教皇フランシスコ 正午の祈り (2022年8月7日) (年間第19主日:ルカ12・32-48)
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愛する兄弟姉妹のみなさん、こんにちは!
今日の福音の中で、
イエスは弟子たちに、どんなときにも恐れないように、
また、警戒しているよう、招いています。
弟子たちに向けられているのは、二つの基本的な勧告です。
一つ目は、「恐れることはない、小さな群れよ」(ルカ12・32)、
二つ目は、「備えて(準備して)いなさい」(35節)。
「恐れることはない」、そして、「備えていなさい」。
それは、私たちを麻痺させることがある恐れに打ち勝ち、
受身的で眠っているような生き方の誘惑を乗り越えるための、
二つのキーワードです。
この二つの招きに留まってみましょう。
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恐れることはない。
先ず、イエスは弟子たちを力づけます。
この少し前に、イエスは、
父である神の、愛に満ちた摂理的な配慮について語りました。
天の父は、野の百合、空の鳥のことを気遣ってくださいます。
ご自分の子らに対してはなおさらです。
ですから、心配したり、動揺したりする必要はありません。
私たちの物語(ストーリー)は、しっかりと神の御手の中にあります。
イエスの、この、「恐れることはない」という招きは、私たちを元気づけます。
実際、不信や不安に閉じ込められていると感じるときがあります。
うまくいかないのではないか、
自分は認められていないのではないか、愛されていないのではないかという恐れ、
自分の計画が実現しないのではないか、
決して幸せになれないのではないか、などという恐れ。
そして私たちは、解決策を見いだすために、
安全を得るために、財産や富を蓄積するためのスペースを確保しようと
懸命になります。
そして、どうなるのでしょうか。
つねに、不安と心配の中で生きることになります。
それに反して、イエスは私たちに
「恐れることはない!」と、力づけます。
本当に必要なものを、あなた方に与えることを望んでいる御父に、信頼してください。
御父は、すでに、ご自分の御子、ご自分のみ国を与えてくださいました。
そして、毎日、あなた方を気にかけ、
み摂理をもって、つねに、あなた方に寄り添っておられます。
恐れることはない。これこそ、心が結びついている確信です。
恐れることはない。この確信に心は結びついています。
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けれど、主が愛をもって私たちを見守ってくださっていると知ることは、
私たちに、うとうとしたり、怠けたりする権利を与えることではありません。
その反対に、私たちは、目覚めて、警戒していなければなりません。
実際、愛するとは、相手に気を配り、相手の必要に気づき、
いつでも、耳を傾け、迎え入れることができること、
準備ができている、ということです。
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二つ目の言葉:「備えて(準備して)いなさい」。
これが、今日の、二つ目の招きです。
それは、キリスト教の知恵です。
イエスは、この招きを何度も繰り返しています。
そして今日、家の主人を中心にした、三つの短いたとえ話を通して、それをなさいます。
一つ目は、婚宴から突然帰って来た主人、
二つ目は、盗人(ぬすびと)を忍び込ませない主人、
三つ目は、長い旅から帰って来た主人。
すべてのたとえ話の中で、メッセージはこれです。
目を覚ましている必要があること、
眠り込まないこと、
つまり、ぼんやりしていたり、
内的な怠惰に屈してはいけないということです。
なぜなら、思ってもみない状況の中でも、
主は来られるからです。
主への、この関心をもつこと、うとうとしないこと。
目覚めている必要があります。
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そして、私たちの人生の最後に、
主は、託した財産の報告を私たちに求めるでしょう。
ですから、目覚めているということは、責任を持つこと、
つまり、それらの財産を、忠実さをもって守り、管理することをも意味します。
私たちはたくさんのものを受け取りました。
命、信仰、家族、関係、仕事だけでなく、
私たちが住んでいる場所、私たちの町、被造界も。
私たちは、たくさんのものを受け取りました。
自分に問いかけてみましょう。
主が私たちに残してくださった、この遺産を、
私たちは大切にしている(ケアしている)でしょうか。
その美しさを保っているでしょうか、
それとも、自分だけのために、その時の自分の都合で、
ものを使っているでしょうか。
このことを考えなければなりません。
私たちは、与えられたものの管理人でしょうか。
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兄弟姉妹のみなさん、
主がつねに私たちと共にいてくださるという確信のもとに、
恐れずに歩みましょう。
そして、目覚めていましょう。
主が通り過ぎるとき、眠っていることのないように。
聖アウグスティヌスは言っていました。
「私は、主が通り過ぎ、自分がそれに気づかないことを恐れています」。
眠り込んでいて、主が通り過ぎるのに気づかないことがないように、
目覚めていてください!
おとめマリアは、主の訪れを迎え入れ、覚悟と寛大さをもって、
「私はここにいます」と言いました。
マリアが、私たちを助けてくださいますように。