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猫コーナーあります

2022.07.31 08:25

 こんにちは。

 本日は7/31、すなわちもうあと数時間で8月ということですが、ポラン堂古書店は臨時休業中。店主は賢治学会のお仕事の為、岩手へ行き、本日は山形へと東北をまさしく弾丸で回っているようです。

 先生(店主)が山形へ行った目的が山形美術館の「ますむらひろし展」です。銀河鉄道の夜を猫のキャラクターデザインで映像化したことでお馴染みのますむらひろしさんですが、このブログでも何かにつけ触れているように、ポラン堂古書店は猫の縁があります。

 店の入り口にいる白い傘立てのポラコも猫ですし、店内全体を見ても何かと猫がいます。

 そんな視覚効果があるからか、猫のコーナーが欲しいというお客様の要望もあって、この夏から、猫特集のコーナーが設けられています。

 ということで今回は猫の本を3冊、ご紹介いたします。


ロバート・A・ハインライン『夏への扉』

 昨年邦画として映画化もしました有名な時間SFです。

 冷凍睡眠とタイムトラベルという時間を旅する冒険小説でありながら、表紙にどでんと猫がいますように、作者の猫への愛が染み渡る文章によりすごく読みやすい作品です。特に、タイトル回収となる、雪嫌い牡猫のピートと十一の扉についての冒頭が良い。


 彼は、その人間人間用の、少くともどれか一つが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。これは、彼がこの欲求を起す度、ぼくが十一ヵ所のドアを一つずつ彼について回って、彼が納得するまであけておき、さらに次のドアを試みるという巡礼の旅を続けなければならぬことを意味する。そして一つ失望の重なるごとに、彼はぼくの天気管理の不手際さに咽喉を鳴らすのだった。


 ほぼ古典とも言えるほど大名作でありながらも、このピートの愛らしい日常的な描写が作品のリーダビリティを引っ張っているのは疑いようがない。

 物語は親友と婚約者に裏切られた天才技術者の主人公が、冷凍睡眠(コールドスリープ)の広告に惹かれるところから始まります。愛猫ピートと共に三十年の眠りにつけば、二人の仕打ちも忘れ、きっと美しかった元恋人も老け、一切合切を心の外に追いやってしまうことができるだろうという考えです。

 実はこの特集を機会に初めて読んだのですが(そんな作品は毎度あるのですが)、意外なことに冒頭から約百ページ、親友と元婚約者とのひと悶着によってなかなか冷凍睡眠には至りません。ようやく冷凍睡眠となる場面もそれらのてんやわんやにより、当初の主人公の計画からはだいぶ異なる出発地点となるわけです。

 そして登場回数を含め、大変慎み深い真のヒロインの存在。

 抜け落ちたピースをはめていくようなパズル的快感が終盤怒涛のように訪れます。その中には描かれ切れない奥行きもある。主人公の奮闘の裏でヒロインがどう動いていたのか想像するのも、この物語の楽しみ方だと思います。




ポール・ギャリコ『トマシーナ』

 猫小説といえばギャリコ、これは先生(ポラン堂店主)から教えてもらったことでもあります。実際、写真の中にも『猫語の教科書』『ジェニィ』といったギャリコ作品が並んでいるわけです。

 今回は『トマシーナ』をご紹介致します。

 猫どころか動物に何の愛着もない獣医マクデューイ氏、と彼の一人娘メアリ・ルーの愛猫トマシーナが交互に視点人物になりながら冒頭は展開します。特に上品でませた性格を思わせるトマシーナの語りは可愛くって仕方がない。


 ネズミの穴の見張りなんて、仕事と称するまでのこともない、簡単なことだと思うでしょうね。いいわ、一度やってみるとわかるはず。腹ばいの姿勢のまま、羽目板にあいた小さい穴を、まるで見てないようなふりをしながら何時間も監視するの。犬がよくやるみたいに、匂いをちょっと嗅ぐだけで、またどこかへ行ってしまうなんて、そんなのは穴の見張りとはいえません。まったく、とんでもない話だわ。あたしくらい良心的で仕事熱心だと、一日じゅうそれにかかりきりといってもいいくらい。とりわけ、穴がふたつ三つあったり、別の出口がありそうだったりする場合にはね。


 一方で片田舎ゆえ、町中の動物を診察しなくてはならないマクデューイ氏は娘以外に血も涙もない。ある日トマシーナが病気になってしまうのですが、手を打たず、安楽死させることを選ぶのです。

 えっ、猫死ぬん、と思った方、待ってください。最初言いましたように、猫大好き小説家の大家、ポール・ギャリコ先生の作品です。猫が邪険に扱われはしないのです。

 そりゃマクデューイ氏にはおいおい、おめぇいい加減にせーよ、という気持ちが途中湧き上がるでしょう。父への絶望を抱き、彼と口をきかなくなる娘メアリ・ルーにも共感し、同情し、さらに積み重なるマクデューイ氏の空回りに、おめぇいい加減せーよと思うでしょう。しかし、とある人物との出会いもあり、マクデューイ氏の凍った心は溶けてけていくわけです。娘に拒絶され自らを省みて、寂しさゆえにリスに人参を渡し、話を聞いてもらおうとするマクデューイ氏をぜひ読んでほしい。

 猫好きの皆さん、絶対に後悔しないので最後まで読んでくださいませ。




藤谷治『猫がかわいくなかったら』

 申し訳ないのですが、写真の中にはありません。

 藤谷治さん、私の大好きな小説家さんですが、私が真っ先に浮かんだ猫小説だったので今回ご紹介。タイトルも表紙も可愛らしいのに、凄まじく現代社会を刺してくる、その鋭さ、裏切りはユーモラスですらあります。


 主人公は還暦を過ぎた61歳の夫とその妻、吉岡夫妻。ご近所さんに親しくしている老夫婦がいるのですがある日、そのおばあちゃんが倒れ、入院してしまい、おじいさんは少し前から入院してしまっていたのでその家には誰もいなくなります。吉岡夫妻が気にかけたのは老夫婦が飼っていた猫の存在。

 個人情報保護ゆえに老夫婦の搬送先、連絡先は教えられない。動物保護法ゆえに勝手に飼い主の所有物たる猫を持ち出すことはできない。防犯上、餌をやる為にドアを開けておくなんてことは認められない。……このままでは家の中の猫は死んでしまう。

 えっ猫死ぬん、と思った方、待ってください。

 吉岡夫妻は、警察と交渉の上、猫の世話の為にその老夫婦のアパートの鍵を預かることになります。しかしその後も老夫婦の家族ではない、ただご近所さんでしかない吉岡夫妻ですが、とにかく猫をどうにかする為に奮闘しなくてはいけなくなります。

 生活支援課である老婦人のホームヘルパーと話をしますが、同情はあれど行政がどうしようと動くことはないと回答されるなど、とにかく誰もが「猫を気にしている余裕はない」のです。それでも一度気にしてしまった吉岡夫妻は離れられない。彼らとて若いとは言えない年齢です。

 本当に見事な社会風刺だと思います。

 主人公が互いを思い合っている夫妻だけあって温かみもありますし、猫に尽くす二人のやむにやまれぬ感じも、聖人君子的ではなく、どうにも共感できてしまう。

 そして何より終盤の、タイトル『猫がかわいくなかったら』の回収ともなる全てを吐き出すような最後の文章の良さ。

 猫と人間の関係を表す文学のある種の極地としてぜひ読んでみてほしいです。




 ということで猫小説、いかがでしょう。

 私の好みもあるかもしれませんが、猫が頑張る小説などではなく、猫は終始自由気ままで、人間はそれに癒されたり振り回されたり、時に偶発的にその気まぐれが一致したかのような瞬間だけバディとなる、そんな小説ばかりです。

 しかし可愛い。猫好きを公表している作家さんはごまんといますけれど、可愛いものを可愛いと思いながら書く文章は本当に癒されます。そこにストーリーがあり、しかし猫の猫らしさを損なわないようにする気遣いがあり、それは滑稽ながらもとても奥深いのです。

 実物ではなく、写真や映像でもなく、文章でも惹きつける人間を惹きつける、猫というのは末恐ろしい。

 ともかくたくさんの良作がございますゆえ、猫きっかけに手に取ってみるのはいかがでしょうか。