練習の技術 - 大いなる暇つぶし
子どものころ某音大の先生が「練習は才能だから無い人は、ピアノは上手くなれない」とラジオか何かで言っていたことが記憶の片隅に残っています。
社会人になってからも数人から「練習って才能だよね」と言われたことがあります。
なるほど「練習する」って難しいんだな、と思いました。
ピアノやバイオリンのレッスンを受けると先生から「家での練習を必ずやってください」、「上手くなるためには親御さんの協力が必要です」、「練習してこないとレッスンが出来ません」等、言われることがあります。
ホームページや動画などでも見ることがあります。
中には「練習してこないのは失礼」等、なかなか厳しい意見もあるようです。
生徒も練習が嫌で嫌で。これが原因でピアノを止めてしまう方が後を絶ちません。音大を卒業された方も卒業を機にピアノを止めたとか長いブランクを経てまた再開された方などがかなり多いようです。「ピアノって一度は絶対やめる時期ってあるよね」と言ってた方も。
他の習い事では必ずしも家での練習は必須としていないのになぜ楽器だけ必要なのでしょうか?
このコラムではそんな難しい「練習」っていったい何だろう、ということについて考えたいと思います。
Matt Wilkinson(マット・ウィルキンソン)という方の著書に下記があります。
脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか―生き物の「動き」と「形」の40億年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784794223807
内容は難しめですが、要するに「動き」が大切、動けることは凄いこと。例えば自転車に乗ってある場所まで行くのに脳はとんでもない計算を行っており骨や筋肉と極めて複雑な連動をしている。
脳科学の本を読みこんでいくと分かりますが、読むことで超能力を発揮できるわけではなく「健康な今の自分」が既に凄いということに気づかされます。目や耳、各臓器はそのままですごいことをやっている。
ヒトの目、驚異の進化―視覚革命が文明を生んだ(ハヤカワ文庫NF)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784150505554
そう考えると練習や勉強することは更に高度なことをやっており大変負担が掛かります。
練習することについて科学的に考えてみました。
練習
・心
・環境
・計画
・具体的な練習
・継続
・心
どんな習い事、勉強、スポーツでも始めるにはモチベーション(動機)が必要です。なぜピアノを習いたいのか?弾けるようになるとかっこいいから。合唱の伴奏をしてみたい。好きな芸能人がピアノをかっこよく弾ける。などなどなんでもいいんです。出来れば複数個をもって縛っておくとより強い動機となって自分を突き動かすパワーとなります。
どのくらいのレベルになりたいか。明確であればあるほど良いです。高いレベルを目指すのであればより強い動機と高度な練習を長期間行う必要があります。
音楽仲間が欲しい。好きなジャンルを共有できる仲間がいると楽しいものです。色々、演奏で楽しめるし飲み会も話が弾みます。
ただし仲間はライバルにもなり得ます。特に楽器のようなものは、練習年数やある種の才能によって進度に差が出ます。このような時、仲間からエンビー(嫉妬)する相手、ライバルへと変わっていきます。
好敵手であればいいのですが、同じ時期に始めたあの人が自分より数段高いレベルになった。自分が数年かかってやっとの曲をあの人はあっという間(数日、数か月)に仕上げてしまった。
発表会での失敗を笑われた。あなたにはあの曲は無理。作曲家に失礼などと言われてしまうとGAGAーんと来ます。
良く知っているので怖いんです。こういうことが挫折する原因になります。「愛するがゆえに苦しい…」
音大ではとなりの練習室の人の曲やレベルを自動的に値踏みしてしまうというあるある話もよくあります。
練習がつらければ辛いほど余計にプライドが高くなってしまう。他人の演奏にケチをつけたり批評をして満足したい自分がいたりします。
中村紘子さんは「ピアノは魔物」などと言っていたのはこういうことも原因としてあったのではないでしょうか?
出来ればピアノ以外にも何かやっていると客観視することが出来、自然体を保ちやすくなります。音楽に全く関係のないアルバイトをするとか会社員になるとかも良いです。ある分野に特化して高度な技術を得ることはいかに特異なことかが理解できます。
ヨガやストレッチ、呼吸法で心を正常に保ったり平常心を持つことも重要です。
・環境
家にスタンウェイのフルコンがあって防音設備も完備されていればよいですが大抵の人はそんな恵まれた環境は持っていません。家にグランドピアノがあればよい方。アップライトしか置けない。いやいやアコースティックピアノなんてとんでもない。電子ピアノだよ。ロールピアノで練習している人もいるかも知れません。
アパート住まいで楽器そのものが置けないのでスタジオを借りている方もいるはず。
経済的条件も人により違います。親、兄弟、同居人の存在もあります。
防音設備がない場合、近所への配慮。楽器演奏可のマンションでも演奏可能な時間帯があります。
先生や教室選びはどうするか?独学で勉強したい人もいます。
悩みを話せる仲間がいるかどうか。ピアノサークルに入るなどの手もあります。
発表会やコンサートなどで成果を聴かせる場があるか?最近ではストリートピアノに出没しまくる人も増えています。コンクール荒らしとなって活躍するアマチュアピアニストも多いです。
・計画
いつ練習するのか。時間を捻出することは重要です。
未就学時、幼稚園時、小学校、中学、高校、大学、社会人、結婚、子供が生まれる、昇進、定年、離別など人生いろいろやってきます。宿題や部活、受験、病気などになることもあります。
このような中で何時、量、どれぐらいの頻度でやるなどを計画していくことが大切です。
決して毎日、やる必要はありません。
ピアニストを目指すのであれば毎日、何時間もの練習が必要です。そうでなければ一日、30分、一時間、夕食の前にやる。学校に行く前の朝、5分だけピアノに触る。週に一日、一時間練習する。一か月に一回、一時間やる。レッスンに行ったときだけピアノに触る。など動機の強さ、環境などの要因に沿って考え実行する。
目に見なくてもピアノに触った分だけ確実に体内で化学変化が起きています。
何の曲を練習するかも大事です。レベル、興味に合わせた選曲。ジャンル選び(クラシック、ジャズ、ポップス、洋楽など)。楽譜の読み方、リズム、ソルフェージュ、和声、コード進行、対位法、スケール、フレーズ、初見、仲間と合わせる。捻出した時間に何をやるか計画します。これも心、環境の要因によって左右されます。
・具体的練習
音取:楽譜を見ながら書かれている音符を弾いて音にしていきます。最初は片手ずつ、一小節ずつゆっくりやります。
両手で合わせる:ある程度進んだら両手で合わせます。この時、片方の手が釣られてしまうようであれば弾くのを止めて片方はリズムで叩くなども考えられます。
その小節を構成する和音を両手で弾く:和音を弾く。アルペジオにして弾いてみる。即興で色々な音型を考えて弾く。それを両手で弾く。音型を反行させて弾く。例えば右手がドレミファソなら左はソファミレド等。
具体的な練習はこのほか色々考えられます。人や習った先生によっても変わってきます。
一般的な練習としては初見、部分練習、リズム練習、テンポの緩急、暗譜、後半から弾く、難しい部分のみ練習、反復、ポジション変更、人前で弾く、目をつぶって弾く、歌ってみる、録音する、動画を取ってみる、弾く間に体操、ストレッチを入れる、様々あります。
・継続
一生やる。これが一番。
今やっている楽器、その他趣味についてはそのように決めています。
骨に力が加わると破壊され修復時に今までより強くなるという「ヴォルフの法則」や脳の可塑性などミクロの単位で変化するものは見ることが出来ません。しかしアクション(動き)があると必ず身体内部に電気信号や化学反応は起こりある程度の期間で大きな変化が起きます。
これは人間、動物であれば誰にでも例外なく起きます。
進化の歴史を遡ると人間でいう所のこの骨がこんなに大きくなっていたり長かったり、縮小していたり驚きがいっぱいです。
くらべる骨格動物図鑑―ウマは1本の指で立っている!
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784405072985
動きが継続されるとこんなに変わってしまうようです。
それに比べると人の時間はあまりに短いのですが、練習を継続することによって大きな変化を得ることが出来ます。
ピアノが弾ける、バイオリン、チェロ、フルート、トランペット、作曲、英語、ドイツ語、フランス語、スケート、スポーツ、医学等。ありとあらゆる技術、勉強、研究は成果を得ることが可能です。
「繰り返しは名人を作る」「継続は力なり」です。
外に出ると色々な人に出会います。
電車では、つり革をぎゅっと握りしめ体重を預けて立っている人。急ブレーキでぶつかってくる人。スマホの操作で肘が動いて他にぶつかっていたり首が前に倒れている人。
ショッピングカートにもたれ掛かり歩くのがつらそうな人。胸が張っておらず肩が前に出てしまっている人。
よわ弱しい印象です。
鍛えられてないな。休日や家で過ごす時間、何をしているんだろう?多分テレビか寝ているのかな。
人生長くなると色々あります。私も半分くらいまで来ました。
喜怒哀楽の内、喜楽はいいけど怒哀は嫌いだという人は多いと思います。しかし「退屈」に比べると怒りも悲しみもプラスかマイナスに振れるかどうかの違いであって動いていることには変わりありません。
退屈が長く続くと何もしなくなります。やってるとすれば寝ることぐらい。こうなると全てが弱くなっていきます。
中年太り、老眼、白髪なんてまだいい方で高血圧、糖尿、耳が聞こえにくくなる、肩が前に出る、重力に負けて猫背になる、杖をつくようになる、車いすが必要。まだまだ弱くなります。
終末期介護がなぜ難しいか。何十キロもある人がマリオネット状態になりこっち支えるとあっちがだらん、あっち支えるとこっちがだらんとなりベットに戻すのに数人がかりになるからです。
生涯健康であるためには「動き」をひたすら継続することですがこれが難しい。
最初に挙げたように練習や勉強を嫌がる人は多いです。なぜなんだろう?
一つの仮説として子供の時に練習や勉強を強制されたため脳に傷を負ったのではないか?ということが挙げられます。
子どものころは身体の伸びる力が凄まじくなんでも吸収していきます。しかし心と脳はとても弱く様々な経験を通して強くなります。一番、心や脳が強くなる年代を40~50代と考えるとかなり時間が掛かるものだということです。
非常に高度な能力を必要とする練習を子供に強制するとある意味虐待をしていることになり心や脳が傷つく。ということではないかと思われるのです。
トラウマとなり一生悪者扱いされる練習。
仕事引退後、やることが無くなり退屈が襲ってくる。どんどん弱くなっていく。という悪循環が世の中にあるように見えます。
こう見ていくと練習は、手段ではなく「目的」だと言うことが出来ます。練習が出来るとそれそのものが生活となりやることが増えます。
また人間活動(楽器、趣味、スポーツ、芸能、勉強等)の全てのことは習得が可能です。一人ですべてをは無理ですが。
練習は技術であり習得が可能です。
志木市中宗岡 渡辺修司