真理は寒梅の似(ごと)し
2019.02.14 14:02
昨夜から大雪です。
あと1ヶ月、春の訪れをとても楽しみに待っています。
昨夜、念祷は日光浴に似ているとふと感じました。
春のあたたかな優しい陽射しを浴びるように、主の光を浴びている感覚でした。
今の私には感謝すべきことがたくさんあるのに、感謝せずに不平不満ばかりが募っていて、周りの人に嫌な思いをさせていると思います。
感謝の気持ちは、自己愛でしかない私にはそもそも備わっていないのでしょうか。
「感謝できません」と祈ってよいのでしょうか。
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真理は寒梅の似(ごと)し
敢えて風雪を侵して開く 新島 襄
念祷の道に導かれています。
自分の内外にある憂さ辛さをそのまま主の前に置いて、 主から注がれるあたたく柔らかな陽ざしで包まれ、 癒され、清められていくのを待つだけです。
感謝できませんと祈ります。
感謝も天を慕う思いも、私たちの最善をはからう主が許された時、内に起こってきます。
感謝も善い心持ちも善行も、それによって何かの報いを受けうるというものではなく、
それそのものが、天からの「報い」「報酬」にほかなりません
(私たちが受けうるものの中でそれにまさる何があるというのか)。