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神道の聖地

2022.08.17 07:59

http://salasantiblog.blog123.fc2.com/?m&no=396 【五島列島の王位石と隠れキリシタン】より

五島列島の王位(おうえ)石という不思議な磐座へ突然導かれ、行ってきました。その報告です。いったい何のお役目があるのか分からなかったのですが、とにかく縄文カタカムナとご縁がある気がしたのです。

王位石のある野崎島は五島列島の小さな島ですが神道の聖地として王位石を守る沖ノ神嶋神社の神官と氏子しか人が住んでなかった島で、2001年に神官の家族が離島して無人島になり、寂れてさらに人が行かなくなっています。

古来より野崎島全体が神道の聖地として五島列島一円の氏子から崇敬されていたのは王位石があるからでしょう。すなわち神聖な磐座(イワクラ)として大切にされてきたことが分かります。704年に神社が建てられ、最近まで守られてきたわけです。

この島には19世紀中ごろに隠れ切支丹が氏子として神道の聖地に移住すればキリシタンとして疑われる可能性が低いと考え野崎島に移住したと言われています。

島の中心部に位置する野首集落と南の端にある舟森集落には隠れキリシタンが移住の適地として選んで、神社の氏子としてひそかに住んだようです。

http://kirishitan.jp/components/com008

1974年9月29日のスペインのモンセラート寺院のエスタニスラウ神父がなぜか野崎島の舟森に来て隠遁生活を始めました。

五島には隠れキリシタンが住む島が沢山あるのに、なぜ野崎島を選んだのか不思議ですが、王位石の持つ聖なる力が神父を引き寄せたのでしょうか?

2月に大分の猿田彦さんこと横山さんを六甲山の磐座に招いたことから、王位石を見に一緒に行きましょうといわれ、調べると野崎島はエスタニスラウ神父が住んでいた所と分かり、これは行かねばと興味を持ちました。

五島列島が世界遺産になったのも隠れキリシタンの歴史的な地域だからで、なかでも野崎島は現在無人島になって鹿が400頭も生息しているなど興味を持ったのです。http://ojikajima.jp/nozaki

野崎島に着いたら、崩れて放置された神社があり、台所や家財道具が散らばった状態の廃屋が並んでいました。世界遺産になると手を付けず放置しないといけないのだそうで、一升瓶やビール瓶も転がったまま。

文化遺産を大切にするのが目的なのに、世界遺産になると逆にゴミだらけになるのですから、呆れたことです。

宿泊する野首の方へ歩いていくと、鹿がいましたが、人間を警戒して逃げていきます。人がいた時には鹿狩りがあったからでしょうか。

野首集落に着くと小学校が自然学塾の宿泊施設と利用され、現在足場が組まれ改装工事中で、ここは綺麗になるようです。近くに野首教会があり、東向きの場所ですので、明日朝ご来光を見てお祈りをする事にしました。

翌朝6時に起きてご来光を待ちましたが曇りでした。8時に出発して沖の神嶋神社へ向かいました。

前日の雨で落ち葉が滑り歩きにくい道のりで大変でした。2時間半近くかかって10時半に到着し11時からのご神事に間に合いました。そしてもう一人の猿田彦武部さんが解明したミロク魔法陣の形になって5、6首を何回も7首を3回、アワ歌と君が代を謡いました。

沖の神嶋神社も放置されたままで天井が落ちて、壁も床も剥がれ、神具もほったらかしで人が住んでいないとイノシシが入り壊すのでいずれ廃屋になることでしょう。

遣唐使の航海安全を祈願し700年代に造られた向いの小値賀島「地の神嶋神社」から神主が沖の神嶋神社に向かってお祈りしてるとのことですが、立派な神主屋敷は管理されているのに、神嶋神社は放置したままで、潰れても気にならないのですから呆れます。

神社の中は荒れ放題

王位石神嶋神社から200m下にボートが停泊できる場所があるのですから、観光客のガイドはいるのに月に一度は掃除でもすればと思うのですが。

野崎島は小値賀島の17の島の一つとして管理地域ですが、宿泊施設も教会も旧神主屋敷もしっかり管理しているのになぜ大切な神の遺産の王位石の神嶋神社を放置しているのでしょう。

野崎島がキリスト教関連遺産となったのは王位石のおかげですから、今も多くいるキリスト教徒にとって神嶋神社は大切な場所の筈です。

野首と舟森のキリスト集落跡はなにも残っていないのに、スペインのモンセラート寺院のエスタニフラウ神父がわざわざ野崎島の舟森集落を選んで住んだというのも、放置されていることを懸念した神様の意志だったのでしょうか。野首の自然学塾の塾長さんにこの問題をお話すると、同じ思いを抱いておられましたので、安心しました。

小値賀島は、旧石器時代 3,縄文時代16,弥生時代18,古墳時代11の遺跡が発見されている古い文化のある島で、神功皇后の三韓征伐や空海、最澄も来ているという大変歴史的にも伝統のある場所ですから、王位石のある神嶋神社と小値賀島の地の神嶋神社が大切に祀られ、歴史的に重要な役目を演じてきたことが想像できます。

今回、猿田彦さんが天啓を受けて王位石の声を聴き、私たち7人が野崎島へ訪れたのも、王位石という磐座の存在を日本全国に知らしめる使命なのだと思います。

解説: エスタニスラウ神父が五島列島の野崎島から来て、広島の三原に住んでおられた時に、保江邦夫先生が訪ねて行かれ、神父からモンセラート寺院に残るキリスト活人術を伝授されたという不思議な体験をされています。

20歳の時にメキシコでピカソの絵に出合い、バルセロナに行かねばと思っていましたので、モンセラート寺院にも行けるツアーだと知り参加したのです。

その旅から帰国した時、私のハイヤーセルフの絵をお願いしていた人からダビデの肖像画が送ってきてビックリしたのです。神戸にサンビルダーというビルを70棟近く持っている杣浩二会長は日ユ同祖論研究の大家で、イスラエルの高名な学者と研究されており、バルセロナへ一緒に行きました。

私たち現在の日本人の40%がユダヤ人だと言われておるそうですので、それなら聖書に登場するダビデやモーゼが私たちのご先祖様であっても不思議ではないと思ったのです。

最近六甲近辺に不思議なお店や人が集まってきています。その中の一人にテラファイトという健康器具を発明された上森さんの会社が六甲道の下にあります。

日本に多くのユダヤ人が来ているという事実を証明するようにキリスト、ダビデ、マリアの陵墓が神河町に野末自然学塾の塾長 前田さんあるという発掘をされており、本も多く出版されています。

                                                 

阪急六甲の山側すぐ上に佐世保のアンデルセンよりスゴイ超能力の物質化現象を見せてくれるBirdieというお店があります。先日明窓出版から保江とBirdieさんの共著「スプーンはなぜ曲がるのか?」が出版されました。

こうしてサイババのような不思議な人たちが集まってきて、サラ・シャンティ周辺が賑やかになってきました。

3月26日(金)2時から「しんしん道講座」を久しぶりに開催します。保江邦夫先生や天野成美先生のカタカムナの内容と私の体験の不思議な共時性や共通点、そしてカタカムナ的な生き方などについてお話したいと思います。

参加費¥2000です。


http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-953.html  【王位石と沖神島神社の不思議な伝説】より

野崎島の王位石。

王位石については、人工説と天然説があり、結論は出ていません。

しかし、風化と浸食で形成された奇岩は、花崗岩の方状節理であれ玄武岩の柱状節理であれ、同じ形状パターンは各地にあります。一定の条件下、一定の風土下では同じパターンの物理的変化を生じさせるのです。

しかし、王位石に似た天然の奇岩が日本にあるとは思えません。

下の継ぎ目をご覧ください。

風化や浸食で亀裂が生じたとは、とても思えません。明らかに最初から太さの違う岩を載せています。

次にこれは、笠石の支柱石(左側)です。

メインの支柱石では高低が出てしまって笠石が不安定になるため、補助的な支柱を挟んだようにも見えます。

結論として、少なくとも王位石の最上部は、人工的なものだと思います。

  ☆

では、王位石をご神体とする、沖神嶋神社とはどんなお社なのでしょうか?

下は、沖神嶋神社社務所の由緒書きです。

祭神三座

右 志々伎大明神  十城別王子(トウキワケオジ)

中 神嶋大明神   一速王子(イチハヤオジ)

左 七郎大権現   氏廣公

慶雲元甲辰年建立  紀元1364年

          西暦 704年

祭神について、十城別王子と一速王子は、日本武尊の御子であり、神功皇后の「三韓征伐」の時に軍功があってここに祀られたと記されています。

これらは記紀神話を取り入れた後付けの話のような気がするのですが。

さらに興味深い話が書かれていました。

一基は此の山の北の方 海底に有りて 大潮干潮海上静なる時笠石の瀬見える〈すなわち阿瀬(あぜ)という〉

常に不知(しらず)して此の上を船過る(とおる)時は、忽ち変あり

つまり、この王位石と同じものがもう一つ、山の北の海底にあるとはっきり書かれているのです。

知らずにその上を通る船には「変」が起こり、干潮時には笠石が見えると、かなり具体的な記述です。

王位石そっくりではなくとも、未知の石組みが海底に沈んでいるのかもしれません。

さらに不思議な伝説が続きます。

毎年大晦日には、未知の岩組みが沈む阿瀬の海中より、月光のごとく光る龍燈が出て分散し、海上が照り渡るというのです。

神秘的な話ですね。

「毎年衆人是を拝す」とありますから、それを見たという人が何人もいたわけです(@_@;)

単なる伝説、共同幻想にすぎないかもしれませんが、この大晦日、対岸から望遠鏡でじっと眺めたい気がしてきます。

ひょっとすると、琵琶湖の水深数十メートルという湖底に縄文遺跡があるのと、同じ祭祀思想なのでしょうか??

  ☆

小値賀町歴史民俗資料館は、小さいながら充実したところです。

王位石の史料も展示されており、学芸員さんのご意見もうかがうことができます。

その展示物の中に、こんな絵図がありました。

よく見ると、王位石の上の方に、何かが描かれています。

祭神の古墳だとされているようで、巨石が並んでいるように見えます。

三輪山などの原始信仰の伝統を守るお社には、しばしば頂上の奥津磐座、中腹の中津磐座、山麓の辺津磐座の三点セットが見られますが、ここは山頂、中腹、海底に三点セットがあるのでしょうか?

ただし、これらについてお話を聞こうとしても、神社のご神職はおられません。

住民が離島したあと、なおこの島に残っていた宮司さん一家も、2001年(平成13年)には離島し、野崎島は無人島となったのです。

  ☆

実は、誰もいないはずの野崎港の待合室で、写真を掲示しようとされている方がおられました。

住民がまだ住んでいる時代から、この島の写真を撮って記録してこられた、「自然とへヴィ&ハードロック、芋焼酎をこよなく愛す動物写真家」の津田堅之介さんです。

気さくで優しい方で、昔の野崎島の話をいろいろ聞かせていただきました。

その中で驚いたのは、住民の言葉には、朝鮮語が時々入っているという話でした。

さらに、いろいろ親切にして下さった津田堅之介さんへお礼の気持ちを込めて、最終日の小値賀港売店で

『野崎島の四季  写真家 津田堅之介』

というDVDを買ったのですが、その中に廃校となった野崎小学校の校歌が映し出されていました。

気になったのは、その三番の歌詞。

西海の波とどろけば

大陸文化もとめたる古代の人の心つぎ

はげむ力のわいてくる

野崎 野崎 野崎 われらが母校

成田や関空では、さまざまな国の言葉が飛び交います。

同じように古代の小値賀島、野崎島では、日本語だけでなく中国語や朝鮮語なども飛び交っていたのかもしれません。

また風土記には南九州の風俗と似ていると書かれたり、遺跡からタイ国産の陶磁器が出土したりと、古代からグローバルな地域であったようです。

ちなみに私が衝撃的に感じたのは、小値賀島に関わる『肥前国風土記』の内容です。

「この島の白水郎(あま)は容貌が隼人に似て、常に騎に乗って弓を射ることを好み、その言語は世人と違っている」

もし王位石と同じような巨石遺構があるとしたら、それは日本国内ではなく、韓国南岸の多島海地域から、東南アジアの沿岸部に至る、ひなびた海岸沿いにひっそりと残っているのではないか・・・・

単なる空想ですが、そんな気がしています。