温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第101回】 秋山博康『リーゼント刑事 42年間の警察人生全記録』(小学館新書,2022年)
中年男の顔写真の横に赤字で大きく「おい、小池!」と銘打たれた指名手配のポスターは強いインパクトがあった。20年近く前になるが、都内のある交番の横に張り出されていたのをまじまじと見つめたのを今でも覚えている。事件名は「徳島・淡路父子放火殺人事件」、父親と息子が焼死体で発見された惨いものだった。徳島県警は放火殺人の犯人と思しき男(小池俊一)を早い段階で狙いを定めて内定捜査を続けていたが、小池にそのことを感づかれて逃亡をさせてしまった(なお、後に判明するが警察に直接の落ち度があったわけではない)。
それは、捜査方針を巡って県警幹部と現場捜査班の間で意見が分かれているスキを突いたかのような出来事だったという。「逮捕状」を請求できるだけの証拠を先に揃えるべきだとする幹部と、「捜索差押許可状」でガサ入れをかけて証拠を得てしまうほうが良いと考える現場捜査班の班長との間で捜査がわずかに膠着した最中、小池の自宅マンションを監視していた捜査員から班長に緊迫した声で無線が入った。「至急!至急!秋山班長、小池が飛び出ました!逃げられるかもしれません!」 小池が自宅から大きなバックを持って飛び出してきて、そのまま車に乗り込み急発進、監視班も急いで覆面パトカーで追うが見失っている。このとき捜査班の班長を務めていたのがTVの全国警察24時などで有名になった「リーゼント刑事(デカ)」こと秋山博康氏で、ここからリーゼント刑事の信念の捜査が始まった。
このリーゼント刑事の自伝的エッセイが22年の春に小学館新書から出版された。そのタイトルは『リーゼント刑事 42年間の警察人生全記録』、初版の本の帯はダークグレイのスーツを着込み、リーゼントヘアを決め、左の襟もとには「捜査一課」の刑事が着用するバッジを付けた眼光鋭い「リーゼント刑事」の写真がプリントされている。
「2021年3月31日、42年間勤めた徳島県警を定年退職したワシは、その日の夜に徳島から東京にやって来た。事前に決まっていた働き口はゼロだったが、東京を舞台に、どんなことでもいいから人様のお役に立てる活動をしてみたいと思った。武器は、長い刑事人生で培った経験や。・・・笑いあり、涙ありの警察人生42年をギュッと詰め込んだつもりだ。決して武勇伝をひけらかしたり、自慢話をしたいわけではない。むしろ真剣に職務に取り組んだがゆえの失敗や反省などを含め、等身大の自分を真摯に綴っていったつもりや。・・・」(「はじめに」より)
新書にして200ページに満たない本書、「リーゼント刑事」のファンである私などは、警察人生をギュッと詰め込まないで、単行本にして倍の分量で出してくれてもよかったのにと思いながら読み始めた。終章を含めて10章で構成される同書のエピソードや教訓は、どれも平易に語られてこそいるが含蓄は深い。「おい、小池!」の事件の顛末はもとより、将来は刑事になりたいと思い立ち、「武者修行」に明け暮れた青少年時代、警察学校から休日返上で働いた交番勤務の逸話、一人前の刑事になるための工夫、取調室での攻防のやり方など、本人も今の時代では無理な部分もあるがと断った上で色々と告白している。
秋山氏が地方の所轄署で刑事になりたての頃、先輩刑事から「取り調べ」、「聞き込み」、「書類作成」の3つを一日も早く覚えろと言われたという。取り調べは被疑者に自白させる力、聞き込みは、情報提供をしてくれる協力者とネタを獲得する力、書類作成は供述調書、捜査報告書などの書類をつくり上げる力を指す。一新米刑事だが髪型はリーゼントで決め、やる気満々だった秋山氏は、見栄を張ってカルティエとモンブランの万年筆で書類を書き、自らを鼓舞するために書類に押す印鑑は15ミリ大型サイズを使っていたという。これだけだと単なる態度のデカイ新人と言われかねないが、殺人や強盗事件などが起きて県警本部の捜査一課を軸とした「捜査本部」が所轄警察署内に起ち上げられたときなど、新米刑事だった秋山氏の仕事のやり方は一味違うのだ。
「・・・所轄の新米刑事の仕事はお茶くみから始まる。伝統芸能の世界に入ったばかりの前座のように、熱いお茶や渋いお茶など捜査本部の先輩の好みを把握し、日々、お茶くみに励んだ。その他にも毎日することが山積みだった。・・・半年ほど官舎に帰らず鳴門署の道場で寝泊まりしたのは、夜中に先輩の報告書や書類をこっそり読んで仕事を覚えるためだった・・・」(第4章)
このお茶くみの話は本の中ではさらりと書かれているが、YouTube動画などではもう少し詳しく話をしている。朝一番に捜査本部にいくと捜査員それぞれの専用コップが100個くらいあって、それを洗うところから始まり、その後で一生懸命覚えた先輩捜査員の好みに応じて茶を淹れて配る。自らの好みに応じて茶を淹れてくれているのに気づく先輩によっては、ピリピリしている捜査本部にあってもその時だけは少し話をしてくれたもので、そんな僅かな間が新米刑事の顔を覚えてもらえるチャンスだったという。今ではこうしたお茶くみの習慣は時代に合わないとのことで消えてしまったが、新米にとっては顔を覚えてもらえるだけでなく、人間の好みやクセというものを観察して学んでいくチャンスでもあった。それから、捜査最優先の現場にあっては、新米が報告書や書類の書き方を丁寧に教えてもらえることなどまず期待できない。だったら、自分から積極的に「盗み取ってやろう」という姿勢は一つの在り方だろう。もっとも、半年にわたって署の道場に大勢の男たちと寝泊まりするとの文脈から匂い立つリアリティを想像すると、それは言うほど容易なことではない。
その後、新米刑事から多くの経験と修羅場を重ねて一流刑事になっていくリーゼント刑事だが、思わず笑ってしまったのは、県警捜査一課から警視庁捜査一課へと研修の一環で1年出向を命じられたときのエピソードだ。徳島県内ではそれなりに実績を挙げて有名なベテラン刑事となっていた秋山警部補40歳は警視庁での一日目を次のように告白している。
「2000年4月1日、ワシはワインレッドのワイシャツにダブルのスーツ、花柄のネクタイにリーゼントをバシッと決めて、辞令を受け取るために桜田門の警視庁に向かった。今日から警視庁の捜査第一課、バッチリ決めたるで―という心意気だった。何事も最初が肝心や。勢いをつけてバーンと捜査第一課のトビラを開けると、徳島とは雰囲気が全然違った。警視庁捜査第一課の刑事はみんなスマートで、黒か紺のスーツにパリッとした白のワイシャツを合わせるスタイル。頭髪は七三分けか清潔感のある短髪で、まるで一流ホテルマンのようや。ここではリーゼントのワシだけが完全に浮いていた。そうこうしていたら管理官という偉い人が現れて、「キサマ、そんな恰好で辞令を受け取る気か!着替えてこいっ!」と怒鳴られた。仕方がないから警視庁の売店で白のワイシャツを買い、ワシと同じ背格好の捜査第一課員に「スンマセン、この恰好じゃ辞令を受け取れないと偉い人に言われたので、スーツを貸してください」と頼み込んだ。他人のスーツを着たワシはようやく辞令を受け取った」(第8章)
いきなりスーツを貸しくれと頼まれた第一課員は間違いなく「なんなんだコイツ」と思っただろうし、40歳のリーゼント刑事も何とも言えない「スンマセン」だっただろう。コワモテのリーゼント刑事が警視庁の売店で自分の体に合う白シャツを一生懸命に探し求めている姿を想像すると少し滑稽なのだ。
徳島よりも事件が多く、地理も不慣れ、捜査手法も違う警視庁で、リーゼント刑事は最初に数々の失敗をするが、徐々に実績を上げ始める。すると管理官も次第に重大事件の取り調べなどを担当させるようになっていくが、リーゼント刑事も徳島県警に泥を塗るわけにはいかないから必死で頑張るという正のスパイラルが生じはじめた。詳細は書かないが、本のなかでは世間を騒がせた有名事件の捜査にリーゼント刑事が具体的にどのように関わっていたかも触れている。
警視庁捜査第一課で実力を発揮し始めると、最初は同僚から「おい、徳島!」と呼ばれていたのが、次第にそれがなくなり、若手捜査員から「秋山さん、どうぞ」とコーヒーを出してくれるようになったという。なお、その頃にはダブルのスーツに花柄ネクタイも黙認されるようになったとのことだ。リーゼント刑事はこの本の後半で警部に昇進してから退職の日を迎えるまでについても触れている。管理職となり部下を持ちながら警察官人生をいかに生きたかを真っすぐと語るなかで、現場で捜査にあたったときとは違ったものの見方もするようになったことを告白する。
「・・・小池の事件の時、まだ若かったワシは小池の逮捕状を請求するだけの証拠が揃っていなかった段階で、ガサ入れをすることを主張した。・・ガサ入れすれば血痕などの証拠が見つかると踏んでいた。しかし当時の上層部には「もっと証拠を固めろ」との捜査方針があり、ガサ入れされる前に小池は逃亡した。小池逃亡の一報を聞いたワシが激怒してイスを蹴り上げたのは、ガサ入れを認めない捜査方針へのイラ立ちからやった。だが年月が経過して階級が上がるとともに、当時のワシの考えが浅はかだったと思うようになった。「ガサ入れすれば証拠が見つかる」というのは自分の勝手な思い込みであり、証拠が処分されていたらアウトだった。証拠のないまま任意の取り調べをして犯行を否認されたら・・・自分が責任ある立場になると、有罪を取れるまでの証拠を見つけることがどれほど大事なことなのか、身に染みてわかるようになったんや・・」(第9章)
年齢や経験を重ねるほどに屁理屈を生み出すことに長けて、自らの落ち度など認めなくなりやすいなかで、リーゼント刑事はそうした陥穽にはまることなく来たようだ。01年の小池の事件の発生から、11年間にわたって現場責任者として事件を追い続けた当人が吐露するこの文脈の持つ含蓄は深い(小池俊一は12年に逃亡潜伏先の岡山県で死亡)。
ところで冒頭で触れた「おい、小池!」のポスターは、大阪芸術大学の専門家の力を借りて作られた。完成したポスターを見たリーゼント刑事はこれならいけると思いつつもある不安があったという。不安は的中してポスターが全国に公開されると、日本全国津々浦々に住まう小池姓の人たちから捜査本部にクレームが入った。それは、「おい、小池!」といってうちの子供がいじめられて困っているとの内容だった。捜査員はこれに対して「ご迷惑をおかけしてすみません。被害者と遺族のために、何としても犯人を逮捕したいんです。どうかご協力ください」と一々丁寧にお願いを続けた。すると次第にクレームをしてくる人たちもいなくなったという。救いようのない事件に手向けられた仄かな光のようだ。なお、本書の最後で秋山氏は「・・あっという間の42年間だった。警察官人生に悔いはない。生まれ変わったらまたリーゼント刑事になろう」といって結んでいる。正義を信じて純粋なまま警察官の制服に初めて袖を通した日から42年、まだ純粋さを保ったまま制服を脱いで去っていく。このような生き方は県警本部長になって大過なく過ごすよりもきっと難しいだろうとも思うのだ。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。