ブラッドベリ誕生日記念、火星年代記特集
こんにちは。
8/22はアメリカの作家、レイ・ダグラス・ブラッドベリの誕生日です。
最初は先生(ポラン堂古書店主)に『何かが道をやってくる』をおすすめされたのがきっかけだったと思うのですが、いつの頃からか私の中で、好きな海外の作家さんとして一番に名前の浮かぶ作家さんとなっていました。
幻想的な風景、抒情的な内面描写が美しい反面、人物造詣が現実的で的確ですぐそばにありそうな会話が多く、魅せ方や客観性へのバランス感覚もあり、何より単純に展開するストーリーが面白い。
長編短編問わず、外れなし、と言ってしまいたいのですが、こんだけ語っておいて未だ読んでいない作品のほうが多いのが私です。今回のブログも彼の代表作の一つ『火星年代記』を読んでみました、という勢いで書いております。どうかSFファンの方、ブラッドベリファンの方は生温かい目で見守ってくださいませ。
ポラン堂古書店にもブラッドベリ作品は多いです。
今回の記事の為に、勝手ながらポラン堂古書店のSFコーナーに普段は各棚に散らばっているレイ・ブラッドベリ作品を集合させてみました。
しかし今回の記事は『火星年代記』のみでございます。だって面白かったんだもの。
では仕切り直しまして……。
レイ・ブラッドベリ『火星年代記』
1950年に出版された、ブラッドベリ初の長編小説という位置づけになります。
位置づけ、と言ってしまうのが、この作品は各々主人公を変えた26もの短編がまとめられた一冊であるからでして、私も読むまでは連作短編集と思っていたところがありました。
ブラッドベリにはデビュー作の『黒いカーニバル』以降多くの短編集があります。私がブラッドベリを好きになったきっかけというのも『二人がここにいる理由』という短編集にはまったことがそもそもでしたので、記事には短編集を取り上げたいと思っていたのでした。
しかし読んでみるとこの作品、テーマの一貫した短編たちが整列するまごうことなき長編小説でした。そしてその共通した背景を背負わせて展開する各々が、無茶苦茶面白かったのです。
1999年1月から2026年10月までの火星年代記。広大でありながら小さくこじんまりまとまってしまう人間らしさ。とにかく誕生日にかこつけて、この作品で記事を書きたいと思ったわけでした。
そんなこんなで『火星年代記』で好きな話3選を勝手ながら催します。
お時間ございます方、どうぞお付き合いいただければです。
「月は今でも明るいが」
『火星年代記』のセンターを飾るべき作品だと思っています。
一冊全体を通して、前半部分には地球から訪れた火星探検隊の様子が描かれる章が並びます。目次にもこのひとつ前が「第三探検隊」となっていまして、紹介する「月は今でも明るいが」は第四探検隊の話になるわけです。
視点人物となる主人公はジェフ・スペンダー。火星に上陸した第四探検隊の考古学者です。長旅の末に火星に上陸を果たしたことで騒ぐ仲間たちを遠目に見ながら、馬鹿騒ぎが収まるのを待っている、そういう男です。到着した場所は廃墟同然で文明も死に絶えている。しかも調査ですぐ、ある病によって火星人は死滅してしまったことがわかるのです。
火星に自分たちだけと知り、隊員たちはますます驕った発言をするようになり、酒に踊りにどんちゃん騒ぎを続けます。やがて我慢の限界を迎えたスペンダーは隊から姿を消すと、そして地球を踏み荒らす彼らを殺す、殺人者となって戻ってくるのです。
この物語の魅力は、スペンダーと彼との和解を望むワイルダー隊長との関係、どこかのんびりとしつつも確信に迫るような二人の会話です。互いが互いをモラリストとして敬意を持っている、その心地よさと緊張感がいつまでも続いてほしいと切なく思ってしまうくらいいいのです。
「夜の邂逅」
連作の間のたった16頁で味わえてしまうのがもったいないほど上質な幻想SFです。
地球人による植民地が作られ始めている火星。植民地で働いているトマス・ゴメスは休暇中、車に乗ってパーティに出かけます。道すがら廃墟となった小さな町に入り、そこで火星人に出会うのです。「こんにちは」と言い、名乗り合い、火星人の能力によって会話もできるようになった二人ですが、コーヒーのカップを手渡そうとした際互いに触れられないということに気付きます。
同時に相手が透けて見えることに気付き、幽霊だと指摘し合うのですが、極めつけはその火星人の目には町も人も死滅していないということ。逆に、あそこに町があるでしょうと植民地となった場所を指しても、海しか見えないと言われてしまう。大昔に枯れたはずの海なのに。
この物語の魅力も言ってしまえば会話です。全体として、地球人と火星人でありつつも、置き換え可能というべき似た者同士に主張と会話がそこにあり、それがどこか可愛らしく、奇妙な雰囲気を醸すのです。彼らの主張が平凡でありながらどこか深いところもいい。地球人と火星人がただ仲良くなる、なんてところには面白さを着地させない見事な作品です。
「火星の人」
結末は予想できなくもなかったのですが思っていた以上に衝撃で、一方で最後のシーンの静かさに震える完成された一作です。
主人公は妻・アンナと火星に移住してきた老人、ラ・ファージュ。嵐の夜に小さな少年を家に入れるのですが、彼が過去に肺炎で亡くした息子・トムのように見えてしまいます。彼も自身をトムだといい、妻のアンナもすっかりトムだと信じてしまうのですが、年齢や成長の止まった様子からしてトムなはずはありません。ラ・ファージュは彼に「誰なんだい?」と訊ねますが彼はどうしてそんなことを訊くのかとはぐらかしてばかり。アンナも愛情をもって、トムとして接しているので、このままいいと思うようになります。
しかしトムである彼は町にいくのをとても怖がります。「罠にかけられ」「帰れなくなる」と言うのです。その真相、彼の正体が次第に明らかになっていく、という展開です。
「夜の邂逅」とは逆に、地球人と火星人の決定的な違いを能力や価値観の違いから描いた作品だと思います。主人公であるラ・ファージュが年老いた人間らしい感性と妻を想う優しさをもった人物であることと、その少年が不思議で妖精めいていることの対比ゆえというところもあるかもしれません。寂しさを保ちつつも最後の一文の突き放し方、ドアを閉める挙動という共通点から、別作品集ですが『二人がここにいる理由』の「かすかな棘」を思い出し、同じ鳥肌がたちました。
ということで3選でした。
実際には各話タイトルの頭に「〇〇年〇月」とついておりますので、やはり短編それぞれと扱ってしまうのは躊躇われます。しかしどれも、独立しつつも連続し、連続しつつも独立していて、だからこのような記事も楽しんでかけてしまう。楽しみ方が何通りもありそうな贅沢な一冊だと思います。
海外小説に苦手意識がある、海外SFは尚更ちょっと敷居が高い、と思われる方もいらっしゃると思いますが、そういった方には尚更ブラッドベリの読みやすさ、一頁目から面白くなる展開の巧さは味わってみてほしいです。
興味を持った方はぜひ、ポラン堂古書店もしくはお近く書店にて手に取ってみてください。