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マリア論オンライン講座

教皇フランシスコの言葉 ケベックの先住民の使節との集いで (2022年7月29日、ケベック・シティー市内の大司教館) (試訳)

2022.08.01 12:25

愛する兄弟姉妹のみなさん、こんにちは!

さまざまな場所からここに集まってくださったことに感謝します。

この地の広大さは、

私たちが共に取り組んでいる癒しと和解の旅の長さを考えさせます。


実際、三月に先住民の代表者の方たちが私をローマに訪ねてくださったときから

私たちに寄り添って来た言葉、

あなた方の間の私の訪問を特徴づける言葉は、

「共に歩む(Walking Together)」ということです。


***

私はカナダに、友人としてきました。

この国の先住民の人々がどのように暮らしているのかを

見て、耳を傾け、学び、尊重するために。


私はツーリスト(観光客)としてではなく、兄弟としてきました。

地域のカトリック教会の人々が長年にわたって生み出した

善い実り、悪い実りを、私自身が見出すために。


私は悔悛(痛悔)の精神で来ました。

少なくないカトリック信徒たちが、

あなた方に対する抑圧的で不当な政策を支持することで、

あなた方にもたらした悪に対して、

私たちが教会として心に抱いている痛みを表現するために。


私は、限られた身体的能力の中で、巡礼者として来ました。

あなた方と共に、あなた方のために、さらなる一歩を踏み出すために。

真理の探究において前に進むために、

癒しと和解の道を促すことにおいて前進するために、

兄弟として、調和のうちに共に生きることを望んでいる

先住民の人々、先住民ではない人々の未来の世代のために

希望を蒔くために、前に進むために。


***

この密度の濃い巡礼を終えようとしている今、

皆さんに伝えたいのは、

私がこれらの望みを抱いて来たとすれば、

私はより豊かになって家に帰るということです。


なぜなら、私の心に刻まれた人々、

心の中に残る顔、笑顔、言葉、

忘れることの出来ない物語、場所、

私の中に強く反響する音、色、感情でなされた

比類のない宝を、心に運んでいるからです。


私は心から言うことが出来ます。

私はあなた方を訪問しましたが、

あなた方の現実、この地の先住民の現実が、私の魂を訪れたと。

それは私の内側に入り、いつも私に寄り添うでしょう。

もしこう言うことを許してくれるなら、

今、ある意味で、私もまたあなた方の家族の一員であると感じ、

それを誇りに思います。


異なる世代、多くの先住民の家族と共に過ごした、

聖アンナの祝日の記憶は、

私の心の中に忘れられないものとして残るでしょう。


不幸にも、しばしば個人主義的な世の中で、

あなた方のところにある、家族の感覚、共同体の感覚は、

どれほど尊いものでしょうか!

そして、若者と高齢者たちの間の絆をはぐくみ、

被造物全体との健全で調和のとれた関係を守ることは

どれほど大切でしょうか!


***

愛する友人の皆さん、

私たちがこの数日間に経験したこと、

これから私たちを待っている歩みの継続を、


主に委ねたいと思います。

そして、それらを、

人生における大事なことを守ることを知っている人の気遣いに

託したいと思います。


私は女性たち、特に三人の女性たちのことを思います。


何よりもまず聖アンナ。

聖アンナを、祖母たちを敬う神の民とともに崇敬しながら、

私は彼女のやさしさと保護を感じることが出来ました。


二番目に、聖なる神の母を思います。

彼女ほど巡礼者と呼ばれるにふさわしい人はいません。

なぜなら、つねに、今日も、今も、歩みの中にいるからです。

天と地の間を歩み、神の名で私たちの世話をし、

私たちの手を取って、御子のもとに導いてくださるからです。


そして最後に、この数日間、しばしば私の祈りと思いは、

三人目の女性のもとに行きました。


ここからそう遠くないところに遺骨が保存されている、

柔和な存在で私たちに寄り添ってくれた女性。

それは、聖カテリ・テカクウィタ(Kateri Tekakwitha)のことです。

[聖カテリ・テカクウィタ(1656-1680)は、北米の先住民で初めて列聖された]。


私たちは彼女の聖なる生活を崇敬します。

けれど、祈りと労働における模範的な献身と、

多くの試練を忍耐とやさしさをもって耐える能力によって

特徴づけられている彼女の生活の聖性は、

自身の共同体と、彼女が育った先住民の環境から受け継いだ

ある種の高貴で徳の高い特色によって可能にされたことを

私たちは考えずにはいられません。


***

この女性たちは、一つにまとめ、

最も弱い立場の人々の権利を保障し、

恨みも忘却もなしに歴史を見つめることを知っている和解を

再び織り成すことを助けてくれるでしょう。


その中の二人、最も聖なるおとめマリアと、聖カテリは、

神から、人生の計画を受け取り、

他の誰に尋ねることもなく、勇気をもって「はい」と言いました。


彼女たちは、その計画に反対するすべての人々を悪く言うことも出来たでしょう。

または、神ご自身が彼女たちの魂に刻み込んだ夢のために戦うことなしに、

当時の家父長制の規範に従属したまま、あきらめることも出来たでしょう。


彼女たちはこのような選択をせず、

柔和と堅固さをもって、

預言的言葉と断固とした行い(ジェスチャー)をもって、

道を切り開き、託された召命を果たしたのです。


この女性たちが、私たちの共通の歩みを祝福し、

私たちのために執り成してくださいますように。

神に喜ばれる、この偉大な癒しと和解のわざのために、

執り成してくださいますように。


あなた方を心から祝福します。

そしてお願いです、これからも私のために祈ってください。