帝国の時代18-イタリア軍ローマ入城
2022.08.01 11:22
イタリア北中部はサルディーニャ王国にヴェネツィアを残して統一された。しかし人民による統一をめざすガリヴァルディは、さらに統一をすすめるべく1860年3月「シチリア人へ」という檄文を出し、「千人隊」をもってシチリアへ上陸、しかしロクな装備もない隊は成功を危ぶまれた。
とき同じくして、島では反乱が発生し、千人隊へは多くの男が加入、5月14日にサレーミに到着したガリヴァルディは、ヴィットリオ・エマニュエーレ2世の名のもとシチリアの「コンスル」を宣言し、ヴェルディの「シチリアの晩祷」を音楽隊が演奏した。6月にはパレルモを市街戦の後に制圧する。
さらにガリヴァルディは、7月に本土に侵攻、破竹の勢いで8月7日にはナポリに入城した。さらに彼は、ローマを目指すが、下手するとローマの仏軍と衝突する恐れもある。そこでサルディーニャ王国のカブールは、ナポレオン3世と協議し、一足先に王国軍を教皇領に入れることにした。
ヴィットリオ・エマニュエーレ2世自ら南に進軍し、10月25日両者はテアーノで会見した。ガリヴァルディは、自ら征服した南イタリアを国王に献上し、「テアーノの握手」は愛国的美談となった。が、実際はガリヴァルディは渋々だったようだ。ともあれイタリアの統一は大きく前進した。