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「宇田川源流」【日本万歳!】 祭は日本人の心!というコロナウイルスからの復活

2022.07.31 22:00

「宇田川源流」【日本万歳!】 祭は日本人の心!というコロナウイルスからの復活 

 毎週月曜日は、「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや日本人の心をお話しすることによって、日本人のすばらしさを再確認し、そしてその内容が我々も共有しているということを確認して、毎日の仕事の糧にしていただきたいと思う。日本人はとかく、「自分たちに自信を持たない」と胃ことで、謙譲の文化と自信喪失を混同してしまっているので、大変に困る。日本人は現在のようなものではない。日本人はまとまればすごいパワーを持っているし、また、その力で世の中を変えるようなこともできる。日本人にはどのような自信をぜひ持ってもらいたい。そのような願いを込めて、この連載を行っている。

 さて、「夏祭り」の季節である。夏祭りは、「お盆」という先祖が各家に帰るという行事があり、その行事の中において、その先祖を迎える祭りとして発展している。もちろん、祭は神社で行うものなので、神を中心にしたものであることは間違いがない。

 そしてその祭は「歴史」に基づいて徐々に形が変化しているのである。政治的な事情や環境や文化の問題で形が変化し、その変化に応じて形を変えた祭が現在に伝わっているのである。なお、「形が変わったら祭の意味がない」というようなことを言う人がいる。それは「儀式」を「形式化」しているだけの話であり、本来は祭も信仰もすべて心の問題であるはずなのに、儀式化し、形式を重視することによって「集団における共通性」を維持しようとする。ある意味で他の集団(この場合は祭)との差別化を図るということを目的とした内容になってくるということになり実際には意味がない。もちろん不敬な態度はよくないが、自分なりに、丁寧に行うことが最も重要なのである。

 さて、その意味では相馬の野馬追は、有名であり勇壮な祭りであるが、その中でも歴史に応じてかなりさまざまな変化をしている。

甲冑競馬で騎馬武者が疾走、福島 相馬野馬追、神旗争奪戦も

 福島県沿岸部の伝統行事「相馬野馬追」は24日、南相馬市の雲雀ケ原祭場地で最大の見せ場となる甲冑競馬と神旗争奪戦が3年ぶりに行われ、甲冑を身にまとった騎馬武者が疾走した。

 甲冑競馬では、騎馬武者が先祖伝来の旗で風を切り、土ぼこりを舞い上げながら、さっそうと駆け抜け、大勢の観客を沸かせた。神旗争奪戦では、花火で打ち上げられ舞い降りてくる旗を奪い合った。

 相馬野馬追は国の重要無形民俗文化財で、千年以上の歴史があるとされる。過去2年は新型コロナウイルスのため、甲冑競馬や神旗争奪戦は中止を余儀なくされた。

2022年7月24日 16時40分 共同通信

https://news.livedoor.com/article/detail/22557188/

 起源は、鎌倉開府前に、相馬氏の遠祖である平将門が、領内の下総国相馬郡小金原(現在の千葉県松戸市)に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている。鎌倉幕府成立後はこういった軍事訓練が一切取り締まられたが、この相馬野馬追はあくまで神事という名目でまかり通ったため、脈々と続けられた。公的行事としての傾向が強くなったのは、江戸時代の相馬忠胤による軍制改革と、相馬昌胤による祭典化以降と考えられる。

 1868年の戊辰戦争で中村藩が明治政府に敗北して廃藩置県により消滅すると、1872年に旧中村藩内の野馬がすべて狩り獲られてしまい、野馬追も消滅した。しかし、原町の相馬太田神社が中心となって野馬追祭の再興を図り、1878年には内務省の許可が得られて野馬追が復活した。祭りのハイライトの甲冑競馬および神旗争奪戦は、戊辰戦争後の祭事である。

 相馬氏は将門の伝統を継承し、捕えた馬を神への捧げ物として、相馬氏の守護神である「妙見大菩薩」に奉納した。これが現在「野馬懸」に継承されている。この祭の時に流れる民謡『相馬流れ山』は、中村相馬氏の祖である相馬重胤が住んでいた下総国葛飾郡流山郷(現在の千葉県流山市)に因んでいる。

 このように、祭りの内容もまたその意味合いもかなり変わってきているものの、素晴らしい祭りとして現在に残っており、それを妙見菩薩に奉納するという神事は全く変わらない。武士の祭りではなくあくまでも「神事」なのである。

 さて、先日福島県に出かけたときに、まだ、福島県の大熊町などは、東日本震災からの復興を遂げていないということになる。しかし、その中で、祭りは多くの人を集める神事として、日本人の心、ことさらその地域の人々の元気を創設している。当然に、相馬の祭りだけではなく、多くの人が地元の祭りの復興を望みまた、その祭に関して感染防止をしながらも多くの人々を集めて、日本の文化を楽しむのではないか。

 そのような「祭」に集まり、そして血沸き肉躍るの日本人の魂こそ、日本人の結束の象徴であり、なおかつ、日本人のすばらしさの象徴ではないだろうか。