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日本メディア協会

[論説]「正義」と「正義」のあいだ

2022.07.28 04:24

 「政局-空想国会」で面白い話があったので本紙の立場を書き記しておきます。

 話されていたことは、雑にまとめると「正義は人それぞれだ」という極めてネット的な言説ですね。空国の皆さんはリアルよりネットに住んでいるメタバースの前衛みたいな存在ですから、こういう価値観に染まってしまっているのでしょうか。

 さて、「正義は人それぞれだ」というのは哲学でいうところのポストモダニズム的な言説です。ポストモダニズムというのは「モダニズム=近代」の「ポスト=後」ということで、近代において普遍主義的な(時代や地域を超越していること)価値として認められてたものは実は存在しないんじゃないかという懐疑主義的な立場ですね。このような価値は結局人それぞれの「考え方」であって、それを普遍主義的なレベルまで引き上げるのは誤っているのではないかと。

 まあこれ自体はとても鋭い洞察なんですね。ただ、この言説の使い方は極めてデリケートなものです。そこで、この言説の使い方として危険な例を紹介します。



 「正義は人それぞれにある」ということは「正義は人それぞれにあるのだから、人の正義にとやかく言ってはいけない」ということを意味しません。残念ながらネットではこういうように解釈してる人が沢山いますが…。

 いまウクライナをロシアが侵略しているのですが、プーチンのイデオローグで思想家のアレクサンドル・ドゥーギンは以下のように述べています。

「すべての真実とされるものは、信じることの問題です。だから、私たちは自身のすることを信じ、自身の言うことを信じるのです。そして、それが真実を定義する唯一の方法なのです。だから私たちには、受け入れてもらうべき、特別なロシアの真実があるのです。」

 ロシアにロシアなりの真実があることは間違いないでしょう。しかしそれはロシアの真実を批判してはいけないことを意味しません。

 また、ロシアがロシアの正義を追求する中で、ウクライナは現実に領土を刈り取られ、ウクライナにとっての真実は許されなくなっています。「正義は人それぞれだ」という言説が一度でも権力と結合してしまうと、開き直って平気で他者を蹂躙することが許されてしまうのです。

 「正義は人それぞれにある」としても、我々はその正義を錦の御旗にして殻に閉じこもってはいけません。別の正義を持つ人と対話をし、自分の正義を相対化する姿勢が不可欠です。