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ゆとりらYOGA

夏の集中修行会に参加しました

2022.08.13 13:51

今年も、所属団体「日本ヨーガニケタン」の集中修行会に参加しました。

コロナ禍でオンライン開催になって丸3年…おかげで、自宅から参加出来て、休憩時間にちょこちょこ家のことも出来て(気持ちの切り替えはちょっと大変ですけど)有難い!

今回は部分参加だったのですが、30分の瞑想を複数回、それからアサナと呼吸法、最終日は

アラティも。

師匠の話を聴き(シュラヴァナ・聴聞)、それについて考え(マナナ・熟考)、その事を瞑想し、実践に繋げる(ニディディヤーサナ・深い瞑想)を繰り返す時間。

今回のヨーガの師匠の講義中、時節柄か、「カルト宗教」と真の信仰についてのお話があり、印象に残りました。

自分のブッディ(理智)を研ぎ澄ますには、師の話を聴き、「自分で考える」ことが必要である。

オ〇ム真理教にしても、旧〇一協会にしても、ネットや動画でちょろっと教義を聞くと「なんなんそれ…」と思うような荒唐無稽な教えなんだけど、でもそれをじわじわと擦り込まれたら抜け出せなくなるのか…。

勧誘してくる側も悪意を持っている訳ではないから始末が悪いんだけど、でも、どこかの段階で「いくらなんでも」とか「そんなうまい話があるのかよ」みたいな思考になることが、「自分で考える」ということだと思うんですよね。大変に程度の低い話ですが。

真面目だから、とか、良い大学出てるから、というのと、「自分で考える」という習慣は全く比例しない。すっごいエリートらしいけど地頭悪いな~、と思わされる人もいるし、その逆もいる。

私のヴェーダーンタの師も、

私の話を聴いて、そのまま信じるのではなく、疑って下さい。自分で考えて下さい。

と仰います。

相手の言葉を盲信するのではなく、一旦受け止めた後、その言葉を熟考する。疑問があればそれを言語化する。感想も言語化する。

もしそれを相手に伝えられないのであれば、それはいったい何故なのか、その理由も熟考する。(嫌われたくないとか、場を荒らしたくないとか…何故そう思うのかを更に熟考…エンドレス…😑)

つまり、常に「自分で考えること」を自分に課していれば、そのトレーニングが続くことで習慣となる。習慣になれば性格になっていく。

一朝一夕にはいかないことは分っているけど、やらなかったらいつまでたっても始まらない。

コロナ禍が長く続き、自分の近くでもQOLが下がって大きな変化を受け入れざるを得ない人が何人もいます。

勿論自分自身も、仕事が減ったり出かける機会が減り、言語化することもどんどん減っていきました。

言語化が減ると、「自分で考える」という行為も減ってきたような気がする。逆説的だけどサイクルが停滞してきてる感覚。

環境の変化で、枝葉の部分ばかりが大きく揺らぎ、かと言って幹がしっかりしているのではなく何となく根元に不安を感じたりする日々…。

そんな時、YOGAとヴェーダーンタを学んでいて本当に良かったと思います。

どちらも大きな宗教観を持つ智慧で、どちらの師も「自分で考える」ことを繰り返し説いて下さいます。

YOGAの集中修行会は年に3回あり、全てではないけど、出来る時は参加するようにしています。

学んだことを、自分で考え、実践し、行いや言葉にしていきたいと持っています!