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日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第二章 日の陰り 10

2022.07.30 22:33

日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄

第二章 日の陰り 10

 京都国際観光大学では、第二回の古代京都環境研究会発起委員会が開催されていた。前回と同様に石田清教授とその弟子の山崎瞳が前に座り、カタカナの「ロ」の字に並んだ机の窓側に徐虎光と吉川学が、手前側に町田直樹と細川満里奈という、京都府観光産業局の役人が座った。そして、石田の正面に当たる席に今田陽子が座る形になった。

「それでは第二回の会議を始めます」

 石田教授が開会を宣言すると、弟子の山崎が手元に置いてある資料の説明を始めた。

「それでは、まずは町田課長から、皇室の出席に関してその進捗状況をお願い申し上げます」

「えーと、京都府の町田です。ああ、自己紹介はいいか。京都府を通して宮内庁に天皇陛下・皇后陛下の京都訪問の確認を行ったところ、向こう半年間は基本的には空いていないということになっています。来年の春ごろであれば、時間が取れるが、皇室にはそれぞれの行事があるために、その行事を避けて一泊二日程度の行幸であれば、時間がとれるのではないかとのことです。そこで候補美として・・・」

 町田は、いかにも事務的に、官僚が話す口調で話をした。官僚の話というのは、基本的にはすべて資料に書いてあることをそのまま音読しているだけのことで、発言している間は暇である。頭の良い人々は事前に目を通してしまっており、その中の重要な部分には線を引くなどをしているので、基本的にはその発表の時間はいらない時間なのであるが、政治家などがいて、事前のレクチャーをしない場合などは、その発表時間そのものが何かを考える時間になっていることが少なくない。民間の企業であれば時間がもったいないので「読めばわかる」などとして馬鹿にしてしまっている場合が少なくないが、それでも官僚が会議に出席していると、資料の読み上げを止めないのは、そのような事情によるものである。

 しかし、今田陽子は政治関係者ではあるものの、その政治の悪しき慣習には、はっきり言って興味がない。普段ならば途中で言葉を遮るか、あるいは、露骨に嫌な顔をする。先日も首相官邸の会議で、マスコミが入っていないところで「あなた、読むだけならば時間が無駄だから出てゆきなさい。官邸の職員はそんなに暇人じゃないんだから」と発言したほどである。それ程、「読めばわかる」内容を、そのまま継続しているのは、時間の無駄と思っていた。

 しかし、この日はそうではなかった。今朝まで徐虎光と吉川学のことを調べていたのである。その内容をしっかりとここで見ながら、この二人を観察しなければならない。その意味では町田という京都府の地方官僚が、官僚の悪しき習慣を踏襲し、時間を無駄に使ってくれることが非常にありがたかった。

 そのように見ていると、やはり徐虎光と吉川学の直接的なつながりはないようにみえる。実際に、この二人の意見に関しては、方向性は同じ方向に行っているように見えることもある。しかし、そもそも徐教授の方は、このイベント、つまり天皇を京都に招いて古代中国と日本の建物や街づくりの共通性を行うイベントの推進派であり、意外とやる気である。しかし、吉川の方は、話を聞いていると、そもそもそのようなイベントは民間で行うべき出会って天皇などを呼んでも意味がないというような内容である。いや、吉川はやはり左翼思想であるから「古代の建物そのものが天皇の権威によってつくられたことのいやらしさを表現すべき」というような感覚を持っている。要するに、吉川学の場合、誇大の街並みを文化的に考えるというのではなく、そこに政治思想を入れて、天皇制や古代の中国の皇帝が作った街づくりにおいて貧富の差とか、町の統一性による思想の編重など、「王政や皇帝による政治の問題点のあぶり出しをすべき」というようなこと行っているのである。

「だいたいねえ、吉川さんのような話をしていては、中国人の多くが日本を嫌いになってしまう。そのようなところに国家主席や首相を呼ぶなんてことはできるはずがないではないか」

「何を言っているんだ。徐さん。あんたたち中国人皇帝とかそういった権威を嫌ったから辛亥革命を行って清朝の皇帝を追い出し、そのうえでそれじゃあ軍閥とかが結局ブルジョワジーになり替わっただけだから、文化大革命をおこしんたんちゃうか。そんな中国人が、日本の昔の天皇とかいう化け物が作った町をいまさら賞賛すつこと自体がおかしな話とちがうか。そんなこと言うならば、今でも唐の都の長安や三国の都洛陽を後生大事に残しておいたらよかったやんか」

 吉川は、石田や町田などを無視して、自分の論を繰り出した。今田がずっと考えている間に、いつの間にか話はかなり進んでいたのかもしれない。今田は慌てて腕時計を見たが、10分まで時間はたっていない。つまり、町田の皇室に関する説明が終わった瞬間に、いつの間にか共産主義や歴史認識の話に代わっているようである。今田は、あえてノートにメモをするふりをしながら、話を聞きながら、その話の成り行きや、その話の奥にある「何か」を見つけようとしていた。

「それは歴史の流れでしょう。吉川さん。現在から見れば、昔に起きたことはおかしなことはたくさんあるでしょう。でもね、唐の都が長安だった時代は電気もなければ、科学も発展していない時代ですよ。現在みたいな思想もないし、そもそも共産主義思想もないんです。その時において最も進んだ形の議論を行い、そしてその時代の最高のモノを残し、それ以外の建物や文化をまた壊して新たな文化に書き換えてゆく。文化的に最高なものばかりを残してくるから、徐々に素晴らしいものが残り、そして現在の中国が、いや中国だけではなく、日本もそうですが、そのようなものが残るのではないでしょうか。何も歴史を否定することが、共産主義の本意ではない。もちろん、共産主義を実現するためには、目に見えないモノや徒歩のないものを否定することは重要ですが、それは価値のないものに価値をわざわざ作り出して、既得権益として多くの人との平等を破壊し、そして自らの私利私欲を実現しようとしているから、文化大革命によって、少々過激ではあったけれども、人民の意識を変えなければならなかった。現在になって、文化大革命は毛沢東の失政の一つであり、人民の虐殺をした無秩序政府の状況であるというように評価されていますが、しかし、あの時代、現在のようにネットがあるわけでも携帯電話があるわけでもない時代の場合、人民の口コミなどの方が大きく、また地方の権力者が共産主義という人類の理想を破壊しようとした時の非常手段として行ったのに過ぎない。歴史を否定するという事は、現在に至る歴史の道筋を否定することであり、なおかつ、共産主義の理想が生まれる原点を否定することになるのではないでしょうか」

 まさか、徐が共産主義の理想がどのように生まれ、なおかつ文化大革命を肯定する論拠を言い出すとは思わなかった。今田は、あまりにも偏った話を危機ながら反論をするのを抑えるのに必死であった。

 周囲を見回せば、石田清は、腕を組んだまま黙っている。町田は、このような政治的な議論にはくみしないようにしているという感じであろう。

 吉川は反論をする準備か、口を開こうとした。しかし、その時に意外なものを見た。山崎瞳が、その吉川の発言を制して石田に振ったのだ。

「吉川先生、反論は別な機械で行っていただき、石田先生から今の議論を踏まえておなはしをします」

「あ、ああ。」

 石田も話を振られるとは思っていなかったのか、慌てて話をし始めた。

「そもそも文化というのは様々なものに入るわけでありまして、その建物だけではなく建物の配置やその色合い、条里の区切り方など、様々なところに文化があり・・・・・・」

 なぜ山崎が話し始めたら吉川は息をのんだのであろうか。今田は前回の会合には見えない違和感を感じていた。