加速するなら成熟した社会への大きな流れになるでしょう。
それは、人々が曇りのない透明な目でものごとを見ることができるかどうかにかかっています。
そのまま、眠りこけて破綻と地球規模の崩壊をむかえるのか。
偽りの価値に縛られた自分の思考から自由になり、機械人間から目覚めて、持続可能な社会に移行するのか。
日本も世界も重大な岐路にあると思います。
清水友邦インタヴュー「プログラムされた機械人間」
https://www.youtube.com/watch?v=m0uGjL9QNVA
【何かが変だな】苦しさや違和感は、プログラミングではない本来の自分に気づくプロセス|清水友邦
『覚醒の真実』『よみがえる縄文』の著者・清水友邦さんをゲストにお迎えしました。
清水さんは悟りや心理学、あらゆるボディワークにも精通し、長年に渡って培ったご経験や智慧を全国で公演、ワークショップで伝えていらっしゃいます。
個人の目覚め、社会との関わりの中での自我の働き、そして縄文文化を紐づけて、「純粋な意識」へ気づくプロセスを語っていただきました。
「プログラミングされた自我ではない、本来の自分」へと気づくきっかけになれば幸いです。
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清水 友邦
イーハトーブ心身統合研究所主宰。
1953年、岩手県盛岡市生まれ。
子供の頃から自分が誰なのか疑問を持ち、探求の道に入る。
80年代から世界各地の聖地を巡礼、その間、呼吸法、瞑想法、ヨガ、気功、ボディワークなどの各種身体技法を学び、日本各地と海外で呼吸道のワークショップの講師を務めている。
また、出雲大社の奉納舞の撮影をきっかけに全国の神社や縄文遺跡など聖地を訪れ、縄文から弥生の過程を本書『よみがえる女神』として執筆、映像を使った講演もおこなっている。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
過去の失敗を引きずっている自分と、今ここにいる自分の二種類の自分がいます。
過去を引きずっている自分は認めてもらえなかったり、誉めてもらえなかったり
物事が思い通りにならない事にイライラしたり怒ったり、悲しんだりしています。
ほとんどの人が自我の壁を厚くして過去の記憶に触れないようにしています。
そして、何事もないと、自分は幸せだと思い暮らします。
しかし、誰かに、自尊心を傷つけられたり、物事が思い通りに行かないと、とたちまち奈落の底に落ちてしまうのです。
ほとんどの人が過去を引きずっている偽りの自分を自分だと信じ込んでいます。
今ここにいる自分は海の底のように常に静かです。
今ここには時間と空間がありません。無限の広がりと永遠だけがあります。
そこには深い沈黙があります。全てを許して包み込む愛があります。
過去を引きずっている自分をちょっと静かにしてもらえればいいのです。
沈黙した瞬間、たちまち、いまここの自分に気がつきます。
今ここの呼吸に集中することで沈黙が起きます。
複数の人々に沈黙が起きると、その場に沈黙のスペースがおきます。
集団の中で沈黙が発生するとその場にいた個人にも沈黙が起きます。
グループ・ダイナミクスで起きる沈黙はレゾナンスという共鳴現象です。
炎から炎へイグニッション(点火)が起きるようなものです。
沈黙が起きると、考えたその瞬間に、思考を観察する気づきが突然現れます。
禅の修行も瞑想もした事も無い普通の主婦に気づきが起きるので、誰でもそれは起きると言う事です。
思考に気づいている意識は、目覚めた意識と呼ばれています。
透明な知性をそなえた大いなる自己のことで、観照者、目撃者、真我と呼ばれています。
目が醒めると、今まで眠っていたことに気がつきます。
そして意識的に、目覚めたまま眠りに入ることが、できるようになると、夢を見ているものだけが夢ではない事を、理解します。
それ以外の全ては、夢のように現れては消え去る実体がないものです。
全ては現れては変化し消えてゆくのが、この物質世界であり、現象世界です。
自己の本質は、肉体でも感情でも思考でもありません。
悲しみも喜びも、雑念も静けさも気づきのスペースで、ただ、あるがままに起きています。
それらは、来ては去って行きますが、自己の本質は、それに関わることなく、常にかわらず、いまここにあります。
光があたってもあたらなくとも、実際の月の形はかわらないように、思考があってもなくとも、瞑想をしてもしなくとも、あなたの本質は全く変わらずに、常に存在しています。
しかし思考が作り出している虚像に振り回されているために、その事に気がつきません。
悲しみや絶望に陥っても、本当の自分は変わることなく、常に今ここにあるのです。それを確認するのが呼吸の道です。