イスラエルのカフェ事情
テルアビブのカフェをまとめてくれているサイト
もしかしたら、めちゃんこ面白かもしれない。
テルアビブにいる人たちに話しかけることが可能だとしたら。
discovering coffeeっていうマップに、
テルアビブのカフェはだいたい書いてある。
美味しいカフェ、ロースタリー、勉強できるカフェなど。面白い
こんな感じ。
お店もこんな感じのところもあるっぽい。
日本でいう喫茶店的なポジションかな?
people watchingするにはベストのカフェはどこか?!
という記事があるほど、テルアビブは、持ち帰り文化が無いらしい。
みんな座って、people watchingしながら軽く飲んで帰るらしい。だって、椅子が全部道路向いてますもん、、やばい面白いかもしれない。
無料の美術館に行くのがデートコースに入ってるのがもう素敵すぎる。
そして、やっぱりカフェが素敵すぎ。
やーばい。こんな感じなのね。
そもそも、イスラエルにコーヒーが広まったのは、なんとヨーロッパよりも早い。
《1470-1500年》 コーヒー飲用がメッカとメディナに広まる
1400年代後半には、エチオピアからアラビアのイエメン地方に、コーヒーノキが移植されました。イスラム教は、経典のコーランで、飲酒が禁じられていることも手伝い、コーヒーは飲み物として、メッカやメディナで爆発的に流行しました。
いや、面白い。
初のコーヒーハウスは、もちろんコンスタンティノープルの時代なので、
メッカでは、お店としては成り立ってなかったのだろう。
あー。小林さんのコーヒーハウスで読んだが、忘れてしまった。
15世紀以後に「カフワ」はイエメンからイスラーム世界に広まる[26][25]。イエメンの古都ザビードでは、1450年頃にスーフィーによってコーヒーが飲まれていたことを証拠づける考古学的資料が発掘されている[27]。16世紀初頭には、カイロのアズハル大学でもコーヒーが飲まれていた[26]。16世紀初頭のメッカ、メディナ、あるいはカイロのモスクではコーヒーを飲みながら礼拝を行うスーフィーの姿が多く見られたが、同時にコーヒー飲用の宗教的な是非が大きな問題となった[31]。1511年にはメッカで高官ハーイル・ベイ・ミマルによってコーヒー飲用の是非が諮られた後、メッカ内のコーヒー豆が焼かれ、コーヒーを売買した者や飲用した者は鞭打ちに処されるコーヒーの弾圧事件が起きる[32][33][34]。翌年にカイロから「コーヒーの飲用に随伴する反宗教的行為の取り締まり」のみを許可する通達が出され、ハーイル・ベイ・ミマルは職を解任された[35][36]。1525年/26年には風紀を乱すとしてメッカ内のコーヒーハウスの閉鎖が命じられたが、コーヒー自体の飲用は禁止されなかった[37]。 だが、コーラン(クルアーン)では炭の食用が禁じられており、煎ったコーヒー豆が炭に酷似している点から、コーヒーの飲用がシャリーア(イスラーム法)に抵触している疑義[38][39]、あるいはコーヒー自体がビドア(宗教的逸脱)に該当する懸念のため[39]、コーヒーの飲用に対する反対意見はなおも出続ける。また、コーヒーを供する店が政治的な活動の場、もしくは賭博や売春の場となりえたために国家から嫌悪される[40]。コーヒー弾圧の後もカイロやメッカではしばしばコーヒーの禁止令が出され、コーヒー店が襲撃される事件も起きる[41]。コーヒーの産地であるイエメンでは、コーヒーとカートに互いの正統性について論争をさせる文学が現れた[42]。
やっぱり、脳を刺激するから問題になるんだよな。
それにしても、炭とコーヒー豆が似ているというのは、面白い。
スーフィーというのは、徹夜で瞑想をするからコーヒーを必要としたらしい。面白い。
食後のコーヒーもミルク抜きか植物性のコーヒーフレッシュを使ったりします。
そうか、牛乳はダメなのか。そうかぁ。
それでもラテアートがテルアビブでは広まってるって面白い。
もしかしたら、テルアビブとエルサレムでカフェ文化が違うかもしれない。その辺注目してみるのもあり。
イスラエルではコーヒーを飲み口ぎりぎりまで入れる。
イスラエル、カフェでもインスタントコーヒーが普通に出てくる。 「ネスカフェ」が普通に出てくる。
やっぱり、ネスカフェって、すごいわ。
待てよ、イスラエルワインも面白そうだぞ。
という感じです