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「宇田川源流」【日本万歳!】 若い世代に「浴衣」という文化が継承される日本の「美」

2022.08.21 22:00

「宇田川源流」【日本万歳!】 若い世代に「浴衣」という文化が継承される日本の「美」


 毎週月曜日は、「日本万歳!」をお届けしている。日本のすばらしさや日本が世界で評価されている内容をここに紹介し、そのうえで、その内容が評価されている人や個人、団体などの固有のものではなく、その内容が「日本人の生活習慣や慣習、国民性に起因するものである」ということを解説し、そのうえで、我々、一般のスポットライトを浴びない日本人も同じ国民性を持っているということを、この内容で確認するというような内容になっている。

そのことは、日本人が妬みなどを持たずに、その称賛されていることを、自分と同じことであるというように評価し、自分自身や日本という国家、国民性に誇りを持つことができるのではないかというようなことで、このことを行っている。

今週は、先週までの「お盆休み」が明けて、やっと土日も過ぎて、また暑い夏の日差しの中、働かなければならないというような状況にあり、その中で、より一層頑張って、今年の後半を過ごさなければならない、多くの人の「月曜日」に、その内容を書くことによって、少しでも精神的に良い話ができるのではないかということを考えているのである。まあある意味で「日本人(日本人的国民性や生活習慣を持つすべての人)全員に対する応援」ということで、この内容を書いているのである。

さて、私個人の話になるが、「和服」が好きである。正直に、和服というのは、帯一本ですべてが整っているわけなのであるが、一方で、チャイナドレスなどとは異なり、かなり厳重な造りになっている。もちろん、何枚も重ね着をしているということになっている。これは日本の住宅が古くは「夏に涼しく過ごす」ということを中心に考えられていたために、冬などの和服は暖を取るということを中心に考えられていた。つまり「服装」出音頭を調節していたというような文化による。冬は寒ければ、「重ね着をすればよい」ということになっていたのだ。

ではそのような夏の服装というのはどうであったのだろうか。

日本一ゆかたが似合う10代が決定 俳優志望の19歳・野口友哉さんがグランプリ「とても光栄です!」

「日本一ゆかたが似合う10代」を決定するコンテスト『ティーンゆかたアワード2022』の最終審査が、7日に東京・神田明神で開催された『エモいゆかた祭り』特別ステージで行われ、グランプリには俳優志望の野口友哉さん(19)が選ばれた。準グランプリは男女1人ずつで兵庫県出身の中学3年生の辻陽菜乃さん、美容学生のたくまさん(19)が受賞した。

 コンテストは、「Z世代×日本文化」がコンセプト。審査員は、今コンテストのアンバサダーを務める俳優の植村颯太、EXIT兼近大樹のものまねタレントのかねちっと、TikTokerの伊吹とよへの伊吹、WEBマガジン『Emo!miu』編集部だった。グランプリには『Emo!miu』でのインタビューなどが与えられる。

 最終候補は7人で会場で一人ひとり個性ある自己PRを行った。グランプリに輝いた野口さんは、オリジナルの「花火」の一発ギャグを披露するほか、審査員からの質問にもユニークな回答を連発。審査員の評価の決め手となった。

■受賞者コメント

グランプリ:野口友哉さん

 この度、ティーン浴衣アワード2022のグランプリに選んでいただきました! 俳優志望の野口友哉です! 厳正なる審査の中受賞することができてとても光栄です! 自分は役者としてそして人としてこれからもっと大きく成長していきたいです! 今回受賞できたことは自分にとっても大きな自信につながりました! この自信を胸にこれからも飛躍していきたいです!

準グランプリ:辻陽菜乃さん

 今回、ティーンゆかたアワード2022で準グランプリをいただくことができて本当にうれしくて信じられない気持ちでいっぱいです。すてきな浴衣、ヘアメイクをしていただいてとても幸せな時間でした。このオーディションに関わってくださった皆様全員に心から感謝の気持ちでいっぱいです! 本当にありがとうございました!

準グランプリ:たくまさん

 とてもうれしいです。こんな良い経験をさせていただきありがとうございました。正直グランプリ取れなくて悔しいけどこれを糧にこれからも頑張りたいです!

2022年08月07日 20時24分 ORICON NEWS

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12173-1795736/

 「浴衣」という服が、基本的には夏の和装である。もちろん温泉旅館などについているものではなく、もう少し、しっかりとした形であり、その姿を見るだけで「夏」を想起させる。もちろん日本の文化なのではないか。

さて、この和服に関して、日本では「特別な服」というような感じになってしまっている。帯の締め方などがあり、なかなか一人できることができない人が少なくなくなってしまったのであるから、仕方がない。しかし、実際に日本人というのは、日本人固有の体系を持っているので、洋装よりも和装の方が、私などはしっくりくるのだ。まあ、本日は「土曜日」ではないのであるが、なんとなく、女性の和装というのは、私などは非常に好きであり、全てが隠れているしガードも堅そうなのであるが、逆に、そのような所に魅力を感じるものである。

さて、このような日本の文化をいかに伝えてゆくのかということが重要になってくる。

そもそも浴衣とは、銭湯の普及と共に浴衣の起源は平安時代の貴族が蒸し風呂に入る時、水蒸気でやけどをしないように着たことから始まりである。浴衣の語源は、「湯帷子(ゆかたびら)」と言われ、平安時代に入浴時に着られていた着衣であった。その後、綿素材で汗を吸い風通しの良いことから湯上がりに着られる着衣となり、就寝時に寝間着として用いられるようになった。やがて、江戸時代の中期に入りいまのような着方に近いちょっとした外出着にも着られるようになるのである。

当時、入浴とは言っても現在のように湯に浸かるのではなく、蒸気を浴びる蒸し風呂で複数の人と入浴することとなり、汗取りとやけど防止、裸を隠す目的で使用されたものとされています。

室町時代には手拭いならぬ「身拭(みぬぐい)」と言われていた。安土桃山時代頃から湯上がりに着て肌の水分を吸い取らせる目的で広く用いられるようになり、これが江戸時代になり町人文化の発展に伴って、「浴衣(ゆかた)」に進化してきた。通常の私服とは違い、長襦袢を着用せず、素肌の上に着る略装となる。浴衣が庶民の間に広がったのは、江戸後期に風呂屋(銭湯)が普及したことに因る。江戸時代頃から風呂には裸で入るようになった。浴衣も初めは湯上がりの汗を拭き取るため(現在のバスローブ)に風呂屋の二階などで着ていたものが、次第にそのまま着て外に出られるようになった。そして下着から外出着へとその用途を変えてきたのである。江戸時代では、盆踊りや花見などに揃いの浴衣で出かけることが流行し、華やかな文禄が生まれた。また歌舞伎役者が舞台で着た衣裳を庶民が真似るなどしたことで、浴衣文化が江戸に花開いたのである。

もう一つ江戸時代に浴衣が広まった要因として「天保の改革」が挙げられる。天保の改革で、町人は絹を着てはならないという掟が出されてからは、木綿の浴衣が益々発達した。浴衣が夏の普及着として全国に定着したのは明治時代に入ってからである。それまでの木藍の手染めに変わって、大量生産が可能な「注染(ちゅうせん)」という染色方法が発明された。注染は本染めとも呼ばれており、微妙な色のにじみ具合や優しい濃淡など、手作業ならではの風合いが特徴である。

そのような文化を継承するということで行われ、そこに応募が殺到し、またこのように報道されること自体がうれしい。そもそも「浴衣」そのものの文化は変遷をたどっているわけなのであるが、その時代に合わせた浴衣ということがあってよいのではないか。日本の文化そのものの内容を今の重大がまた新たな解釈として考えてくるということになるのである。

日本の文化がこのように継承されることが嬉しいことに感じるのは私だけではあるまい。