英雄サラディン2-エジプト戦線激化す
2018.02.06 06:39
1149年、イナブの戦いで、アンティオキア軍が敗北、レイモン公が討死し、アンティオキア公国の半分以上がなくなった。1153年、未亡人のコンスタンツは、野心をもってうろついていた「強盗騎士」ルノー・ド・シャティヨンと結婚、こいつは碌でもないヤツで、1156年キプロスを襲撃して住民を虐殺した。1160年、ルノーは、アレッポで捕えられたが誰も助けず、アンティオキアはレイモン公の子がボエモン3世として即位、ビザンチンの臣下となり、守ってもらうことにした。
エルサレム国王ボードワン3世は、第2回十字軍のときまだ17歳、しかし十字軍の失敗で目覚め、東はダメだから西ということで、1153年、エジプトの弱体化していたファーティマ朝から大都市アスカロンを奪取した。1154年ヌールッディーンがダマスカスを制圧し、東からの圧力はますます高まるが、1157年、シリア一帯で大地震が起こり、皆戦争どころではなくなった。
この復興の中でヌールッディーンが1年半病に倒れ、エルサレムは時間稼ぎができた。そこでエルサレムはしょうがなく、ビザンチンと同盟を組むことにして、嫁をビザンチンから迎え入れた。ヌールッディーンは一応挟み撃ちの形になり、復興もあいまって東部戦線は膠着した。
1162年、わずか32歳でボエモン3世が崩御。その弟アモーリー1世が即位した。アモーリーは東は防御の要塞を建設すると共に、西のエジプトに向かって攻めることにした。エジプトを取られては困るので、ヌールッディーンも腹心シールクーフを出す、いよいよサラディンが登場する。
下はボードワン3世、そして左が悲劇の王ボードワン4世