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ねりま子どもてつがく(ねこてつ) ~Nerima Kids Philosophy~

【詳細版】「こども哲学」と「ねりま子どもてつがく」のご紹介

2018.02.07 14:32

「ねりま子どもてつがく(略称:ねこてつ)」に興味を持ってくださり、ありがとうございます。

「どんなことをするの?」「子どもにどんな影響があるの?」と疑問に思っている方も多いのではないでしょうか? そこで、保護者の方向けに、こども哲学の意味や教育的効果、その歴史などをご紹介します。


こども哲学とは、そもそも何か?

「こども哲学」とは、子どもたちと輪になって、「ひとは死んだらどうなるの?」「ゲームはなぜおもしろい?」「ともだちは、たくさんいたほうがいい?」などひとつのテーマを決め、自由に意見を出し合う活動です。

「哲学」と言っても、難解な概念や哲学者の名前は登場しません。また、何かを決めたり、急いで結論を出す場(学級会)でも、話し合いのなかで勝ち負けを決めたりする場(ディベート)でも、「みんなちがってみんないい」で終わるような意見交換の場でもありません。


忘れてはいけない基本姿勢

こども哲学は、「大人が子どもたちに考えさせたい疑問や問いを出し、子どもたちがそれに答えること」を目指すのではありません。「子どもたち自身の持つ問いや疑問を丁寧に聞き、そこから出発すること」を大切にします。つまり、問題を出す側を大人から子どもへ変えるのです。

私たちは、こども哲学における「哲学すること」を


子どもと大人が一緒になって身近なところにある問いを見つけ、

それを共有し、自分たちの言葉で徹底的に考えること


と捉えています。「考えることって楽しい!」と多くの子どもたち、そしてこどもたちを取り巻く大人たちにも感じてもらいたいと思っています。


こども哲学のはじまりと発展

こども哲学は、1970年代にアメリカでマシュー・リップマンという大学教員が、大学生の論理的な思考力の低下を嘆き、小・中学生のころからの対話型の哲学教育の必要性を訴えたことに始まります。


世界中で注目される

それから40年以上経った現在、こども哲学は次のような目的を持ち、世界中で研究・実践されてきました。

国内でも、複数の学校が授業に取り入れるようになっています。この間には、ユネスコが「哲学のためのパリ宣言」(1995 年),「哲学についてのユネスコ間域戦略」(2003 年)によって哲学教育を推進しています。


日本で注目されるようになったきっかけ

こども哲学が日本で注目されるようになったきっかけに、ハワイの学校で始まったこども哲学の取り組みがあります。そこでは、生活環境や人種の異なるこどもたちが集まり、荒れ気味だった教室にこども哲学の手法を取り入れました。みんなでテーマについて探究を行うことで、「安心して過ごすことのできるコミュニティ」が少しずつ形成されていったといいます。

このように、こども哲学は、みんなが安心して何でも話してもよいと実感でき、「この場にいてもいいんだ」と思えるコミュニティに貢献すると言えます。


こども哲学の意義、教育的効果


「批判的」「創造的」「ケア的」な思考が身につく

リップマンが始めた当時のこども哲学では、あるものごとや価値を鵜呑みにせず自分で考え、判断していく力を身につけられるとされていました。これは「批判的思考力」と呼ばれます。しかし現在は、期待できる効果はそれでだけではないと考えられています。

こども哲学では、大人も子どもも普段は考えたこともなく、そう簡単に答えの出ないようなテーマにみんなで取り組みます。大人も答えを知らないテーマについて真剣に取り組むからこそ、新しい何かを生み出す「創造的な思考」が身につきます。

また、一人では答えの出せない問題を考えるための大切なパートナーとして、一緒に対話する友だちを大切にしようとします。それにより、対話の相手や自分自身のことについて関心を向け、気遣いながら考えるための「ケア的な思考」も触発されるとされています。

これらは、言い換えれば、対話を通して考えを深めていく過程で、しっかりと相手の話を聴きながら自分の言いたいことを伝えるためのコミュニケーション力や表現力が身につく、とも言えるでしょう。


繰り返しによって成長する

これまで挙げた「身につく力」は、いずれも一度や二度の参加で目に見えて変わるわけではありません。対話を繰り返していくなかで、少しずつですが成長していくものだと実感しています。

こども哲学は大人や周りのこどもたちの話や考えをしっかりと聴くことから始まります。対話のなかで自分の意見を述べるだけでなく、だれかの意見に質問することがテーマの理解を深めてくれます。「答えを知りたい!」と思うようなこども哲学のテーマに参加することで、普段はなかなかじっと話を聞けない子どもでも、少しずつ聴き合い、問い合えるようになってほしいと思います。

また、具体的な「〇〇力」には直結せずとも、こども哲学に繰り返し参加するようになった子どもと保護者からはこんなエピソードを聞くことがあります。


よくある心配

Q. うちの子、黙ったまま何もしゃべらないけど大丈夫

A. こども哲学の目標は「子どもたちが活発に話すこと」ではありません。ひとりひとりがじっくりと考えること。だから、黙っていたとしても、考えているのであれば心配することはないのです。

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過去にも、対話の場で一言も話さなかった子どもが家に帰ってから自分の考えを話しだしたことがありました。大人は大変びっくりしたそうです。また、最初はなかなか自分の意見を言えない子どもが回数を重ね、場に慣れることで発言できるようになることもあります。

だから、子どもが話さないからといってすぐに怒ったり、苛立ったり、しゃべるように強く促したりしないでください。まずは焦らず、お子さんがその場で落ち着いて楽しく過ごせることを大切に、見守ってあげてほしいと思います。

何かについて考えるとき、そのスタイルもペースもそれぞれ違うのは大人もこどもも同じです。たくさん話すことで考えが進む人もいれば、じっくり話を聴きながら自分のなかで考える人もいます。そのときは話についていけずなにも話せなくても、数時間、あるいは数日経ってから「あのときの話はこういうことだったのか!」と腑におちることだってあります。

考えるペースやスタイルも個性です。その日のねこてつが終わってから、「今日は黙っていたけど、聴きながらどんなことを考えた? ひとつでも思ったことがあったら教えて」と優しく声をかけてあげてください。


Q. うちの子、発言の回数は多いけど、思いつきで話しているだけじゃない?

A. 思ったことをすぐ言葉にできるのは長所と考え、大切にしましょう。問いかけの中で、これまでと打って変わってじっくり考え始める子どももいます。焦らず対話を重ね、大人が粘り強く考える姿を見せて子どもの手本になることで、子どもが変わっていく姿も見られます。

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確かに最初は、その場の思いつきで話しているように見える子どもも多いでしょう。自分の知っている知識を披露したり、周りの子どもが言ったことに瞬発的に反応したり……。だから「考える」ことが十分にできていないように思われるかもしれません。

しかし、これまですぐに手を挙げていた子どもでも、進行役の大人や周りの子どもたちからの問いかけにより、じっと黙って考え始める場合もあります。また進行役の工夫で対話のペースを落とし、考えるための間を持たせることもできます。

ほかにも、「進行役が質問したことに答えていない」「直前の誰かの発言とはズレたことばかり言っている」と心配に感じることもあるかもしれません。しかし、対話を重ねるにつれてひとつの話題にグッとのめり込んでいたり、最初は関係ないように思われた発言がもとのテーマと意外なかたちでつながっていたり、ということもよくあります。

ですから、たくさん話をしてくれる子どもを見ても、「思いつき」や「文脈から少しズレている」ことを嘆くのではなく、問いに対して意見をすぐに言語化できることを大切にしてあげたいもの。そして大人が焦ることなく何度も問いかけを重ね、一緒に粘り強く考える姿を見せて、子どもたちの手本となりたいと思います。


Q. 話し合っても答えが出ない(答えを出さない)ってモヤモヤするんだけど…

A. 社会には、短時間ですぐに答えのでない問題があふれています。モヤモヤを抱えたままに考えられる力も、必要になることがあるでしょう。答えの出ない「モヤモヤ」を楽しむくらいの気持ちで!

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確かに通常の学校の授業で先生が出す問題には必ず答えがあり、先生はその答えを知ったうえで子どもに問題を出します。学級会のような場でも、なにかひとつのゴールにたどり着くためにみんなで話し合います。一方、こども哲学ではあえて答えを急がず、焦らずゆっくりと自由に考えることを目指しています。

「大人も答えを知らない問題を考えるんだよ」と説明すれば、子どもたちは自分の考えを頭ごなしに否定される心配をせず、自由に思考を展開できるようになるはずです。またそれに対して大人も自分の考えを正直にぶつけていけば、普段の関係性とは違うコミュニケーションがとれるでしょう。答えの出ないモヤモヤを一緒に楽しみましょう。

実は私たちの生活にとって大切な問題や、ビジネスシーンで重要な決断であればあるほど、容易に答えの出ない問題が多いものです。もう少し言えば、短時間で容易に答えを出してわかったつもりになる問題の方が危険なのです。たとえば、「この子にとってベストな教育とはなにか」「自分の親をどう看取っていったらよいか」「今、自分たちの会社が20年後を見据えてすべきことはなにか」といった重要な問題について、急いだ決断のせいでマイナスの結果を生み出すこともあるのではないでしょうか。

もちろん、こども哲学のモヤモヤは答えの出ない問題を放り出すことではありません。すぐにわかった気にならず、お互いの今の考えをしっかりと主張し、交換し合い、少しずつ前に進んでいくこと。これは、未来の社会においてもますます必要になってくるでしょう。その意味で、答えがすぐに出なくても、考え続けていくことが必要な場面もきっとあるのです。


親の関わり方
~親も、積極的に対話しよう!~

ねりま子どもてつがくは、こどもたちに哲学をしてもらうだけでなく、保護者も一緒になって考えてもらう場を目指しています。

その理由は3つあります。


1.大人のほうが頭は固い

子どもたちに考える力を身につけてほしいと私たちが思うとき、はたして私たち大人自身は毎日の生活のなかで十分に考えられているでしょうか。私たちねこてつスタッフも心からの自戒を込めて言いますが、毎日忙しく暮らしているなかで、目の前のやるべきことに気持ちが向いてしまい、大切なことを自由に考えられていないのではないでしょうか。

あるいは、子どもに「もっとちゃんと考えなさい!」と言うときに、「考えること」=「大人の期待通りの答えを言うこと」と思ってはいないでしょうか。

私たちが大切にしたい「考える力」は「親や教師の期待通りにこどもたちが考えたふりをする」ことではありません。考えることはもっと自由であるはずなのに、大人がいつのまにかたくさんの前提でがんじがらめになって、子どもたちを拘束してしまってはいないでしょうか。

ねこてつではそのような問題意識から、大人もこどもたちと一緒に考えてもらいます。その活動を通して、普段はなかなかできない、ゆっくりと自由に考える時間を楽しんでほしいと思っています。

ぜひ、ねこてつが終わったあとも、帰り道で、夕食を囲みながら、夜寝る前に、親子で今日話されたことや、普段実は疑問に思っていることについてゆっくり話しあってみてください。


2.親も案外子どもの話、聞けてないよね

ねこてつの活動を通して私たちが反省することはほかにもあります。毎日子どもとしっかり接しているつもりでも、いかに子どもの話をじっくり聞いてあげられていないか、ということ。子どもの話を聞いているつもりが、実際は自分のなかに正解を持っていて、気づいたら子どもの間違いを指摘し、叱るように話し始めていることがよくあります。しかし、親からすればイライラするような子どもの言動にも実はちゃんと理由があり、彼らなりに日々考え、悩みながら一生懸命過ごしているはずです。

こども哲学で大切にする態度は、普段大人が子どもに接するときにも必要です。「しっかりと聞くこと」「自分のなかにある前提を問い直しながら一緒に粘り強く考えること」「考えがすぐにまとまらないなら考えが浮んでくるまで待つこと」など……。大人の価値観で見たときに、子どもの言動が間違っているからといって、頭ごなしに否定せず、まずは理由を丁寧に聞いてあげましょう。子育てや教育の正解を決めず、自分自身の当たり前を問い直すことが大切ではないでしょうか。


3.大切なのはひとつの決まったやり方ではなく、こども哲学のスピリット

家に帰ってから子どもと対話したほうがいいと言われても、自分には哲学の知識もないし、こども哲学のやり方もよく知らないから不安……と思われるかもしれません。ですが、ご家庭に持って帰っていただきたいのは、「ねこてつのこども哲学のやり方」ではありません。

確かにこども哲学には、世界中の実践者や研究者によって蓄積されてきた理論や手法があります。私たちもそこから学び、ねこてつの場を作っています。また、国内でも、こども哲学のやり方を紹介したWebサイトや実践講座などがあります。

しかし、こども哲学にとって大切なのは、決まった「やり方」ではないのです。これまで書いてきたような、大人の側の心構え、つまりこども哲学のスピリット。「期待通りに考えてもらいたい」「育ってもらいたい」という気持ちを一旦脇に置き、こどもたちの自由な思考のなかに一緒に身を置こうとする姿勢なのです。

もう少し踏み込んで言えば、私たちの日常は、大切だけどそう簡単に答えの出ない問題ばかりがごろごろと転がっています。大人も子どもも、毎日生きていくのはそう簡単ではありません。こども哲学は、そんな世界を一緒に生き抜いていくために、子どもを仲間のように捉える、とも言えるのではないでしょうか。そう捉えれば、大人が思う正解を子どもに教えるのではなく、お互いの生活の中で気になっている問いを大切に考えあう、といったこども哲学の場が始まることでしょう。


(文:小川泰治 /編集:栃尾江美)