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マリア論オンライン講座

教皇フランシスコ 正午の祈り (2022年8月7日) (年間第19主日:ルカ12・32-48)

2022.08.11 09:47

***

愛する兄弟姉妹のみなさん、こんにちは!

今日の福音の中で、

イエスは弟子たちに、どんなときにも恐れないように、

また、警戒しているよう、招いています。


弟子たちに向けられているのは、二つの基本的な勧告です。

一つ目は、「恐れることはない、小さな群れよ」(ルカ12・32)、

二つ目は、「備えて(準備して)いなさい」(35節)。


「恐れることはない」、そして、「備えていなさい」。

それは、私たちを麻痺させることがある恐れに打ち勝ち、

受身的で眠っているような生き方の誘惑を乗り越えるための、

二つのキーワードです。


この二つの招きに留まってみましょう。


***

恐れることはない。

先ず、イエスは弟子たちを力づけます。


この少し前に、イエスは、

父である神の、愛に満ちた摂理的な配慮について語りました。

天の父は、野の百合、空の鳥のことを気遣ってくださいます。

ご自分の子らに対してはなおさらです。

ですから、心配したり、動揺したりする必要はありません。

私たちの物語(ストーリー)は、しっかりと神の御手の中にあります。


イエスの、この、「恐れることはない」という招きは、私たちを元気づけます。

実際、不信や不安に閉じ込められていると感じるときがあります。

うまくいかないのではないか、

自分は認められていないのではないか、愛されていないのではないかという恐れ、

自分の計画が実現しないのではないか、

決して幸せになれないのではないか、などという恐れ。



そして私たちは、解決策を見いだすために、

安全を得るために、財産や富を蓄積するためのスペースを確保しようと

懸命になります。


そして、どうなるのでしょうか。

つねに、不安と心配の中で生きることになります。


それに反して、イエスは私たちに

「恐れることはない!」と、力づけます。


本当に必要なものを、あなた方に与えることを望んでいる御父に、信頼してください。


御父は、すでに、ご自分の御子、ご自分のみ国を与えてくださいました。

そして、毎日、あなた方を気にかけ、

み摂理をもって、つねに、あなた方に寄り添っておられます。


恐れることはない。これこそ、心が結びついている確信です。

恐れることはない。この確信に心は結びついています。


***

けれど、主が愛をもって私たちを見守ってくださっていると知ることは、

私たちに、うとうとしたり、怠けたりする権利を与えることではありません。


その反対に、私たちは、目覚めて、警戒していなければなりません。

実際、愛するとは、相手に気を配り、相手の必要に気づき、

いつでも、耳を傾け、迎え入れることができること、

準備ができている、ということです。


***

二つ目の言葉:「備えて(準備して)いなさい」。

これが、今日の、二つ目の招きです。

それは、キリスト教の知恵です。


イエスは、この招きを何度も繰り返しています。

そして今日、家の主人を中心にした、三つの短いたとえ話を通して、それをなさいます。

一つ目は、婚宴から突然帰って来た主人、

二つ目は、盗人(ぬすびと)を忍び込ませない主人、

三つ目は、長い旅から帰って来た主人。


すべてのたとえ話の中で、メッセージはこれです。

目を覚ましている必要があること、

眠り込まないこと、

つまり、ぼんやりしていたり、

内的な怠惰に屈してはいけないということです。


なぜなら、思ってもみない状況の中でも、

主は来られるからです。


主への、この関心をもつこと、うとうとしないこと。

目覚めている必要があります。


***

そして、私たちの人生の最後に、

主は、託した財産の報告を私たちに求めるでしょう。

ですから、目覚めているということは、責任を持つこと

つまり、それらの財産を、忠実さをもって守り、管理することをも意味します。


私たちはたくさんのものを受け取りました。

命、信仰、家族、関係、仕事だけでなく、

私たちが住んでいる場所、私たちの町、被造界も。


私たちは、たくさんのものを受け取りました。

自分に問いかけてみましょう。

主が私たちに残してくださった、この遺産を、

私たちは大切にしている(ケアしている)でしょうか。


その美しさを保っているでしょうか、

それとも、自分だけのために、その時の自分の都合で、

ものを使っているでしょうか。


このことを考えなければなりません。

私たちは、与えられたものの管理人でしょうか。


***

兄弟姉妹のみなさん、

主がつねに私たちと共にいてくださるという確信のもとに、

恐れずに歩みましょう。

そして、目覚めていましょう。

主が通り過ぎるとき、眠っていることのないように。


聖アウグスティヌスは言っていました。

「私は、主が通り過ぎ、自分がそれに気づかないことを恐れています」。


眠り込んでいて、主が通り過ぎるのに気づかないことがないように、

目覚めていてください!


おとめマリアは、主の訪れを迎え入れ、覚悟と寛大さをもって、

「私はここにいます」と言いました。

マリアが、私たちを助けてくださいますように。