Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

発見!五島古代遺跡

2023.01.10 09:28

発見!五島古代遺跡

http://gototakaamanohara.livedoor.blog/archives/176285.html 【五島市福江の古代遺跡】

https://note.com/puratto/n/n4d788c54c0ce 【発見!五島古代遺跡】より

まさかこんなところに古代遺跡が・・・! 私の北海道の友人あゆみさんが五島に訪れることがきっかけで、信じられないような発見が次々と起こりました。あゆみさんは私が運営する農園「ぷらっと農園」で実践している「バイオダイナミック量子力学農法」を教えてくださった方でもあり、先史時代ついてとても詳しく、びっくりするようなことをいろいろ教えていただいている方です。あゆみさんから随分前に、「奥浦に何か遺跡はないですか?」と尋ねられたことがありました。私も10年近く奥浦に住んでいるのですが、そんなことは聞いたことがありませんでした。歴史資料館で奥浦の遺跡に関する資料を調べたのですが、該当するようなものは見つかりませんでした。あゆみさんにそのことを伝えると「私の知り合いが「奥浦」や「奥の木場」あたりに遺跡があると言っています。何か心当たりがあったら教えてください」 

あゆみさんは遺跡に詳しい知り合いの方から地図を見せてもらったらしく、その地図には『奥の木場』に遺跡、聖地があることがわかるように作成されていました。

 2020年末に私たちが運営するゲストハウス「タイニーハウスねこたま」がオープンしました。あゆみさんにもぜひ泊まりに来てくださいとお伝えしたところ、4月に友人たちと泊まらせてもらってもいいですかと言われたので快く承諾し、あゆみさんたち4人が五島に来ることになりました。

「あゆみさん、五島のどこに行きたいですか?」と尋ねたところ、びっくりするような答えが返ってきました。

「一番行きたいところは『ゼンダナ』」

『ゼンダナ』?どこそれ! 私も10年近く五島に住んでいますが、聞いたこともない地名でした。

「ここに古代の巨石群があるそうです。メールで地図を送りますので見てください」

その地図を見てびっくり!その場所はいつも通っている小田地区にありました。「シティーモール」という、五島では有名なショッピングモールがありますが、奥浦から行くとその途中にあるのが小田地区です。

いつも通っているこの場所に古代の巨石群!ちょっと信じられませんでした。『ゼンダナ』の場所はだいたいわかったのですが、その巨石群がどのあたりにあるのかが、全く見当がつきませんでした。

五島のことにも詳しく、知り合いも多いスギさんに尋ねてみました。

「スギさん、『ゼンダナ』って知っていますか?ここに古代の巨石群があるそうなんですよ」

「小田って私が住んでいるすぐ裏じゃないですか。『ゼンダナ』って聞いたことないな。ちょっと面白そうなのでいろいろ調べてみますよ」

スギさんは快く『ゼンダナ』探索に付き合っていただくことになりました。後日談になりますが、スギさんがいなかったら『ゼンダナ』の巨石群にはたどり着くことができませんでした(スギさんには感謝です)。

数日経ってスギさんから連絡をもらいました。

「私が住んでいる籠淵地区(小田地区のすぐ横の地区)の長老たちに『ゼンダナ』のことを聞いてみたら、誰も知らないと言うんですよ。『ゼンダナ』のある小田地区の知り合いの長老に聞くと、そういうものがあると聞いたことはあるが誰も詳しくは知らないみたいですよ」

これは完全に迷路にはまった感覚でした。

「あゆみさん、『ゼンダナ』についていろいろ調べてはいるのですが、籠淵地区の人も小田地区の人もほとんど知らないみたいなのです」

あゆみさんは最初に荒深道斉という方の文献をインターネットで見つけ、少し経ってから木内鶴彦氏の五島古代遺跡ツアーのブログを見つけたそうです。あゆみさん達が九州に来られる直前に木内氏のツアーに関するブログを送ってくださりました。それが以下のものです。

http://www.forumsora.com/?p=5904

木内鶴彦さんを中心に、2018年に行われた検証ツアーです。この検証ツアーのブログを見て驚きました。

「1万年前の巨石文明の謎を検証」

「イエスの剣山までの足取りを検証」

「むき出しの大自然から地球創世の姿を検証」

目的にも驚かされたのですが、五島に10年近く住んでいながら私の知らないところばかりでした。

あゆみさんたちはこのツアーを元にして、五島の行きたいところを絞られたようです。

このブログを見て本当に『ゼンダナ』に巨石があるんだと再認識しました。

ツアーの写真の中に田んぼの畔を歩いているものがありました。この写真を見て、私とスギさんは見たことあるようなないような風景だなとその場所をいろいろ考えていました。いったいどこの田んぼの畔を歩いてゼンダナの巨石にたどり着いたのだろうと、写真を見ただけではまったく特定できませんでした。

ブログをよく見たら、巨石を案内したのが永冶さんと出ていました。永冶さんは現在五島市のプロジェクトの「世界ジオパーク」認定にご尽力なさっている方です。私は直接お会いしたことはなかったのですが、スギさんは永冶さんのことをよくご存じで連絡とってみますよと言ってくださりました。これで『ゼンダナ』の巨石に行けるかもと希望の光が少し差してきました。この時、あゆみさんたちが五島に来る1週間前のことでした。

あゆみさんたちが来る5日前のこと、スギさんは永冶さんにお会いしました。永冶さんから聞いて田んぼの 場所が特定できました。まさにいつも通っている道の横の田んぼでした。

永冶さんは

「ゼンダナを案内したのは2年ほど前で、ところどころにリボンを蒔いて印をつけておいたのですが、今はどうなっているかわかりませんよ。それほど遠くないので、たぶん行けると思います」と言われたそうです。

永冶さんから、木内さんの検証ツアーのブログにも書かれている、荒深道斉氏が書かれた資料のコピーをお借りしました。木内さんも荒深さんの資料を元にして、検証ツアーの計画を立てられたそうです。

「福江島神籬めぐり」という資料は、荒深道斉氏が昭和10年に書かれたものです。そんな昔に五島に来島 して神籬を調べられていたなんてびっくりです。スギさんはこの資料の中に出てくる人たちが、今の五島市の中心的役割を担っている人たちの苗字が出てくるので、とても面白いと言っていました。

この資料の中の『ゼンダナ』の箇所を読んでみました。

「標高二百メートル余りの愛宕山といえる小山の南麓二合目位の処にあり」

2合目と書いてあるくらいだから、それほど遠くないだろうと私たちはそう思いました

(実際けっこう遠かったのですけどね)。

あゆみさんたちが来る前日、思わぬ朗報が飛び込んできました。永冶さんから午前中に時間が空いたので「割石」まで案内しますよと連絡をもらったそうです。「本当ですか!」と飛び上がるくらいうれしかったです。

これでゼンダナの巨石群まで行ける!これは神様の思し召しと思いました。あゆみさんたちにすぐに電話をしました。北海道をすでに出発していて福岡から長崎に移動している道中でした。

「あゆみさん、間違いなく『ゼンダナ』の巨石群に行けますよ!今スギさんが永冶さんに案内してもらっているところなんですよ」

「それは本当に良かったです。神様が段取りを組んでいただいているかもしれませんね」

これで明日の遺跡めぐりの準備が整ったとそう思いました。しかし神様はその他にも信じられないようなことを準備なさっていたのでした。これから起こる衝撃の事実に、まだこの時は知りませんでした。

4月15日、この日はフェリーがドッグダイヤだったので福江港到着が夜の11時30分でした。あゆみさんとはいつも電話で話しているのですが、直接会うのは15年ぶりくらいだったので、五島であゆみさんと会うのがとても不思議な感じがしました。あゆみさんを含め今回五島に来た4人の女性の方たち、あきこさん、まなみさん、なおみさんは、エネルギーに敏感な方たちで明日の遺跡めぐりがとても楽しみになってきました。この日はかなり遅く五島に着き道中の疲れもあるだろうと思い、港に迎えに行く前にゲストハウスの薪風呂を沸かしておき、後はゆっくりくつろいでもらおうと段取りを組んでいました。ゲストハウスに着き「星がきれい」と言われたのにはちょっとびっくりでした。北海道も星はきれいじゃないのですかと聞いたら、札幌なのでここまできれいに見えないのですよと言いわれました。

「明日はスギさんに9時に「ねこたまショップ&カフェ」に来てくれるので、その前に私の畑に行きませんか。ちょっと早いですがぜひあゆみさんに畑を見てもらいたいので、7時に迎えに来ていいですか」と言ってその日は別れました。

4月16日、忘れもしない衝撃的な1日の始まりです。朝、ゲストハウスに迎えに行きました。ゆっくり休んでいただいたみたいで、みなさん体調は良さそうでした。

昨日言ったようにこれから『奥の木場』の畑に向かいますね。そのときあゆみさんが

「えーっ、『奥の木場』に今から行くのですか?私、本当は『奥の木場』に行きたかったの。『ゼンダナ』にも行きたかったのですが、それと同じくらい『奥の木場』にも行きたかったのです。本当にうれしいです」

あゆみさんが『奥の木場』に行きたかった理由は、あゆみさんの昔の活動仲間の一人(方位学と聖地の関連性を研究している方だそうです)が

遺跡に詳しい友人から「『奥の木場』に絶対トンデモないくらい重要な遺跡があるハズだ」とあゆみさんに伝えていたからだそうです。

その方が作成した地図上には本州の重要な聖地と『奥の木場』との結びつきわかるラインが何本も引かれていたからだそうです(いったいどんな地図なのか、この時私はまだ見ておりませんでした)。

その時私の口から「『奥の木場』に行きます」と言ったものですから、あゆみさんはびっくりするくらい喜ばれたのでした。

峠を越えて『奥の木場』の開けた盆地に入る手前で、あきこさんが「エネルギーが変わりましたね、ここはまさに聖地ですね」と言われました。私も『奥の木場』に入る時、いつも気持ちのいいエネルギーを感じておりました。

畑に着くと気持ちのいいエネルギーを感じて、とても素敵なところですねとみなさん感動されておりました。

ここにあゆみさんを連れてきたかった理由は、「バイオダイナミック量子力学農法」の心臓部である「クォンタム・フィールド・ブロードキャスター」と「アトリオ」を見ていただきたかったからです。ここでは長くなるので「クォンタム・フィールド・ブロードキャスター」と「アトリオ」の説明は省きますが、宇宙も含めた大気中のエネルギーのバランスを調整してくれる装置だとご理解ください。

あゆみさんはダウジングで「いろんなもの」、「事象」、「過去のこと」「未来のこと」まで調べる能力をお持ちです。「クォンタム・フィールド・ブロードキャスター」、「アトリオ」が正常に働いているかダウジングで調べてもらいました。全く問題がないと出たので一安心しました。

画像3

    ダウジングをしてくれています

「畑の向こうに川があってそこがとっても気持ちがいいんですよ。そこまで行ってみますか」と言ってみんなで川の方に向かいました。イノシシ除けの柵を越えて川のところまでやってきました。

「ここはとっても気持ちがいいでしょう」と私が言うと、あきこさんが

「この前の場所すごいですよ!とんでもないエネルギーを感じます。これらはレムリアの遺跡じゃないですか」

「えーーーーーーーーっ‼ レムリアの遺跡! ちょっとそれ、すごすぎるんじゃないですか」

私はこの川に来ると、何とも言えない気持ちよさを感じておりました。2年位前に体調をこわしていた人を この川に連れてきたとき、とても元気になって帰っていきました。この人もレムリアのエネルギーで癒されたのかもしれません。

川を越えたところに石垣がけっこう広く長く積まれています。私は昔の人がここで畑でもしていてその名残のように思っていました。それがまさかレムリアの遺跡!あゆみさんが探していた遺跡が私の畑の向こう側にあったなんて、まさに灯台下暗しでした。この時の衝撃をどのように伝えていいのか、うまく言葉にできません。

画像4

            奥の木場の遺跡前の川

画像9

       レムリアの人たちがつくったかもしれない石垣

ここで少し説明を加えますと、レムリア文明とは今の古代史では認められておりません。あくまでも伝説ですが、今から1万年以上前の昔、太平洋に大陸がありそこには現代より高度な文明があったと言われています。天変地異が起こり、大陸が沈み、レムリアの末裔たちが五島にやって来たのではないかと推測されます。信じられない話ですが、あきこさんはレムリアの記憶を持っていると言われました。そのあきこさんが「まさにここはレムリアのエネルギーですよ」と言われていたのですから本当にそうかもしれません。

川を渡って向こう岸まで行きたかったのですが、その日は雨の後だったので水かさも多く、川を渡る準備を何もしてこなかったので、向こう岸に行くことはあきらめました。後日私が渡って、写真を撮って送りますよということになりました。

 あきこさんが「ここでアマテラス祝詞をあげましょう」ということになり、アマテラス祝詞をあげ始めました。祝詞をあげて柏手を叩くとき、あきこさんの手を見ると指の先から青いきれいな光がまっすぐに天に向かって 伸びているのが私には見えました。あきこさんは、ただ者ではないとそう思いました。

「この場所はすごいところになりますよ。現代の英知である「アトリオ」があり、その横にレムリアの聖地があるのですから、現代と古代の融合が起こりこれからが楽しみですね」とあきこさん。

私たちは神様の計らいで、最初に一番見るべきものを見せられたのでした。

「あゆみさんの知り合いが言っていた遺跡はこれだったのかもしれませんね。」

「さすがの木内鶴彦さんもここまでは来れなかったみたいですね」

とみんなで笑って『奥の木場』を後にしました。

 遺跡めぐりの始めがこの衝撃ですから、これから何が起こるのかとても楽しみになってきました。

 9時にお店でスギさんと合流しました。私たちはまだ『奥の木場』の衝撃がまだ抑えきれない状態でした。

この日は小雨模様の天候でした。雨もまだ降っていたのでゼンダナは午後にしようということになりました。

 最初に向かったのが「経塚」です。経典を主体に埋めた場所といわれています。荒深氏によれば数万年前の神籬の一座ではと書かれています。この経塚は坂の上の運動公園の横にあるのですが、最初どこにあるのかさっぱりわかりませんでした。駐車場の横に小高い丘がありひょっとしてこれではと行ってみると、まさにここが経塚でした。草に覆われて巨石の形すらわかりづらかったです。近くに近寄って見てみると、カニのはさみのような形をしていました。

 

 ここでちょっと面白い体験をしました。私は不覚にもデジカメを落としてしまいました。そのことをみなさんに言うと、あきこさんがすぐに見つかりますよと。するとあきこさんが「デジカメさん出て来てください!」と   言っていると、ほんの数分後に「あったー」という声が上がりました。またまたあきこさんのすごさを見せつけられました。

 次に向かったのが、「大窄の和田一」。蛇、カエル、亀、馬の四性和合の巨石。よく見ると岩の形が蛇、カエル、亀、馬に見えるのですね。また亀形石に精巧なオリオン座が刻まれています。これが5千年から3万年前のものと荒深氏は言われています。

画像5

              大窄の和田一

 この後に訪れたのが富江の「勘次ヶ城跡」。勘次ヶ城はあゆみさんたちがぜひ訪れたい場所のひとつでした。 というのも勘次ヶ城はハワイの「ヘイアウ神殿」に酷似という説があるからです。

http://gototakaamanohara.livedoor.blog/archives/176357.html

ユネスコ世界遺産委員会の吉田信啓氏によれば「明らかに中世の城郭とは違った石積みの祭壇跡やまさしくシュメール人や會畑人など海洋渡来民による遺構に特徴的な形状が認められる」と言われています。

 五島がハワイと繋がっているのであれば、地球規模の大きな文化圏があったと推測できます。私は学生の時、ハワイ島に1年間農業研修で滞在しておりました。その時「ヘイアウ神殿」も実際見た経験があります。確かに「勘次ヶ城」の石積みは「ヘイアウ神殿」の石積みに似ていると直感的に思いました。そして奥の木場の石積みもです。決して違うものとは思えませんでした。ヘイアウ神殿、勘次ヶ城、奥の木塲 同じ文明で繋がっているのであれば、それがレムリア文明であるのだとすれば壮大なロマンがここ五島に広がるように思えました。詳しい方がいらっしゃったらぜひ調べていただきたいものです。

画像6

               勘次ヶ城跡

 

 「勘次ヶ城跡」を後にして、海岸沿いを歩きました。亀甲石舞台に行きたかったからです。海の風を受けながらの散歩コースは、ここは五島じゃなくてハワイ島のコナコーストを歩いているじゃないかなと錯覚するくらいハワイに似ていました。気持ちはいいのですが、それとは別に歩けど歩けど亀甲石舞台が一向に見えてこないのです。本当にこっちで合っているのかなと少し迷いを生じ始めていました。歩いている途中に本物の海亀の甲羅を見つけました。ハワイでは海亀は「ホヌ」といって海の守り神として見られています。甲羅を見たことでハワイとのつながりをより感じました。2,3キロは歩いたところで、スギさんが富江の「さんさんキャンプ場」の知り合いの方に電話をかけて聞いていただきました。その方の話からすると「亀甲石舞台」は、勘次ヶ城跡から私たちが来た反対の方向にあったそうです。私たちが反対の方向に来てしまった原因は、木内さん検証ツアーブログの地図に「亀甲石舞台」の位置が反対の位置に記されていたからです。それはともかくとして、気持ちのいい散歩コースを歩き、亀の甲羅を見つけてハワイとの繋がりを感じたことだし、これはこれでよかったのかなと思いながら 歩いてきた散歩コースを引き返したのでした。

 「勘次ヶ城跡」を後にしたのが1時過ぎ。みなさんお腹がペコぺコになってきた頃でした。スギさんが幾久山の「カフェじゃろなんじゃろ」に予約を入れていただき、そこで昼食をとることにしました。私も普段それほど出歩かないので、「カフェじゃろなんじゃろ」に行くのも初めてでとても楽しみでした。富江から30分くらい かけてお店に到着。落ち着いた雰囲気でとてもキレイで、いつまでもいたくなるような素敵なカフェでした。ランチも幾久山で採れたおいしいお米,そして地元で採れた野菜中心で心のこもったおいしい料理でした。店長の福島さんのやさしい人柄が現れていると思いました。

 幾久山にもいくつか伝説があります。ここにアマテラスが隠れたとされる洞窟があるとされていることや、上の平という地名があり「上」を「神」と呼んで、この場所でアマテラスが洞窟から出て来てもらうための神様たちのの演舞が行われたのではないかという説が伝えられています。幾久山はとても興味深いところであります。

 いよいよ本日のメインイベントである『ゼンダナ』に向かうことになりました。『ゼンダナ』に着いたのが3時過ぎ。降っていた雨も止んでくれました。いつも通っている道の横に車を駐車し、田んぼの畔を歩きました。  写真に写っていた田んぼはここだったのかと、しみじみとそのことを嚙み締めながら畔を歩きました(ここまでくるのに苦労しましたからね)。田んぼを抜けると山の中に入り、ところどころに永冶さんが結んだであろう赤いリボンがありました。イノシシの柵を越え、山の中に入っていきました。永冶さんがスギさんに前もって案内していただけなかったら、間違いなく迷っただろうと思いました。

荒深氏の資料には2合目あたりと書かれていましたが、そんな下の方ではなく山の中腹あたりまで登っていきました。歩き始めて30分くらいすると、ついに「割石」が見えてきました。あまりの迫力に圧倒されました。いつも通っている道の横の山の中腹に、こんな巨石が鎮座していたなんて改めて驚かされました。

あきこさんは五島に来られる直前に、あきこさんのご友人が上五島にある野崎島の「王位石」に行って来られたそうです。その際、そのご友人は「王位石の本体は別の場所にある」と直感し、あきこさんにそれを伝えたそうです。あきこさんがそれをあゆみさんに伝え、あゆみさんがダウジングして王位石の本体が福江島の『ゼンダナ』にあるという答えを導き出されたということでした。あゆみさん達が訪問する予定の場所の中で,反応があったのはゼンダナだったということでした。

これはゼンダナに行かなければとあきこさんは思ったそうです。その『ゼンダナ』の巨石群に、ついにたどり着きました。

あきこさんは日本の多くの巨石(磐座)を見てきているのですが、この『ゼンダナ』の巨石のエネルギーはトップクラスに入るのではと言っていました。それほどすごい巨石が福江島の『ゼンダナ』に、それもあまり人に知られることなくひっそりと鎮座していたのですから、それだけでも驚かされます。

画像7

                割石

 「割石」から少し離れたところに「剣石」がありました。荒深氏の資料によるとここに「竜座」や「オリオン座」の星座が刻まれている書かれています(私のような凡人にはまったくわかりませんでしたが・・・)。星座の位置関係からして一万年以上前のものと言われています。一万年前というと縄文時代、もしくはもっと前の時代ということになります。そんな大昔に太古の文明がここに栄えていたかと思うと、ますます五島に興味が湧いてきました。

画像8

                剣石

「この地、膳棚と称するは、膳部座にて、なお御食殿座を伴へば、全く豊受座にて伊勢神宮の外宮の如しと考へ」

荒深氏の非常に難解な文章ですが、あゆみさんがこの文章と関係のあるとても興味深い話をしてくれました。

「伊勢神宮の外宮には豊受様が祀られていますが、この神様は謎の多い宇宙神だと思います。私は豊受様は弁財天であり、命の根源神「イシス女神」だと考えます。イシス女神はシリウスに関係していると思います。『ゼンダナ』はイシス女神はもちろん、北極星の神様、北斗七星の神様、オリオン経由で来た存在たちなど、いろいろな星系の存在が関わった場所なのではないでしょうか」

私には話が膨大すぎて理解するのが難しいですが、興味のある方はぜひ調べていただければと思います。

スギさんが永冶さんに案内されたのは割石まででした

「五六十メートルの急傾坂を上れば百坪ばかりの平地をなして、十数個の「巨石畳」あり。果して御膳所たり。」

ここから5,60メートル先に「巨石畳」があると書かれているのだから、行くしかないでしょうといことになり、私たちは5,60メートル先を目指して急坂を歩き始めました。

「もう5,60メートルは歩いたよね」 割石が2合目にあると書かれたいたり、5,60メートル先にあると書かれていたり、昔の人の距離感は今と違うのかなと思いました。

行けども行けども「巨石畳」は見つかりませんでした。歩き始めてから20分以上は経ったと思います。ようやく「巨石畳」にたどり着きました。

「ここもすごいですね。エネルギーが高すぎて圧倒されます」

坂を上り切った平らなところにいくつものエネルギーの高い石がありました。ここにたどり着いたとき、あまりにも圧倒されて誰とも話をしなかったくらいです。

「この先もまだ続くみたいですよ。もう少し行ってみましょうか」しばらく歩いているとあきこさんがある石のところで立ち止まりました。

「この下に何かありますよ。この下から何かを感じます」と言っていて土を掘り始めました。掘ると言っても道具を持っているわけではないので、木の枝で少し掘ったくらいでした。

あゆみさんがその場所でダウジングを始めました。ダウジングが終わると「ここは異空間の扉かもしれませんね。当時の文明は異空間の入り口として使っていたのかもしれませんね」

話を聞いてゾクゾクしました。今からおよそ1万年以上前の文明がこの場所をどのように活用していたのか謎は深まるばかりでした。

その先も続いていたのですが、暗くなり始めていたので下山することにしました。「後でこの先も行ってみますので、写真を撮って送りますね」とここでも今後の宿題ができました。

下山をし始めると「割石」まではスムーズに降りることができたのですが、山をなめてはいけません、そこから来た道がわからなくなり迷ってしまいました。ただ下の道路の車の音が聞こえるのでそれほど不安にはなりませんでした。永冶さんがつけてくれたリボンは見当たらないし、ただ下の道路を目指して降りるしかありませんでした。草をかき分け雨上がりだったのでズボンや靴はびしょびしょになり、大変な思いをしてようやく下山しました。道路に出たところは上り始めたところよりも300メートルくらいシティーモール寄りのところでした。何はともあれようやく下山ができ、今日のツアーは終了しました。忘れられないとてもエキサイティングなツアーとなりました。 

この物語にはまだ続きがあります。この後に驚くべき事実を発見することとなります。 

今回のツアーの興奮が冷めやまない中、あゆみさんから『ゼンダナ』、『奥の木塲』、『笹岳』(今回は行けなかったのですが、この山もシンボル的な山なのです)の詳しい位置関係を教えてくださいと電話をもらいました。私はこの3地点が三角形に囲まれていて、当時の文明の中心的な場所ではないかと想像していました。私の福岡の親しい友人にこの興奮を伝えたくて電話をしていた時のこと、この日のいきさつを話しているときに友人は3地点の位置関係をネットの地図で調べていました。

「ひょっとして、『ゼンダナ』、『笹岳』、『奥の木塲』は一直線じゃないですか」

「うそでしょう!」と信じられませんでした。

私も地図で調べてみたら確かに一直線上にありました。

「これてってまさにレイライン!」 衝撃的な事実を発見しました。

レイライン 五島 1

あゆみさんにもすぐに連絡しました 

「あゆみさん、すごいですよ!『ゼンダナ』、『笹岳』、「奥の木塲」は一直線ですよ」「ほんとうに!なんか鳥肌が立ってきちゃった。」

先史時代、この場所は特別な場所に思えてきました。

その数日後、あゆみさんからもっと衝撃的な事実を電話で教えてくれました。

「まさるさん、『奥の木塲』、『笹岳』、『ゼンダナ』をもっと南に伸ばしてみてください。ひょっとしたら『鬼岳』、『黄島』にぶつかりませんか?」

調べてみたらあゆみさんが言うように、『奥の木塲』、『笹岳』、『ゼンダナ』、『鬼岳』、『黄島』が一直線なのです。

「これってすごすぎませんか」。この事実は鳥肌どころではありませんでした。

『鬼岳』は福江島のシンボル的な山で昔は火山だった山です。ここ山周辺に縄文遺跡群あるいう話も聞きます。 そして『黄島』、この島には溶岩トンネルがあり、そのトンネルは富江の「井穴」に繋がっているという伝説があります。『黄島』で洞窟に入っていった鶏が富江のトンネルから出てきたという説があるのです。『黄島』の洞窟には観音様が祀られ、毎年島民だけで祭事を行っているそうです。『黄島』はとても神秘的な島です。『奥の木塲』、『笹岳』、『ゼンダナ』、『鬼岳』、そして『黄島』、これがまっすぐ一直線で結ばれています。まさに「五島のレイライン」です。


五島の古代遺跡の旅はここがスタートラインです。この後は続編に続きます。