会津美里町「ミニせと市」 2022年 夏
今年も新型コロナウィルスの影響で中止となった会津本郷焼「せと市」の代替イベントとして開催される「ミニせと市」に訪れるため、JR只見線の列車に乗って会津美里町に向かった。
「会津本郷せと市」は、会津美里町の旧会津本郷町で、毎年8月第一日曜日に開催されている歴史あるイベントだ。しかし、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、2020年と2021年に引き続き、今年も中止となってしまった。*下掲記事出処:2022年6月28日付け 福島民友新聞
*以下出処:会津本郷陶磁器会館の入口前設置の案内板
町指定無形民俗文化財(風俗慣習)
保護団体 せと市実行委員会
所在地 会津美里町 瀬戸通り
指定年月日 昭和四十九年十二月一日指定
瀬戸市
毎年八月第一日曜日の午前四時から正午近くまで開催される市で、町内瀬戸通りには地元の会津本郷焼の窯元が中心となって多数の露店が並ぶ。当日は「買ってがんしょ」の呼び声が行き交うなか、県内外から数多くの人が訪れるなど、夏の風物詩となっている。
昔は旧暦の七月一日に、会津の高野山こと八葉寺への「冬木沢参り」のため、多くの参拝者が下野街道沿いにある本郷地区を通ったという。明治期に、これに関心をもった窯元の弟子達が、小遣い稼ぎに「蔵さらい」と称してムシロを広げ、ハネ物を土産物として安く売ったのが「瀬戸市」の始まりといわれている。それが、次第にハネ物だけでなく普通品も売られるようになり、また規模も大きくなって現在にいたっている。
平成二十四年八月
会津美里町教育委員会
新型コロナは終息していないが、他のイベントで“3年振り開催”というニュースが飛び交っていたので、今年こそ「会津本郷せと市」は開かれるのでは、と期待していたが、高齢者数の多い地方都市という理由からか、中止となった。その代わり、来場者を分散させるため「せと市WEEK」を今日から今月21日までの2週間という期間を設定し、規模を縮小した「ミニせと市」(今日一日のみ)を会津本郷陶磁器会館の駐車場で開催するという。
昨日の新聞には「せと市WEEK」と「ミニせと市」の開催を知らせる、一面広告が掲載されていた。*下掲紙面:福島民報 2022年8月6日付け28面
会津本郷焼は、会津藩祖・保科正之公が陶器製造を奨励してから380年という東北最古の歴史を持ち、関東以北では唯一となる陶器と磁器の双方の製品群がある。1993(平成5)年には国から伝統工芸品に認定されるなど、確かな技術が受け継がれている。*参考:会津本郷焼事業協同組合「歴史と文化」/ 経済産業省 東北経済産業局「会津本郷焼」
只見線の会津本郷駅を最寄りに持つ会津美里町本郷地区(旧会津本郷町)には、現在16の窯元があり、多様な陶器・磁器が生み出されている。*参考:拙著「会津美里町「向羽黒山城跡・会津本郷焼」 2018年 初秋」(2018年9月19日)
今回は、会津本郷「ミニせと市」で酒器を求め、只見線の列車に乗って、その酒器で会津美里町に蔵がある日本酒を呑む計画を立て、現地を訪れた。
*参考:
・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線のイベントー / ー只見線の夏ー
先週、3年3ヵ月を過ごした富岡町から郡山市に戻り、久しぶりに自宅から早朝の郡山駅に移動した。上空には鼠色の雲が広がってはいたが、雨粒は落ちてこなかった。
駅舎に入り、「青春18きっぷ」に日付印を押してもらい1番ホームに移動し、磐越西線の始発列車に乗り込んだ。
5:55、会津若松行きの列車が発車し、曇り空の中を進んだ。中山峠を越え会津地方に入っても、しばらくは上空は雲に覆われ「磐梯山」も見えなかった。
7:11、磐梯町付近から青空が見え始め、朝陽が周囲を明るく照らした会津若松に到着。買い物をするために、一旦改札を抜け駅舎を出ると、上空は雲よりも青空が広かった。
駅舎に入ると、改札の脇に“只見線 全線再開 2022年10月1日”とペットボトルのキャップで作られた、作品が飾られていた。
また、この前には3日前(8月4日)に発生した豪雨の被害で運休となってしまった、JR東日本管内路線の情報が掲示されていた。
福島県(郡山市)と新潟県(新津市)を結ぶ幹線鉄路である磐越西線は、喜多方~山都間に架かる濁川橋梁が一部流出し、この様子は8月5日付けの地元紙の一面で報じられていた。*下掲紙面:福島民報 2022年8月5日(金)付け一面
一日でも早い復旧が望まれるが、この濁川橋梁が流出した区間は『地域の方々に現状をご理解いただくとともに、持続可能な交通体系について建設的な議論をさせていただくために』と先月28日にJR東日本発表した「ご利用の少ない線区の経営情報を開示します」内で挙げられていた、平均乗客数が2,000人/日未満となっている。*参考:東日本旅客鉄道㈱「ご利用の少ない線区の経営情報を開示します」(PDF)(2022年7月28日) / 下掲記事:福島民友新聞、福島民報、河北新報 2022年7月29日(金)一面紙面
ただ、2019年の台風19号(10月12日~13日)で第六久慈川橋梁(袋田~常陸大子)に大きな被害を受けた水郡線(安積永盛(郡山市)~水戸)も、平均乗客数が2,000人/日未満の区間にあったが、JR東日本が単独で費用負担し復旧(2021年3月27日)させた経緯がある。この事例から濁川橋梁もJR東日本は早期復旧に向けて動き出すと思われるが、福島県並びに沿線自治体は利用者増と将来的な公費負担について恒常的な議論の場を設ける必要が出てくるのではないか、と私は思っている。*下掲図出処:上掲記事(福島民報)より抜粋
ちなみに、只見線は全区間平均乗客数が2,000人/日未満で、10月1日に11年振りに復旧される会津川口~只見間は運休前の2010年度で平均乗客数は49人/日となっていて、現在ではJR東日本管内最低の数値になっている。
改札を通ると、左脇に“鉄道開業150年”のペットボトルキャップアートと、「ぽぽべぇ」が並んでいた。
そして、改札の正面の横長の大きなボードと、連絡橋階段のステップ広告には、“2022.10.1 只見線全線運転再開”という表示があった。*参考:「再会、只見線」URL:https://saikai-tadamiline.jp/
あと約2か月で、只見線が再び一本につながる。これから、ますます“只見線全線運転再開”の機運が盛り上がり、多くの方の関心を惹き、10月1日以後に多くの乗客で列車内が賑やかになることを願った。
連絡橋を進み、只見線のホームに向かう。橋上から見下ろすと、先頭がキハ110形、後部がキハE120形の始発列車が停車していた。右奥には、頂上の一部が雲に隠れた会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)が見えた。
7:41、会津川口行きの列車が出発。私が乗り込んだ後部車両には、私の他4人の客が居た。
列車は七日町、西若松を経て大川(阿賀川)を渡った。
上流側には、会津若松市内最高峰である会津百名山36座「大戸岳」(1,415.9m)の山塊が見えた。毎年6月第二土曜日に開催されている山開きは、今年は中止も延期もされることなく、6月11日(土)に約170名の登山者を集め、節目の第50回目の式典が行われたという。
7:54、会津本郷に到着。降りたのは私一人だった。
列車を見送る。前方に見えるはずの、会津百名山61座で“伊佐須美神社最終山岳遷座地”である「明神ヶ岳」(1,074m)は、雲に隠れて見えなかった。
「ミニせと市」の会場に向かって、県道219号(会津本郷停車場上米塚)線を歩き出す。駅は旧会津本郷町の中心部から離れた場所にある。
300mほど歩くと会津美里町入る。実は、会津本郷駅の所在地は会津若松市(北会津町上米塚)になっている。
県道128号(会津若松会津高田)線との交差点が近づくと、道路案内標識が現れ、大きく「瀬戸通り」と表示されていた。
「会津本郷せと市」が開催されると、瀬戸通りは車両侵入禁止となり、多くの露店が並ぶ。来年こそは、「会津本郷せと市」が開催され、県内外の多くの観光客で瀬戸通りが賑わって欲しいと思った。
瀬戸通りは、歩行スペースは路側帯のみとなり狭いが、国や県の事業で水辺やポケットパークの整備がなされ、風情がある。東屋も数か所にあり、街歩きの休憩所には困らない。
案内板も見やすい。
また、会津本郷焼の窯元が密集する瀬戸町には、複数の用水路がある。大川(阿賀川)の水を引いているものだが、以前はこの水流を、陶石を砕く動力源にしていたという。
8:21、会津美里町インフォメーションセンターを併設する会津本郷焼陶磁器会館に到着。「ミニせと市」は9時から開始ということで、テントの下では各窯元のスタッフが準備をしている最中だった。
陶器会館入り時間を潰し、展示販売の準備が出来たテントから巡った。
まずは、「酔月窯」。磁器の入ったコンテナが並べられ、下は100円からと、お得品が多かった。ここで、まず一個目の酒器を買った。
周囲では、徐々に露店の準備が終わり、「流紋焼」「草春窯」「宗像窯」を見て回った。
徐々に来場者が増え、「樹ノ音工房」には、若い女性の姿が目立った。少し気後れしたが、ここで、二個目の酒器を購入した。
「閑山窯」は、ちょっと他とは展示の方法が違った。
三角の支柱を持つ棚が置かれ、陶器がディスプレイされていた。御主人の心意気を感じ、ここで三個目の酒器をいただいた。
会場には、次から次に客が訪れ、賑わってきた。会津本郷焼は『知る人ぞ知る』と言われているが、“せと市”の開催を心待ちにしているファンが多いのだろうと伺い知れた。
陶磁器会館の「ミニせと市」会場を後にし、瀬戸通りから路地に入り、以前湯呑茶碗を手に入れた「陶房彩里」に立ち寄った。実はこの茶碗を不注意で割ってしまい、同じものがないかと思って訪れた。
しかし、目当ての茶碗は無く、酒器も『今日は3個まで』と決めていたので、「陶房彩里」を後にし本郷地区を離れ、駅に向かった。窯元めぐりスタンプラリーは三店舗での購入で小皿がもらえるという特典があったが、「樹ノ音工房」でスタンプを押してもらうのを忘れてしまった。残念。
駅に向かって歩いて行く、途中、広大な田園越しに、往路で雲に隠れていた「明神ヶ岳」の稜線が見えた。
県道219号の直線に入ると、会津本郷駅が真正面に見えた。
駅に到着してから20分ほど待ち、ホームから会津高田駅方面を見ていると、「明神ヶ岳」を背景に上り列車がやってきた。
「明神ヶ岳」が“会津”の名の由来となる伝承を持つ山であることを考えると、この風景は“観光鉄道「山の只見線」”の中でも、特別なものであると私は思っている。*参考:伊佐須美神社「由緒と社格」
キハE120形の2両編成がホームに入り、私の他2名の客が乗った。
10:19、会津若松行きが出発。
10:32、列車は順調に進み、会津若松に到着。15名ほどの客が降りた。
改札を抜け、駅頭に出ると、観光客の姿は少なく閑散としていた。新型コロナウィルスや、磐越西線に被害をもたらした大雨の影響があるのだろうと思った。
駅舎には、映画「峠 最後のサムライ」のポスターが貼られていた。主人公の越後・長岡藩の家老であり、軍事総督であった河井継之助は、戊辰役・北越戦争で長岡城を新政府軍に奪われたのち、奥羽越列藩同盟の盟主・会津藩をたよるため会津若松城下を目指したが、途中、塩沢村(現在の只見町塩沢地区)で落命した。*参考:松竹「峠 最後のサムライ」URL:https://touge-movie.com/
現在、没地近くには「河井継之助記念館」が建ち、只見線線の列車内から見える。また、塩沢地区には氏の“墓”があり、会津若松市内には一時埋葬地があるなど、河井継之助は只見線に縁のある、維新の英傑だ。
昼食を摂った後、地酒を買うため、駅から500mほど離れた「會津酒楽館 渡辺宗太商店」に向かった。
入口には杉玉(酒林)が吊るされ、扉には“9年連続日本一”と書かれたポスターが貼ってあった。
福島県内の蔵元は、令和3酒造年度の全国新酒鑑評会で金賞受賞数が17銘柄で、その数が全国最多となり、“9年連続・金賞受賞数日本一”となった。*下掲記事:福島民報、福島民友新聞 2022年5月25日号外
この鑑評会は吟醸酒を対象に一蔵元一銘柄の出品で行われているが、受賞は蔵元の技術力や清酒の品質の高さ証明するものになっているという。この偉業の陰には、福島県酒造協同組合が運営する「福島県清酒アカデミー職業能力開発校」の存在があり、県内の酒蔵の蔵人や後継者が3年間で300時間以上の授業を受け、蔵に戻り酒造りに活かしている。今年も30期生10人が入校したと、地元紙が伝えていた。*下掲記事:福島民報 2022年4月9日付け紙面
「會津酒楽館 渡辺宗太商店」で会津美里町にの酒蔵の3本を購入し、会津若松駅に戻る。只見線のホームで待っているとキハE120形2両編成が入線してきた。
13:05、会津川口行きの列車が発車。車内は全てのBOX席に誰かしらの姿が見られ、まずまずの乗車率だった。
列車は、七日町、西若松を経て、大川(阿賀川)を渡った。今朝より河原に停車する車が多く、清流に入りアユ釣りのしている方々の姿もあった。
強い陽射しが会津盆地の緑稲を照らし、車窓からの美しい景色を眺め続けることができた。
列車は会津本郷の次に会津高田に停車し、出発直後に右大カーブを駆け抜け、進路を真北に取った。
田園風景を楽しみ、次は「ミニせと市」で入手した3種の会津本郷焼の酒器で、地酒を呑む事にした。
「樹ノ音工房」の酒器は、光沢のある濃緑色で、吞み口が広がっているもの。「酔月窯」は葡萄の絵が描かれた、厚手で全体的に丸みを帯びたもの。そして「閑山窯」は透明釉がかけられたと思われる土色の素朴な色合いで、吞み口が絞られているもの。
地酒は会津美里町の酒蔵の銘柄で、末廣酒造「末廣 特別純米フクノハナ」、白井酒造店「風が吹く 山廃純米吟醸生酒」、そして男山酒造店「-わ- 純米吟醸 福乃香(一回火入れ)」と、全て四号瓶を選んだ。
「末廣」は会津若松市の嘉永蔵が本社になっているが、会津美里町には博士蔵(平成8年稼働)があり、こちらが現在では主たる醸造所になっている。*参考:会津美里町 産業振興課「末廣酒造株式会社 博士蔵」URL:https://aizu-misato-company.com/company/suehiro/
まず、一盃目は「風が吹く」を、「酔月窯」の酒器に注いで呑んだ。
つまみは、“定番”のポリッピーしお味と、郡山市内のスーパーで手に入れたのどぐろソーセージ。
列車は、根岸、新鶴を経て、若宮手前で会津坂下町に入り、上り列車とのすれ違いを行った会津坂下を出発後に会津盆地と奥会津の“境”となる七折峠を駆け上がった。
峠内の塔寺を経て、会津坂本に到着。駅名標は、JR東日本式の真新しいものに変わっていた。
柳津町に入り、地酒二盃目は「末廣」を、「樹ノ音工房」の酒器に注いで呑んだ。
列車は会津柳津を出発し、“Myビューポイント”を通過。会津百名山86座「飯谷山」(783m)の稜線のみならず、山肌の木々の繁り具合も良く見えた。
郷戸を経て、滝谷を出発直後に滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「歴史的鋼橋集覧1873-1960」
会津桧原に停車し、地酒三盃目は「-わ-」を「閑山窯」の酒器でいただいた。
列車は第一只見川橋梁を渡った。只見川は先日の大雨の影響からか、かなり濁っていたが、湖面は冴えて水鏡が出ていた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖になっている
反対側の座席に移動し、上流側、駒啼瀬の渓谷を眺めた。
正面の山腹にある、「第一只見川橋梁ビューポイント」に向かってカメラのズームをすると、最上部Dポイントには誰も居なかった。只見川が濁っていて、気温が高く“登山”が必要なDポイントに行くのはやめよう、と皆が考えたのだろうと思った。
列車は会津西方に停車。ホームを見ると“ワンマン 乗車口”と書かれた標識が立てられていた。JR東日本の発表によると、全線再開通(10月1日)から会津若松~只見間でワンマン運転が開始されるため、そのための設備のようだった。
会津西方出発直後に第二只見川橋梁を渡った。上流側には、会津百名山82座「三坂山」(831.9m)の稜線が、朧げに見えた。只見川の水鏡には夏の雲がはっきりと映り込んでいた。
ここでも反対側の座席に移動し、下流側を眺めた。只見川が町道に架かる歳時記橋に向かって、スゥーッと延びていた。
列車は次駅に停車するため減速し、“アーチ3橋(兄)弟”の次男・宮下橋を見下ろしながら、長男・大谷川橋梁を渡った。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5
会津宮下を停発車後、国道252号線を潜り抜け、東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの直側を通り過ぎた。
宮下ダム湖には、豪雨で流されてきた倒木などがたくさん浮んでいた。
列車はまもなく、第三只見川橋梁を渡った。正面の山腹に、国道252号線の高清水スノーシェッドが監視窓のように見えた。
反対の座席から、上流側を眺める。波が立ち水鏡は無かったが、周囲の木々が映り込み、水面は緑がかっていた。
滝原と早戸の両トンネルを抜け、早戸に到着。一人の客が降りた。近くにある宿泊施設「一棟貸ヴィレッヂ」からだろうか、女性が出迎えていた。
早戸を出発した列車は金山町に入り、8連コンクリートアーチ橋・細越拱橋を渡る。只見川の水鏡は、美しく周囲の景色を映していた。車窓に流れる、沿線の良い景色を肴に呑む地酒は、旨かった。
列車は、会津水沼を出て、第四只見川橋梁を進んだ。下路式の曲弦ワーレントラス構造は、架け替えられた第六只見川橋梁と第七只見川橋梁と同じで、車窓からは鋼材の間から景色を眺める事になる。
会津中川を出た列車は、大志集落を過ぎた頃に減速し、終点に向かう。前方には154mの巨大はランガー構造の林道上井草橋が見えた。
振り返って、只見川に突き出た大志集落を眺めた。*只見川は東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖になっている
14:58、現在の終点である会津川口に到着。錆びついた駅名標は、会津坂本駅同様、交換されていた。
列車からは、観光客と思われる方を中心に、10名ほどの客が降りた。
10月1日から、私が乗ってきた列車は小出行き(17時47分着)になり、この先のレールを客を乗せて進む事になる。
折り返し運転となる列車には、そのまま乗り続けられたが、一旦駅舎を抜け、表に出た。
駅舎に入り、構内の掲示物などを眺めていると、只見方面から列車がやってきた気配がした。すると、構内から客がホームに向かって出て行ったので、ホームを見ると、只見川側に列車が入線していた。
運休区間の試運転車で、キハ110形とキハE120形の2両編成だった。
復旧工事を終えた会津川口~只見間は、先月20日(水)から試運転が始まり、その様子は地元紙(福島民報)の一面で報じられていた。試運転は毎日、複数往復行われているようで、ネット上には、連日試運転車両の画像が載っていた。
ホームで写真を撮っていると、試運転車両はエンジンを蒸かし、まもなく只見方面に走っていた。
営業運転は10月1日からだが、運休区間に向かうキハ110形とキハE120形の姿を初めて見て、感慨深かった。
試運転車両を見送り、停車中の列車に乗り込んだ。さっそく、地酒呑みを再開した。復路は男山酒造「-わ-」から、「閑山窯」の酒器に注いで呑み始めた。
15:29、会津若松行きの列車が発車。ツアー客のような方々が乗り込み、私が乗った後部車両は10名ほどになった。
列車は出発直後に大きく左に曲がり、前方には大志集落の見えた。往路では気づかなかったが、只見川(上田ダム湖)には流木などが浮かんでいて、先日の雨の多さを実感した。
復路は、写真撮影を控え、地酒と車窓からの景色をじっくりと楽しんだ。今日は、只見川が濁っていて残念だったが、陽射しが強く、沿線の木々の多様多層の緑が映え、まずまずの景色が車窓から見られた。ほとんどの乗客は、只見川が近づくと車窓に顔を向け、見入っていた。
各橋梁では、車内放送で録音の観光案内があり、減速運転もしたことから、多くの方がカメラを構え撮影していた。
会津柳津に到着すると、ツアー客と思われる方々は降り、車内は少し静かになった。
列車が会津盆地に戻っても、雲は多かったものの好天が続き、夏の陽光を浴びる緑稲が清々しかった。
この列車の車窓から見える会津盆地の見通しの良い広大な田園風景と、奥会津の連続するダム湖と山岳風景は、只見線の福島県側の魅力を高め、“観光鉄道「山の只見線」”を謳うに相応しい、と改めて思った。
17:21、会津若松に到着。3種の会津美里町の地酒は、それぞれ半分ほど残った。
18:36、磐越西線の列車に乗り換え、郡山に到着。こちらは雲一つ無い薄暮の空が広がっていた。
地の酒器(会津本郷焼)で地酒を呑みながら、列車に乗って車窓からの風景を眺める...、今日は良い旅だったと思い、また列車と酒の親和性の高さを実感した。狭い車内で悪酔いしてしまう乗客への懸念はあるが、沿線に日本酒を中心に多くの酒造所を持つ只見線は、もっと酒を全面に出した企画をすべきだ、と私は思っている。
来年、「会津本郷せと市」が4年振りに開催されたならば、早朝に訪れて酒器を購入し、只見線の始発列車に乗って小出まで往復の旅をしたいと思う。その時は、会津と越後の地酒を用意し、六十里越を界に、それぞれの地で当地の地酒を呑みたい。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県:只見線ポータルサイト/「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、宜しくお願い申し上げます。