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斜光のソル

2022.08.06 00:30

冒頭)仙台作並温泉の様子は、続いていく、京都での伏線。蝶の採集で訪れたが、、

そこで、出会ったのは、静止するカタクリと食草のウスバサイシン。登校中の小学に、2週間の遅れだった。 ヒメギフチョウは旅館の裏手の斜面で採集。

 作並の旅館の奥の澤は、みなカタクリの絨毯

4月過ぎ5月のホトトギス鳴きしヤマザクラの葉のみの名残に、薄紅の川辺のしだれ桜の花びら1つ落ちて雲はなくコブシとヤマサクラの白に溶けている。

 碧は旅館の橋のほうへ降りていった。先程すれ違った登校の生徒の歓声はどこかの山の林に吸われ消えていた。しんとするカタクリユリの群生を拝見してから旅館に戻った。

 4階の南西の隅の部屋、12畳の6畳続きに、碧とわたしは新婚のように過ごしていた。

仙台市街から45分の電車の経過を必要として、着くここであるがすでに山懐に入っているのは面白く、山は散歩にふさわしいたいしたものである。峠越で庄内へ、道は途中山寺を抜ける。そのうち行ってみようかと思う。

碧は窓のせり出しに腰をかけて、長身の軽いからだから細い足を横に投げ出して座っている。端正な顔は特徴のある少し灰色がかったつりあがった目が行儀よく納まっており、少し薄い唇はピンク色をして白い歯が覗いている。鼻梁がすっと、おもての空気を捉えているのが初々しい。私は大学の講師の仕事を一年間休んで作並に来ていた。大学の職は、私が望んだものであったが、家の事業のほうを継ぐ義務が最初からあり、講師の仕事は一時的なもので、事情は切迫してきていた。そろそろ家業のほうを覚えないと、継ぐのが難しくなるというので、ここ二年の猶予をもらってきたばかりだった。自分では大学での研究を続けたく、さんざん主張してきたのだが、この事態で研究の意欲まで失ってしまった。四十五歳という年齢ですでに自分の夢はなくなっていた。十八年の講師生活にピリオッドを打ってしまっていた。いまここにいるのはその間に貯めた金での放蕩だったのだが、金の工面なら家に頼めばいくらでも可能で、いつのころからか自分の貯金には手をつけずに、仕送りで生活していた。もっとも、生活といえるかどうか、仙台の山に引きこもって物書きをしているに過ぎないのだから。

 仙山線作並駅から、歩くと15分かかる、この桜の橋を渡ってからもう5日になる。

翌朝、風呂につかって浴衣で外に出ると芸子に会った。碧と同じ眼をしていた、すぐに伏せ目になり別の旅館のほうへ消えてしまった。同じ深くつりあがった目であったので思わず声を出そうとしたが、危うく止った。黒の着物の衿の白い襦袢が白く日差しに焼きついた。旅館の女に聞くと、仙台の本町の芸子だろうといわれた。気づいたことがあったのは着物に薄い桜の花が描いてあったことだった。色は赤と紫と青に思えた。目の前の碧の白地の紬の豪華さとは違う質素なものだった。

 碧が髪を整えるのを待って仙台へと仙山線の客となった。多少の購入のためのみであったので、2時間ほどで作並に戻ることにした。青葉城は美しい水の都だが町はくすんだ地味なところだ。駅から歩いていくと鳥が山のほうを飛んでいる、尾の形からトビではなく鷹らしかった。ピーという声がした。鷹は碧の横顔を過ぎて山のほうへ隠れた。芸子が3人連れですれ違って駅のほうへ登っていった、着物は色物で黒のものはいなかった。あの芸子ほどの別嬪は中にいなかった。田舎芸子だからといって美人がいるものでもあると思っていると、碧に手を引っ張られて橋のほうへ下っていった。

 旅館に着くと早速、旅館のものに頼んで谷崎潤一郎を借りて部屋で読んでいると奥のほうで声がしたので本から眼を移したがまた読みふけった。





AS TIME GONE BY


食草のウスバサイシン



吸蜜のカタクリ。

あの地域は何か自然の保護の意味があり、確かなにかのジュン林のためであった。それで土地の掘り起し中だった。

 薄い紫の唇に、春の生命のように二つの胸がクット張っていた。

「東京の人?」

もちろん東京からと分かっているはずなのに、なにか別の意味があり、当然当時のそのあたりの戦後の事情と無関係ではない。

朝起きると、天童の金銀の駒が机の上においてあった。碧がやったものであることは確かだが、碧はいなかった。床はすでに上げられて、自分の寝床だけだった。

碧が盆にチャと菓子を載せて帰ってきた

「金と銀ではすこうし背が違うのね」

「また駒のことで君と言い争いはできないね、おかしいよ、そんなことを君が言うなんて」

とにかく笑ってしまった、顔が違うに違いはなかった。

 仙山線の音が窓から響いて、また、作並の一日が始まる。すべては山懐に帰っていく。

もう東京に戻る気はしなくなっていた。

 5月下旬になり、新緑も青葉に変った。逗留の軍資金がなくなってきたので、東京の実家に、電報を打った。とりあえず百万送れと書いた。碧が白のワンピース姿で二階に上がってきた。手に白い帽子を持っている。これから、仙台の繁華街に遊びに出るところだった。

 綺麗に化粧した碧に見とれていると、いたずらっぽい眼をしてジっとこちらの顔を見た。

つれて歩くには、十分な美人だとあらためて碧の美しさに目が細くなり、自分の若さに少し驚いた、これくらいの年になると、自分がどう見られようと良いのであるものだが、連れ合いが若い美人であるのを見せびらかしたくなったからである。

「約束よ、ユリの浴衣買うんだから、ねえ良いでしょう、たまにしては、だって、あなたはいつも、逆を言うから」

「ばかか、そういうことはないだろう、あの女のことでもないし、仙台は今日行くことになるのだから」

ひさしぶりの、ショッピングということで女の子らしくはしゃでいる。宿泊といっても毎日、文章ばかり書いている私にとってのただの道連れではやはり嫌だろうと思っていたところだった。巾着のバッグを持った碧といっしょに駅に向かった、わたしは手ぶらである。

電車に乗る前にお茶を買ってぶらさげた。狸が徳利をぶら下げているみたいでおかしいといっていた。ホームで電車を待つが20分経っても来ないので、煙草をさがしだしたが、どうも忘れてきたようで、もそもそしていると碧が巾着の中から煙草を出した。

「わすれるやろうとおもって」

「いつものことやろ、同じ煙草ではないといいそうね」

我ここにありまでにはいかないが、ちらりと舌を出した。

 仙台の街を二人で行く、長身の碧は白いワンピースに帽子が初夏の雲のように健やかで晴れやかである。街を縦横にして目的の着物のある店にたどり着いた。

「これ、どうやろ、菖蒲柄も好きやなあ」

「あなた、またそういうのは嫌いや、君の好きにしたら良い」

「なら、あそこの生地をなんで見てるのです、これのほうが良いに決まっているし、いつもの風にというの」

紺地に白のユリのものがあったので、店のものに話しかけると、碧は薄黄に赤いユリのものを見つけて見ている。

「赤いユリ、オニユリやろ」

「正しい、からってまた言ってる。困るのは君だろう、結局、あそこの店のことだろう」

結局、オニユリの浴衣を着た碧と作並に帰ることになった。店で着替えるときに、奥で店のものとごちゃごちゃいうので、早くしろといったら。見にこいというので着替えに手伝わされた。

「帰るで、あんた」

「これ以外に重いよ、手が痛くなりそうだ」

すっかり女房気取りである。

 仙台駅で釜飯弁当を買って乗った。うまいだろうかと聞くと、高かったからおいしいに決まっているそうだ。そういうものかもしれないが、パクつくところはオニユリの浴衣の美人には似合ってなかった。窓に雨粒が降ってきた、梅雨に入る。

 雨が続いた、もう五日間宿から出ていない、二階の部屋から見えるヤマアジサイが雨に濡れて、白くぼんやり浮かんでいる。そこに、傘をさした碧がでてきた、声を掛けようとして思い止った。ヤマアジサイの中を歩いていく姿を見て、カメラを取り出し撮影した。

シャッターの音が響いたのか、碧がこちらを見つけた。手を振ると、笑って

「ここにこない」

「おいおい、4階からだよ、声も遠いし、聞こえるのかそんな格好で」

と、紫陽花をさす。きれいな紫陽花と白い顔に黒のワンピースの彼女にもう1枚写真を撮影してから、4階を降りた。

 下駄で紫陽花の植え込みのほうへ歩いていくと、小走りに駆け寄った。息が暖かくあたった、気温が低く強く感じ取れた。傘をひとつにしてヤマアジサイを見て回った。足元の雨は気にならないほど彼女を感じた。顔を花に寄せさせて写真をとった、すっとした鼻と妄光を見せるヤマアジサイの白い花弁が同じフォルムで競うように見えた。唇がほの白く軽くあいている、きれいに結い上げられた髪がしっとりと雨を吸っている光景に、手がしびれる気がした。

「きれいだねえ、君も紫陽花も、梅雨時の夢のように見えてるよ」

「嫌なことばかり言うのね、きっとあの花が好きなのだわ、そうよ、そうに決まっている」

と、いうと。帰ろうといって旅館のほうへ行こうとするので、自分の傘をさそうとすると体を離して、ささせるように促がした。ゆっくりと戻っていくと、碧の細い長い脚がワンピースのすそから軽く歩を踏んで行く、たゆみのない歩き方で先に行こうとして、こちらにあわせてくれた。

「長い雨だねえ、上がったらどこか行こうか、そうしてみよう」

「どこなの、そこって悪いことに逢わなければ良いのに、嫌よ、変だわ」

どこか、北のほうが良いといって、陸中の小国なんかの話をし始めた。東北の観光については長い間、作並にいるうちに随分調べたらしい。

 晴れた、ヤマアジサイにメスグロヒョウモンが来ている。

「あの黒いの、なんていうの、普通茶色だよね、それに大きいね、あれ裏側、碧と同じ緑色だよ、緑色で表が黒いんだから蝶じゃないよね」

「そうだ、黒いからだっていうことでそういうのだろう、決まっているだろう、きみのことだし、気違いなんていわれたりしそうだ、」 

メスグロヒョウモンがゆっくりと吸蜜を繰りかえしている。写真を撮ろうとして、カメラにマクロをつけていると、再び窓を見たらいなくなっていた。奥の旅館の裏手にいったらしい。チョウの質問攻めにあって、結局、あれが蝶だと納得してくれた。メスグロヒョウモンをはじめてとったのは小学校4年のときで6年の男の子があそこに変なのが飛んでいる、と、一時間もかけて採集したもので澤筋のミズナラの木の上を何回も大きく旋回して手元に来たのを採集した。はじめてみるメスグロヒョウモンは非常に美しかった。三角紙に入れて見せてくれたとき、なんのことかまだ飛べたらしく、パシと紙を打って飛び離れてしまった。一時間もかけてやっととったのにと、わたしを恨めしそうに見た。

「お前が見たいというからだ」

「おまえのせいで、あっちに飛んだだろう」 

その後、六年のときに近くの林の中で友達と争って一匹を採集した。メスだった、その年、母の実家である岩手に行ったとき、祖父に連れられて川につりに行ったとき川べりを力なく飛んでいるのにあった。川での釣りは全くの坊主で、魚が泳いでいるのが見えるのに全くかからない、田んぼのあぜ道を帰った。石を起こすとオケラがいたのを覚えている。

 祖父は医者で無医村にいて診療をしていた。覚えていない祖母は大変な美人だったらしく、写真はめがねをかけていて、6年の私には美人には見えなかった。当時、どちらかというとタレントの濃い顔が美人だと思い込んでいて、そういう評価になったらしい。庭は広く色々な果物が取れた。昆虫に興味があったので自然の環境が故郷の山は全く異なる、その中で見る昆虫の種は全く新しく見えていた。ゲンゴロウ、タガメ、フウセンムシ、みな初めてみる虫だった、スモモの木にはカブトムシが来ていた。郷里ではほとんどクワガタしか取れなかったので、目が輝いたものだった。家の二階の空き部屋には明るい窓の中でたくさんのヤンマや蝶が入っていたのは今考えると不思議である。

 碧に大学の恩師である藤岡知夫氏のチョウの検索図鑑を渡した。

「これに、全種類載っているよ、白黒だけどね、全て正確だ」

緑色の縦長のビニールの表紙の本である。

「スミレ食べるのね」

「ナンだって食べそうにいうのか、僕のことだけじゃあない、葉のことだから」

スミレを食べようが米を食おうが人間じゃなんだからたいしたことではないではないか。

 ヤマアジサイにウラギンヒョウモンが来ている。まずいことにこのあたりはチョウの豊山地だったのにきずき、嫌な気分がした。

「アサギマダラってきれいだね、採ったことあるんでしょう、ねえ大体何種類くらいとったの、50くらいかな、ふふふ」

何種類でも良いだろうと思う。

「ここまでが、その種類だ、数えることばかりなんで面白いし、大変なんだよ」

実際、100余りしかとっていなかった。

「ねえ、60くらい・・・」

嫌気が差した

「105だよお」

「蝶殺し!」

人を殺したわけではないのだから・・・・・・・・・・・・・

「オオムラサキ、何匹殺した!」

「40っぴき」

「ゆるさないよお」

「蝶殺しは人も殺すんだよ」

とりあえず

「人殺しの刑は、あの日のことだし、なぜそう思った」 

雨が上がったので小国へチョウセンアカシジミを見に行くことになったしだいだ。

旅館のヤナギにコムラサキが来ている。昔、郷里では沢山いたが、鬼怒川の下流でクロコムラサキを取ったことがある。これは遺伝型で劣性形質のもので、上流の温泉郷にはこの地帯があるのが有名だ。幼虫もナメクジの3令をとったが、ボール箱に入れている間に落としてなくしてしまった6年のときである。部落の周りには柳が多くコムラサキは沢山取れた、メスとオスの数は同じで飛び方も同一である。裏面の白いところが好きだった。6年前、大菩薩山にいったときに無数に飛んでいたが、旋回が小さかった。舗装道路の峠でジョウザンミドリを見つけた。途中はクロアゲハが飛んでいた。三種類のハナカミキリとアオカミキリをとった。後者はポイントのヤマアジサイに来ていたものだった。このポイントで待てば相当の種類が得られただろうが、帰りにへばって、行きも先を急いだので損をした。帰り道でノコギリカミキリを採った。問題はこのあたりにフジミドリがいるかだろう。それに7月上旬にはオオイチモンジの飛翔も見られるかもしれない地帯でもある。アサマシジミの可能性もありそうだ。

 ついでに、この後の採集についてふれておくと、実は10月になったと思う。

以前、といっても学生時代だが、訪れた上野原の落合である、一色温泉手前の斜面でジャコウアゲハが多産し、ウラゴマダラシジミやオオムラサキも取れる場所に行ったのだが、

ヤマトシジミがいただけの秋の山であった。

 碧を連れて、小国に立った、村の周辺の背の低いトネリコにチョウセンアカシジミが発生するのを見るためである。午後4時になってオレンジ色のゼフィルスがトネリコの上を飛び始めた、近寄ってみることしてトネリコの枝の見えるところで、やっと葉に止っているチョウセンアカシジミが確認できた。撮影もできたがうまく写っているか分からなかった。意外に綺麗だと碧が感想をいう。小さな蝶だが確かに綺麗である。天然記念物に指定されており採集は出来ないのは当然だ。

「ウラキンシジミとどこが違がうんや」

「全部だ、驚いたろう、ええ、これだけだ、取ってしまえば結果は、そのことになるし、あそこのことは言わずにいたので、そういったわけだろう、」

差異は、表面がウラキンでは濃茶であるのに対しオレンジ、裏面は前者が金色であるのに、やはりオレンジで食草はともにトネリコである。わたしがウラキンシジミを採ったのは群馬県の三国峠で、峠道の脇に止っていた。この峠の下に法師温泉があり、6,7月ゼフィルスを豊産する。このとき法師温泉から登ったのだが、渓流沿いにゼフィルスが発生していた。法師温泉は春先4月下旬から5月にかけてトチノキを食べるスギタニルリシジミが発生しわたしも、メスを採集した時期は覚えていないが、東京都の小菅村の林道のワサビ畑のポイントで多数採集したときは全部オスで法師温泉でメスを初めて採集した。高校1年のときに南アルプスの広河原にクモマツマキチョウを採集にいったときに、あった蝶やがスギタニルリとルリシジミの差は羽の形だといっていた。九州産亜種の色は確かにルリシジミと差異はなく形というのも頷ける。ともあれ、無事チョウセンアカシジミを見ることができて作並に帰った。

 作並の旅館にて

碧は検索図鑑を随分見たらしく、色々覚えていた。それまでは東北の観光案内しか読まなかったからだいぶ違う。竜飛岬の話が出たが、津軽は太宰治の故郷で、彼が酒を飲みながら、友人とあのあたりを旅して歩くというのがある。作並からだと遠い。弘前のある陸奥湾を東にするわけであるが、原子力船の母港にもなっている。反対側の下北は有名な恐れ山があり、弘前を見下ろしている。このあたり一帯にカバイロシジミが発生する。北海道のものが飛来して土着したのだろうが、本州ではここのみである。ゴマシジミもいる。

 東北のヒメギフチョウは岩手の繋温泉あたりが北限で、盛岡のそばの高洞山にも多産するが斜面がきつく採集には向かない。この南にいくとギフチョウとの混生地があったりする。最初のことだが作並は4月中旬、ヒメギフチョウを多産するので有名である。食草のウスバサイシンも多く春先には旅館の裏手で沢山取れる。碧にわたしのとったヒメギフチョウとギフチョウの写真を見せたが、以外にさっぱりしているという。写真では質感が分からないのである。春の女神ともいわれるヒメギフチョウで、沢山の写真の対照になってきた。4月下旬にはウスバサイシンの裏に真珠のような卵が産み付けられている。

 7月になって、山形へ抜ける国道を、碧と歩いた。沢山の樹木に囲まれた山道はシーンと奥州の風情をたくわえている。蝶の柄の入った着物姿で後をついてくる。途中、持ってきた、冷やしたお茶を飲んだ。鳥のさえずりの中で開放された気分になれ、歌を口ずさんだ。

碧も一緒に歌いだした。声が山に吸い込まれていく。

 危険な島々谷に入り、鰍沢の岩魚止の小屋での一夜を明かし、早朝、ゼフィルスの乱舞を見る。碧もいっしょだ。

「あの小屋って、なんていえば良いの、小さくて藁くさい、窓だけが2つもあって」 

「檜だよ、それに、左手の、ここが覚えている」

最後のたびになった、わたしは碧と別れ、碧は京都へ行く。



 危険な島々谷に入り、鰍沢の岩魚止の小屋での一夜を明かし、早朝、ゼフィルスの乱舞を見る。碧もいっしょだ。

「あの小屋って、なんていえば良いの、小さくて藁くさい、窓だけが2つもあって」 

「檜だよ、それに、左手の、ここが覚えている」

最後のたびになった、わたしは碧と別れ、碧は京都へ行く。

「お嬢様、午後にはお帰りになるよってに、この包み、旦那さんの別邸にお届けくださいやし」

代吉のわたした青の唐草模様の包みを手に、受け取り

香乃は、代吉のことばにあいづちをうった。空は曇っていた、午後には小雨が降りそうだった。蛇の目傘をかかえて路地へ出て行った。仏光寺の横手の家に入る。御影石のせきすいの水を、かかっているヒイラギをよけながら、柄杓で手を洗って手ぬぐいでぬぐってうちへ入った。

 萱の格子のうち仕切りの向こうにいる気配に声を掛けた。

「あの、香乃どす」

矢崎の主人が出てきた、矢崎は父の知り合いで、いかつい顔で出てきた。香乃の家の門飾りの大工仕事が終わったので、手ぬぐいを1つそろえてみようと出向いた。話はあらかじめ1週間経っていた。

「これどす」

5本の柄違いの手ぬぐいが盆の上に並んでいる。

1つ1つあらためてから、引き取った。

桜、百合、菖蒲、はなみずき、芙蓉の五つのガラが、それぞれの、色彩で清清しく描かれている。

「明日は春日祭やてにお気をつけて」

通りは、少し人が多くなっていて、様子も祭りの気配がしている。香乃は春日祭のときに父を失っていた。

 家の板塀に水が打たれて、黒くなっている下の流れには椿の花が2つ3つ緑の葉と一緒に小刻みに射す光の中で歩くように下手のほかの水路との出会いに下っていく。濃淡の赤と清水の青がうまく分かれて見えてこないのに、眼を細めると、中から代吉が出てきた。

「お帰りなさいやし、少し暑うなってきましたので水を打ちよってに」

「そないねえ、塀が生き返りよる」

古くなった板塀に水がかかって黒くなっている。

かわず門の取ってにある桟に指がこすれるようにかかり、戸が開いて、中の紫陽花が覗いていた。門に施された細工は、透かし彫りの花鳥で、相場では偉く高いものだったが、好意で格安の謝礼で済んだ。もともと、つつじとサツキが植えられていたのだが、父の茄吉が散々手を入れた後で、今の紫陽花の植え替えられたので、少々、殺風景な門うちの庭になっていた。玄関までの5つの踏み石も水が打たれて石の地の色が浮き上がっているのを、白地に銀葉の雪駄で乗りすぎているうちに、代吉が入って来た。

 ガラとして門が閉じ他の白と黄色の花の中を香乃といっしょに代吉がはいった。代吉がうえた、れんぎょうと白いあやめがうまい具合になるように、とは行かずに置かれていた。

玄関に入って、上がって右手の二十畳の売り場の横を抜けて茶の間に入る。茶の間は8畳の狭い部屋である。葛きりを食べながら、引き取ってきた包みから1本、1本手ぬぐいを手にとって見ていると、生地の綿の軽く痺れるように白い織り地に中指がかかってすっと音がした。硬く織られた木綿の糸の、手でよった荒い感じが、音にしてみれば絹の羽二重のすれるようにした。

白く細長く伸びた、香乃の手は24歳の年にしては大人っぽく光沢があった。母よりも父の手を受け継いでいた。顔は小さく細面で、目が大きく口元が可愛い。

「明日、祭り見るよってに、代吉もいかへん」

香乃にとって、つれて歩くに丁度良いのはいつでも代吉だった。

代吉は用があるからというので、仕方なしに一人で行くといって、奥へ着替えに入った。

夕方、浴衣姿で近くの散歩に行った、青地に白と黄の百合の模様の内に薄紅の襦袢で造作もない様子で出かけた。すずみだと言うことにした、雲が赤く黄紅の丹頂のように、東に低く、その中に建物の影が見えている、黒く沈んだ古風の作りである、気づくと清水に蛍が1っぴき黄緑の光を描いて飛んでいるた。三秒間隔の点灯を繰り返して、止りなおしている。あの、連鳥居の女のようやと思った。

 鳥居参道の中に一人でかかえものして小走りに駆けていった、橘の白い着物の女、途中で立ち止まり、こちらにきずいているように振りむいて見た、その視線とは、香乃のそのときの心のあわただしさ、一瞬そこが、二人の女だけが立っている境内のように見え挨拶すると、軽く会釈して先に行った。白い顔に大きな眼の品の良い面立ちだった。霞のような水墨のたおやかさでこそでのたもとが、ふわっと浮き輪郭がなかった。背景の鳥居の脚が重なっているのに髪だけが不確かな形を整くつくっている。赤い柱の中央にいるのに端に立っているように見えた。

「道、ようはしらんようてに」

香乃が声を知らないうちに口にした、女は自然のように見えていたが、先のほうへと鳥居の影の中に入ってまぎれた。





カマキリの山鉾。 祇園、京都。