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88(ハチハチ)から続いている旅。【山口晴康(SLOW TURTLE)】

2022.09.23 01:00
88年に行われた〈いのちの祭り〉での気づき。アメリカでのインディアン・ウォークを経て〈フジロック〉、そして故郷である瀬戸内海の環境へ。すべては何かに導かれた一本の道なのかもしれない。

文・写真 = 菊地 崇
text & photo = Takashi Kikuchi


- LITTLE EAGLE~SLOW TURTLEとして、ずっと〈フジロック〉のフィールド・オブ・ヘブンに出店なさっています。そもそもフェスカルチャーに入っていったきっかけから教えてもらえませんか。

山口 カウンターカルチャーやサブカルチャー的なものが好きだったこともあって、88年に八ヶ岳で行われた〈いのちの祭り〉に参加したんですね。ハチハチと呼ばれる祭り。


- 「No Nukes One Love」が掲げられたキャンプインのフェスでした。

山口 カウンターカルチャーの様々なコンテンツがそこにはあって、いろんな人に出会った。アメリカからインディアンの人たちも来ていて。90年にヨーロッパでインディアンランをするっていうことを知って、有給休暇を全部使って1ヶ月くらい行こうと思っていたんです。当時は大阪のテキスタイルの会社でサラリーマンをしていて、大阪にはインディアンランやウォークをオーガナイズする事務所もあって、トム・ラブランクっていうインディアンの詩人にもそこで出会って。あるとき、知り合った日本人が、アリゾナにビッグマウンテンというところがあって、そこには強制移住問題があって、その大切な場所をサポートするためにサンダンスという儀式をやっている。クローズでやっているけど、自分たちも関わっているので興味があるんだったら行けるよって言ってくれて。それでヨーロッパではなくアメリカに行ったんです。


- サンダンスに行って、どんなことを感じたのですか。

山口 憧れていたアメリカのカルチャーのルーツがそこにあって。カルチャーショックを受けて、会社になんか行っている場合じゃないって思って、会社を辞めて、アメリカに渡ったんです。


- その後、アメリカではどんな体験を?

山口 触れていったインディアンカルチャーの先にはカウンターカルチャーがあって。オーガニックの農場をやったり、家を自分で作ったり、エネルギーのことを本気で考え電気に頼らない暮らしをしていたり。いろんな人に会った。そういう人たちとの出会いも求めていたから、旅のフォーカスはそっちに向かって行って。子どもが産まれることになって、日本に戻ってきて愛知県の西尾で暮らしはじめたんです。


- 西尾では〈ロックオンザロック〉も開催されていましたね。

山口 西尾にはおもしろい人間が多かったんですよ。中でもマキさんと言う、一緒にヘブンでロータスカフェを出してる人で、70年代からベイエリアに住んでグレイトフル・デッドやインディアンカルチャーにも触れてきた人が、故郷である西尾の山でティピを建てて、毎月満月の夜にスウェットロッジをやったりしていた。アメリカを旅しているときに、デッドも体験できたし、ウッドストックからつながっているようなフェスにも行った。〈ロックオンザロック〉をオーガナイズしたシゲ(故・小林茂明)も西尾出身だったし、亡くなってしまったシンガーの海老原よしえちゃんも西尾出身。よしえちゃんの旦那さんが、ヘブンの舞台監督をしているエビちゃん。エビちゃんから誘いの電話をもらって、〈フジロック〉が苗場に行った1年目から出店しているんです。90年代後半の日本では、アメリカで体験したようなフェスがなかったから、いつかそんなフェスができればなっていう思いもどこかにはあったと思う。


- 毎年、その年のヘブンをイメージするようなTシャツも作っています。

山口 アメリカって、自分たちのローカルのアーティストを使って、シンプルだけどしっかりメッセージも含まれたTシャツをよく作っていて。オフィシャルのTシャツよりも、パーキングロットで売られているそんなTシャツのほうが、より味があったんだよね。ビッグマウンテンでもそうだし、デッドやフェスでもそう。Tシャツもカルチャーのひとつ。ヘブン商売のエリアじゃなくて、何か違うものに出会えるラブ&ピースな場所にしたいって出店する自分たちも思っていたから。


-そんなハルさんが、今は故郷の兵庫県赤穂でNPOを立ち上げました。

山口 赤穂里うみカヤックスっていうNPO。海に浮かんで海から陸を眺めていると、すごく感じるものがあるんですよ。陸側が規制ばかりになってしまっているけど、海には自由がある。海にいるとものすごく自由ということを感じられる。海という自然と向き合っているわけだから、環境のことに関しての気づきもあるし。


- シーカヤックもカウンターカルチャーのひとつなのかもしれないですね。

山口 そう。とにかく自由。インディアンウォークなら、例えば1日に50キロ歩くとか目標を決めるのだけど、海には道はないし、風や波などの状況によって予定通りには進まない。多くの人に海の自由を体験してもらいたいし、そのことによって地球の自然のことを知ってもらいたい。そんな思いがあるんです。


- カルチャーとしてのアウトドアもカウンターカルチャーが起因のひとつだということが、ハルさんから感じられます。

山口 ハチハチ、インディアン、ヘブン、そしてシーカヤック。結局はすべてがつながっているんですよね。若い頃から少しずつ種を蒔いてきたことが、赤穂でもいろいろ蠢きはじめている。里うみカヤックスをひとつの拠点にして、カルチャー的なことを作っていけるのかなって思っています。


山口晴康
〈フジロック〉が苗場に移った1999年からフィールドオブヘブンでの出店を続けているLITTLEEAGLE~SLOW TURTLE。その年のヘブンをモチーフにしたメッセージTシャツは、ヘブンヘッズにとっては毎年の楽しみのひとつだ。今年は3年ぶりに<フジロック>に帰還。兵庫県赤穂市で「NPO法人赤穂里うみカヤックス」を立ち上げ、身近にある海の環境保護を訴えている。https://www.ako-kayaks.org/