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ECCジュニア 高山台教室

安楽死

2018.02.02 01:38

香芝市のこども英語・英会話教室、ECCジュニア高山台教室講師・たかくわです。


講師としてこどもたちに英語を教える身として、自身の英語力をブラッシュアップするために毎日25分、オンライン英会話レッスンを欠かさず受けるようにしています。レッスン内容は色々ありますが主に日々のニュースを英語で読み、それを元にディスカッションするスタイルが私は多いのですが、先日なじみの講師とガンに関する記事を読みました。


その記事によると、現在良しとされている化学療法によって治療されたがん細胞は、腫瘍の成長を促すという皮肉な結果が得られたというのです。


ちなみにこの馴染みの講師、イギリス人なのですが西側の資本主義社会のすべてを否定し、自身はアジアに身をおいています。なのでこういった記事には非常に辛辣なコメントが口をついてどんどん出るのですが、曰く、そんなことは以前からわかっていた、だが Cancer Industry というものが存在するから、やつらはガンで相当稼いできた。本心ではガンを直したいとも撲滅したいとも思っておらず、だからこそこんな意味のない治療を助長し続けてきたんだと興奮気味、ただ、ここにきてメインストリームのメディアでこういった内容が報道されるようになったことは評価してもいい、みたいな。どこから目線なんですかっていう話なのですが(笑


そういえば私も最近日本人は世界的にみて寿命が長いけれど、それは医療技術の進歩と終末医療への意識の違いから、日本では意識のない、回復の可能性も乏しい植物状態、あるいはそれに準じる状態の高齢者が長くベッドを埋めることが慢性化していて、それが平均寿命を引き上げる要因にもなっているという話を聞いたので、そんな話から、世界における終末医療、そして安楽死の話に話題が飛びました。


折しもイギリスでは、数年前からNHS(イギリス国民保健サービス)により、75歳以上の高齢者や癌、認知症、心疾患、深刻な肺疾患などの末期患者に対して、病院側があらかじめ終末期のプランを用意するよう促されるようになりました。これはある種おば捨て山のように響きます。


講師曰く、これは患者本人の痛みや苦痛を取り除くというより、年々かさむ高齢者医療費を削減したいがためのプランで、医師が合法的に安楽死を選ぶことが出来るようになったんだ、というので、待って、安楽死ってつまりモルヒネを致死量打ってはいさようなら~ってそういうこと?日本では患者または家族の医師による尊厳死、つまり医者が具体的に薬剤などを注射するのではなく、つないでいる生命維持のためのチューブを外すことでその結果患者が死に至る、というようなことはあっても、薬剤を施してというのは今のところ違法だと思うと言うと、あ、ごめん、それはイギリスでも違法だよという返答。


というか、安楽死ってぼんやりこんなのかなというイメージはあるけど、具体的にどういう風に実施されているんだろう?と興味が湧いているところに、ちょうどポッドキャストに安楽死について数年あちこちの国を訪れてルポを書きましたという方が出ておられ、kindle版も出ていたのでポチってみました。


まず私の中で認識がぼんやりとしていた安楽死について、大きく積極的安楽死と消極的安楽死にわけられ、後者については尊厳死として多くの国の医療現場で既に行われており、一般的に安楽死というと積極的安楽死、つまり私がイメージしていた医師が薬剤を打つなどして行う安楽死と、医師が致死量の薬剤を処方し、それを患者本人が自ら摂取する自殺幇助の2つを指すことを知りました。


この2つが許されている国や州は多くはないのですが、実施するための条件や方法は国や州によって違い、また私のイメージでは末期患者にのみ許されると思っていたのですが、私が思っていた「末期患者」というのは「終末期」というよりむしろ「臨死期」であって、スイスやベルギーで行われている安楽死は、それ以前の、まだまだ自分で歩いて海外にも赴くことが出来るような状態で死を選んでいる、そして実際に死んでいっている事に驚きました。安楽死による自殺と通常の自殺の間に差異はあるのかとも思ってしまいますが、選んでいる本人たちからすれば、その病気がなければ間違いなく生きていく道を選ぶのだから、一般的な自殺とは大きく異るということになるようです。


日本でもこれまでに安楽死”事件”は起きていて、いずれも薬剤を注入した医師は病院から見放され、はやく楽にさせてやってくださいと言ったはずの家族からも裏切られ、傷心のまま別の地域で医師を続けています。しかしいずれの事件も、海外で行われている安楽死とは大きく違います。日本の医療現場でも、遺族が許せば消極的安楽死、つまりチューブを外すということは行われます。しかしそのために、患者が思いもよらぬ状態に陥ることがあります。本人は意識もなく、痛みを感じているかどうかはわかりませんが、大きく体をくねらせたり、悲痛な声をあげたり、家族が見ていられない状態になり、「先生お願いします、楽にさせてあげてください!」という状態になり、筋弛緩剤を投与する。


違うんです、海外で行われている安楽死はそれとは全く違います。たとえばベルギーでは精神病患者にも安楽死が認められています。まだ年若い、10代の少女が医者から処方された安楽死に必要な薬剤を所持している。それはいつ飲むのか、あるいは飲まないのか、決めるのは本人の自由です。


ただ身体的な病気と違い、精神病の患者にとっては「私はいつでも死ねるのだ」と実感出来ることは逆に生きる糧となる場合も少なくないようで、精神病患者においては安楽死が自殺の抑止力となり得るという不思議な構図も浮き彫りになっています。


安楽死がみとめられている国で最も重要死されるのは、本人の意志です。本人が今自分が置かれている位置をよく理解し、自分の人生を選ぶ。日本人の感覚としては、それでは残された家族はどうなるの?とそちらに意識が行きますが、私がfacebook の個人アカウントに安楽死についての本を読んでいますと軽くポストした時に、何名かの方が自分もそれを望んでいるとコメントくださったのですが、いずれも理由は、「家族や周りの人に迷惑をかけたくないから」。


本書でもそのことについて強く触れられていて、西洋との文化の違い、民族性の違いを改めて認識することになりました。もちろん、どちらが良い悪いという話ではありません。その状況に置かれたことのない自分にとっては想像の範囲を越えない事ではありますが、でも理解しようと努めたい。それが真の国際化だと思うし、そのために英語を学ぶのだと思うから。


この本を読んであたらめて、日本ではまだ安楽死そのものについての議論の下地さえできていないと感じます。この本のとてもよいところは、推進派の意見も反対派の意見もどちらもニュートラルな視点から扱っているところ。そして興味深いのが、安楽死を選ぶ人の特徴として、本書のなかで4Wというものが挙げられていて、その一つは White です。後の3つが気になった方は、是非本の中で確認してみてください。