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Suguro´s diary

「都廐」ってどんな意味?

2018.02.03 07:24

今回は、少しマニアックな話をしてみようと思います。

自分への戒めと漢文を読む際の注意点にもなるでしょうと更新してみました。

漢文のマニアックな話ですが、興味のある方はお付き合いください(笑)


さて、先日のKYの会で下の様な文章を読解しました。

秋七月、都廐災。(『漢書』巻二 恵帝紀)

短い文章ですね。

漢文が読めなくても、前半3文字は読めちゃいます(汗)

ところが、ここで考え込んでしまいました。

後半の3文字。どう読むでしょうか。


先に言ってしまうと、「都廐(ときゅう)に災(わざわい)あり。」と訓読しました。

「都廐」とは皇帝の馬を管理する馬房という意味。

「災」とは出所の知れない不審火を指すそうです。

オンラインの『漢語大詞典』で調べるとそう出てきました。

つまりこの文章は「秋七月に皇帝の馬房で不審火があった。」という訳になります。


問題は、この「都廐」の意味が、

なぜ「皇帝の馬を管理する馬房」という意味になるのか、という点でした。

「都」には立派な、大きな、という意味があります。

「廐」は「うまや」という字で、馬舎(馬房)を指します。

確かに何となく意味は分かります。

しかし、「皇帝の」馬房かどうなのかは分からないのです。

辞書には「皇帝の馬房」という意味で載っているのに、

その意味で使用された肝心の文章が載っていない。

他の漢文史料にあたっても、「都廐」の用例は冒頭で紹介した1例のみなのです。


そこで、万が一という可能性にかけて、

オンラインではなく、紙媒体の『漢語大詞典』を開きました。


院生時代にオンラインの『漢語大詞典』は抜け漏れがあると聞いたことがありました。

実際にどこに抜け漏れがあるのか分かりませんが、とりあえず・・・と思ったのです。

すると、出てきました。

紙媒体のものには、根拠が載っていたのです。

秋、七月、都廐災。胡三省注曰「都厩、大厩也、属太僕。」(『資治通鑑』巻十二 漢紀 恵帝紀)

これは冒頭の文章を載せる歴史書を、後代の人が再編纂したものなのですが、

胡三省という人の解説が付いていました。

それによると、「都厩というのは大きい厩であり、太僕という車や馬を管理する官に所属している。」とあります。

太僕とは、ごくごく簡単に大雑把に表現してしまうと、朝廷の車や馬を管理する官です。

『漢語大詞典』はその太僕が管理する都厩なので、「皇帝の馬房」という意味をつけているのでしょう。


それでは、実際にこの太僕という官に都厩が所属しているのか。

ここからは個人的な興味で簡単に調べてみました。

個人的に調べる方法は大きく2つかなと思います。

①関係する論文を検索して読んでみる。

②史料にあたる。

本来は①も②もやるのが筋なのですが、時間もかかるし研究をする訳でもないし、

また後日にということで、取り急ぎ②をやってみました。

すると、太僕という官の所属として、長安には龍馬長、洛陽には未央廄令という官がおり、

天子の乗る車や宮中の馬を管理しているとありました。

残念ながら「都厩を管理している」という直接的な記述はありませんでしたが、

太僕という官が朝廷の車や馬を管理するもので、その下には天子の車(馬車)や宮中の馬を管理する官がいることが分かりました。

そして、前後の文章からみても、都厩での不審火は都で起こったことを考えると、

「都厩」は太僕が管理するもので、皇帝(天子)の乗る馬房という解釈になるのかもしれません。


胡三省はこういった史料を元に「都厩、大厩也、属太僕。」という注釈をつけたのではないか、

個人的にはそういう可能性はあると思っています。

もしくは、彼のいた時代にはもっと明確な史料や認識があったのかもしれません。

ともあれ、そういう色んな背景があるであろう言葉を、

オンラインの辞書検索だけで済ませようとした自分への戒めになりました。

文章は丁寧に読まないといけませんね。

では、今日はこれにて。