【前編】「小学生だった私が『好き』を仕事にするまで」
個展開催三日目
7月17日(日) 13:00~トークイベント
開始までに整理券の着席分は満席、立ち見でご参加の方も。
参加者はお子さんからご年配の方まで。
時間は少し押して13:02からスタート
「小学生だった私が『好き』を仕事にするまで」
語り手/アーティスト瀬川夏帆
聞き手/磐田市新造形創造館スタッフ
橋本千春様
瀬川: ご来場ありがとうございます。
トークイベントなんて初めての企画ですけど、皆さんに楽しんでいただければと思います。
どなたかをゲストでお呼びした方が自然に話せると思い、磐田市新造形創造館の橋本さんに来ていただきました。
どうぞよろしくお願いします。
橋本:こちらこそよろしくお願いします。
橋本さんとの出会い…
瀬川: 橋本さんは前回の個展を行った磐田市新造形創造館のスタッフでいらっしゃいますが、実はあの個展の発案者が橋本さんだったんです。
どのように企画していただけたのか、最初にお話いただけますか?
橋本 :それでは、まずは夏帆さんの作品との出会いからお話しますね。
アートや美術について情報交換をする友人がいるんですが、「ねぇ、知ってる?」って携帯で見せてくれたのが夏帆さんの作品だったんです。
瀬川 :インスタグラムで見つけて頂いてたんですよね。
橋本 :衝撃的でした。作品のスタイルも色も本当に素敵で、「見て~っ、この色合わせっ!」って友人と一緒に感動していたんです。
その日の夜には夏帆さんにDMでコンタクトを取ってました(笑)
瀬川 :その日だったんですねっ(笑)
橋本 :働きかけてしまいました(笑)
瀬川 :インスタのDMに橋本さんから「磐田市にこういう施設があるんで、ぜひギャラリーで展示してほしい」とご依頼いただきました。
橋本:突然だったのですが快く対応してくださって、とんとん拍子に開催が決まりました。
瀬川 :従来の個展はわたしがギャラリーなどの場所をお借りして開催でしたが、橋本さんに企画していただいた個展は企画展といって、ギャラリーの方から「ウチでやりませんか?」とお声がけいただきました。それまでは自分一人で企画・運営をしていたので、初めて「私と一緒に仕事がしたい」と思ってくれる方がいたことがすごく嬉しくて、それが自信と安心になりました。
橋本 :うれしいです。そのように思っていただけたんですね。
ギャラリーでは基本的には立体物を展示しています。瀬川さんの作品は刺繍ということで、完全な立体物ではないということでチャレンジな提案でした。
上司に言いましたら「とりあえず企画書を出してきて」と言われまして、それで思いのたけを企画書につめて何とか通して頂けました。
しかし、採用されたはいいものの、自分が言い出しっぺなので成功させなければいけない。
瀬川 :そう!!そうしたら橋本さんが磐田市の人気のパン屋さんやカフェにDMを持っていき「置かせてください」って廻ってくださったんです。
橋本 :アンテナの高い方がいらっしゃるお店を狙ってピンポイントで廻りました。しかも、初めて行って「DMを置かせてください」というのも失礼なので、何度か通うことで関係性を作ったりしました。
瀬川 :今回の個展も今日で3日目を迎えますが、磐田の個展から作品を知っていただいた方がすごく多いんです。
橋本 :そうなんですね!それはうれしいです。
初めての企画展、そして新しい作品へ
瀬川 :磐田市新造形創造館での個展は一ヶ月間と展示期間が長かったので、毎日在廊することはできませんでした。
そういう状況でスタッフのみなさんに作品の説明や購入のサポートして頂いていることが「一緒に仕事をしている、一人じゃない」という感動があり、とても嬉しかったです。
橋本 :作家さんがいらっしゃらない時でも商品が管理されて、求められればスタッフがご説明できるような体制にしています。
個展の一番最初の日が火曜日だったのですが、さすがに平日で便の悪いところということも手伝って、お客様がほとんどいらっしゃらなかったんです。私もぅ本当に申し訳なくって、「瀬川さん、本当にごめんなさいね~。」って言ったら、瀬川さんが「私、1ミリもがっかりしていません。」っておっしゃって頂いたんです!!
瀬川:私、そんな風に言いました?(笑)
橋本:ええ、後光が差して見えました(笑)
その後くらいからですね、ジワジワお客様が増えて、その後ひっきりなしにお客様が来てくださるという前代未聞の状況が起きたんです。
瀬川 :夕方のニュースとか新聞に多く取り上げていただいてたのも大きかったですね。
橋本 :磐田市新造形創造館の2階にはギャラリーを映しているモニターがあるんです。私は2階で事務仕事をしていることがあるんですが、ひっきりなしにいらっしゃるお客様に、上司がモニターを見ながら「瀬川さんすげぇな」って毎日毎日話しているんですよ。
夢のような一ヶ月間でした。
瀬川 :(笑)ありがとうございます。
私もとても楽しかったです!
今回の個展は「Ordinary」というタイトルですが、花瓶の作品も同じタイトルにしています。
"平凡"や"日常"という意味合いがありますが、磐田市での1ヶ月間の忙しい展示期間を終えて自宅に戻ってきて、家の部屋で静かに一人で制作するっていうギャップが何かすごく初めての感覚だったんです。
感覚的な話ですが、今までは外に外に気持ちが向いていましたが、家の中の空間の方がより魅力的に感じるようになりました。例えば花瓶の水だったり、花びらがヒラっと落ちて机の上に落ちたりとか。日常の中にある些細な切り取りですが、そういう事に魅力を感じ今回の「Ordinary」という言葉をタイトルにしました。
過去の展示を経て、今回のテーマに出会えたと感謝しています。
パッチワークとの出会い
瀬川:ところで、今回のように自分の事を振り返ってトークするようなことは初めてで、恥ずかしながら自分史年表というのを作ってみました(笑)
橋本: 1994年生まれなんですね。
瀬川: はい、28才になります。
橋本 :最初のターニングポイントは、10歳でパッチワークに出会われたんですね。
瀬川:10歳のときにパッチワークを始めたのは母の勧めでした。ピアノやスイミングと同じく、習い事をするような感覚で始めました。
社会人向けのクラスだったので子供の生徒は私しかいなく、社会人の皆さんがお仕事を終える時間…18時半から20時半まで受講していました。大人の中に突然ひとりで小学生が入ってきたんで…今思い返すと先生も受講生の方もよく受け入れていただいたと思います。
橋本: 瀬川さんは大人の中で物怖じされなかったんですか?
瀬川: 大人の話に混じって「ふんふん、そうだね」みたいに相槌をうつような子供だったので、マセた子供だったんだと思います(笑)
橋本: 子供だけの世界ではなく、年齢が違う人のいる世界にも属するって、どのような気持ちだったんでしょう?
瀬川: 学校にも居場所はもちろんあるし、家庭にも居場所がありますけど、パッチワーク教室でも先生や生徒さん達は同じ趣味を持つ仲間として接してくれてたので、もう一つのコミュニティーに属しているという感覚がありました。
ちょっと学校で嫌なことがあっても別に気にならなかったりしましたし、大人と同じように「夏帆ちゃんならここ何色合わせる?」とか話してもらって、一人の人として接してくれた事が、とても自信に繋がっていきましたね。
橋本 :学校という場所だけじゃなく色々な選択肢がお子さんにあるといいですね。そのような場をどんどん発見していくっていうのも。
瀬川: パッチワークの先生は「まずは自分でやってみなさい」って言うんです。
「貴方には今の年齢にしか出せない色があるから、まずは聞かずに自分でやってみたらいい」って。
すると本人もまだ自覚してない配色のセンスみたいなものを先生が先に見つけ、育ててくれました。
橋本: 素晴らしい指導者の方ですね。
瀬川 :そうですね。先生に出会えたのは本当に良かったです。
橋本 :どのような感じの先生でいらっしゃるんですか?
瀬川: カリスマですね。優しいけれどパッチワークには厳しいです。 ダメなところがあったら「何? この雑巾みたいな縫い方。ほどきなさい。」って言われちゃって(笑)でも先生に言われた通りに直すと本当にすごく良くなるんです。
橋本: 大事なところでは良いアドバイスをくださるんですね。
瀬川:パッチワークのこと以外にも、生きていくうえで大事なことを教えていただきました。例えば「人にお金を貸さない」とか「頂き物には何かお返しを用意する」とか、家庭で習うようなことも先生が教えてくれました。
私は比較的、子供の頃からそういう良い大人に恵まれたと思っています。
※11歳制作 伝統的なパッチワークのモチーフ
悩みを抱え、将来を不安に感じる
橋本 :そして、中学・高校と進学して…
次のターニングポイントとして進路に悩むとあります。
瀬川:私だけじゃないですね。このくらいの年齢はみんな悩んでますよね(笑)
橋本: 高校生くらいで、将来に悩んでいる方も多いですからね。
瀬川: 私は子供が好きで、保育園や幼稚園の先生になるんだろうなぁ~と考えていました。同時にパッチワークも好きだったので、いつか将来はハワイとかに住んで、パッチワークの先生になれたらいいなぁと夢見心地に過ごしていました。
橋本 :ステキですね。憧れちゃいます。
瀬川: ただ周りの同級生たちが都市部への進学を目指したり、専門的な学校に進む道を選ぶなかで、私は保育士になるだろうと漠然と思ってたけど、本当にそれがやりたいことなのかな?って思えてきました。
改めて自分が何に魅力を感じているのかを見つめ直した時に、絵を書いたりモノづくりをすることに対してすごく惹かれていると気づいて……ちょうどその頃、18歳のときかな?一か月間アメリカにホームステイしたんですよ。
橋本 :どちらに行かれたんですか?
瀬川 :アメリカのロードアイランドです。
母が若いころ、母の元にホームステイしていたアメリカ人の女性がいて、その方の所へ遊びに行きました。小さいころは親交があったんですけど、大きくなってから久しぶりに再会したんです。
橋本: そうなんですね。
瀬川: その時にお父さんの古いジーンズをほどいてリュックサックを作って背負っていきました。
現地についてから、パッチワークしてるアメリカ人の主婦の方々に「お父さんのジーンズ解いて自分で作った」と言うと、「えっ!? あなたがこれを作ったの?」って会話が生まれたんです。アメリカの方ってすごく大げさに褒めてくれるので、それが嬉しくて嬉しくて!
そこでクリエイティブする事は、自分自身を知ってもらうキッカケになる。知ってもらえることは楽しい。いつか表現活動ができる人間になれたらいいな。っていうふうに思い始めるきっかけになりました。
橋本: 目指していた将来がより明確になっていったんですね。
※18歳制作 ジーンズリュック
はじめての個展開催まで
瀬川 :ただ東京に行って芸大を目指すとかは当時は現実的ではありませんでした。
幼稚園の先生はやりたかったわけだし、まずは資格を取ろうと思ってそれで短大に進学して保育の勉強しました。短大では周りに比べて少し変わった子だったと思います。入学当初から「就職しない」と公言していて、授業もあまり真面目に受けておらず、教育実習と造形のゼミだけ一生懸命に活動してました。それでも教授や同級生が「そういうことのやりたい子だから」っていうふうに理解してくれたのでラッキーでしたね。
学校に行きつつ制作しつつ、いつか落ち着いたら個展ができたらいいなぁ~って、10代後半は思っていました。
橋本: そして、初めての個展ということに行き着くんですね。
瀬川 :場所は鴨江アートセンター(浜松市)です。当時の作品は今の作品とはぜんぜん違うものでした。
橋本: そうだったんですね。
瀬川: もう少し作品が子供っぽかったし。表現も雑だったかもしれない、でもその年齢でしか出せないピュアな情念はあったと思います。
橋本 :その頃は、原石のような感じだったんですね。
瀬川 :だったら良いんですけど(笑)
橋本 :それから徐々に作品のスタイルもいろいろなものを試していったんですね。
瀬川 :はい、初めての個展を開催したときに、みんな「開催おめでとう」ってすごく喜んでくれたんですが、ただその後に「おめでとう、それで…どうしていくの?」って聞かれることがほとんどだったんです。
あぁ~そうか。これを仕事にするっていう選択肢は他の人が見たら割とトンガっているというか、普通じゃないことなのだと初めて気がつきました。
ただその反応に対しての解決策は特に見えていなかったので、とりあえず作品を作り続けていましたね。
橋本 :その強い気持ちを保ち続けていたというのは本当に尊敬します。
・・・・・後編へ
後編のトークコーナーのテーマは フリーターなのか、アーティストなのか。
数年前まで抱えていた悩みを解決するきっかけになったアドバイスや、今回のプロジェクトの願いについてお話しします。
ライティング / タテイシヒロシ
グラフィックデザイナーの傍ら、街で起こることを観察し文章にすることをライフワークとしている。
その他にアングラ芝居の誘致、町ブラ観光イベントの開催などを企画・制作。
ウェブサイトJimottomall管理人(https://www.jimottomall.com/)
https://www.instagram.com/tateishihiroshi/
カメラマン / 福長ひろき https://instagram.com/fkch_jp?igshid=YmMyMTA2M2Y=