善立寺ホームページ 5分間法話 R⑤ R4.8.3日更新
妙好人 浅原 才市(みょうこうにん あさはらさいち)
〇あさましや 俺の心は 魔道のこころ
妻(かかあ)の心も 魔道のこころ あさましや
おのれおのれと ね(に)らみ合ひ
これが地獄の証拠よ
あさまし 南無阿弥陀仏
〇あさまし あさまし
あさましはどこにいる
あさましはここにおる この才市
あさまし あさまし
あさましが くよくよと
あさまし あさまし あさまし
〇はらがたつなら ねんぶつもうせ
ぶつぶつぶつぶつ なむあみだぶつ
今回は、妙好人、浅原才市について記します。妙好人とは、浄土真宗在家の信者で篤信の人を指して呼ぶ言葉である。才市は時代の名をとって昭和の妙好人とも、生まれ育った土地の名をとって石見、山陰の妙好人として名高い人である。
才市は嘉永3年(1850)に現在の島根県大田市温泉津町小浜に生まれ、昭和7年に83歳で亡くなった。若いときは荒っぽい船大工で、酒と賭博に溺れた生活を送っていたと言われる。33歳のとき本願寺でお剃刀 (おかみそり・帰敬式)を受け、法名・釋秀素を授かるが、まだこのころは信仰心が篤かったようではない。50歳ころに下駄職人になり小浜に定住した。才市が45歳のときに父が亡くなった。「親父の遺言、南無阿弥陀仏」――父の死後、才市の求道の念は次第に深まり、聞法に聞法を重ねる日々が続くようになった。そして60歳を過ぎたころ、近くの安楽寺、梅田謙敬住職の教化も受けて才市の心は明るく開け、この世には絶対のまことの心が自分に働きかけ、そして自分を包んでくださるという感動が知らず知らずに「南無阿弥陀仏」と口からあふれ出るようになった。そして、カンナを動かしていると心に浮かぶ信仰の境地をカンナ屑や下駄の端切れに書き留める報恩感謝の日暮らしが続いた。冒頭に記した詩は才市が詠んだものである。
寺子屋にも行けず、文盲の才市がたどたどしい文字で詠み記した詩は推定一万首を超えると言われるが、その詩が禅の大家、鈴木大拙師の目にとまり、世界宗教家会議の場で紹介され、片田舎の才市は一躍世界の人となった。
そのころ、温泉津の長老たちが、信仰心の厚い才市がいたことを後の世に伝えるために肖像画を残そうと決め、地元の画家・若林春暁に依頼した。肖像画が出来上がったとき、その画を見た才市は「わしにちっとも似ていない」と言った。「どこが似ていないのか」と春暁が問い詰めると、「わしはこんなうるわしい信者ではない。鬼のような心の持ち主で、人を突き刺し傷つける恐ろしい角(つの)を心に持っている。そういう浅ましいわしが少しも描かれていない。わしの頭に角を描いてくれ」と言った。春暁は言われるがままに画を描きあげたと伝えられている。
親鸞聖人の著書『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』の中の「愚禿悲歎述懐(ぐとくひたんじゅっかい)」を読むと、「虚仮不実(こけふじつ)のわが身にて」(うそ、いつわりに満ちた不実なわたし)「貪瞋邪偽(とんじんじゃぎ)おおきゆえ」(内は貪り、邪な心多い故に)「心は蛇蠍(じゃかつ)のごとくなり」(心は蛇のようにしつこく、またサソリのようです)と、救いようのない自分への嘆きの思いが述べられている。実に厳しい自己凝視のお心である。才市の肖像画は、自らの悲歎述懐の心を絵に描いてもらったものであろう。
才市の菩提寺、小浜にある浄土真宗・安楽寺に参拝すると、本堂の北側に才市記念館が隣接されていて、遺品とともにその肖像画も展示されている。画は、小柄な体格の才市が肩衣を着て正座し数珠を持って合掌した姿である。よく見ると、誠実そうな表情の頭の上には左右に二本の角が生えている。
頭に角のある肖像画を残そうものなら、人びとから顰蹙(ひんしゅく)を買い、避難されかねないと思う。そのことを承知の上で春暁は描いたと推察する。その因は、才市のことばから、春暁自身も、心の中に角か生えた「邪見驕慢(じゃけんきょうまん)」(『正信偈』=浄土真宗の日常のお勤めの聖典』の中の言葉)な自分の姿があることに気付き、納得したからに相違ない。才市は信心をいただいた人、春暁はその教化を受けた人である。
才市の肖像画の前に立つと、思わず身が引き締まる。私の心の中にも、牛かサイのような角や牙が生えている。身体は栗のイガで覆われていると気づかされるからである。
私は大学時代の親友が島根県江津市桜江町で浄土真宗寺院「正蓮寺」の住職を務めていた。その友は42歳で急死した。葬儀参拝の後と年回法要のあと安楽寺を二度訪問したが二度とも寺族はご不在で、本堂前で合掌して帰宅した。
その後、その友人宅のお墓参りに出掛けた帰途また安楽寺様に立ち寄った。「三度目の正直」―前坊守様がご在宅で才市記念館に案内していただいた。参拝者は私のみであった。
たった一人の私に丁寧に説明していただきながら、「どこから訪ねて見えましたか」と、問われた。私は、「兵庫県の但馬の国、出石町から参りました」と返答した。前坊守様は「えっ!」と言って、驚いた表情をされた。仏教語で言えば「有難いこと=有り得ない」ようなことが生じたのだ。そのあと庫裏に案内され、驚かれた経緯を伺うことになった。「縁は異なもの不思議なもの」である。その後、安楽寺様ご寺族とは長い間のご親交を続けさせていただいている。
才市さんの詩は、以後2回にわたって、ホームページで紹介します。次回は9月23日の秋分の日に更新予定です。
皆さまには、新型コロナ感染予防と熱中症予防に努められてお過ごしください。