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王任三郎・ムー大陸が沈没した・『ナーカル碑文』

2022.08.22 06:35

https://blog.goo.ne.jp/longing-for-audio/e/7d8a4b7f026811458fa4f700d0854288 【王任三郎・ムー大陸が沈没した・『ナーカル碑文』】より

歴代天皇と主な出来ごとのまとめ - ウガヤフキアエズ王朝実在論 (jimdofree.com)

出雲王朝

スサノオが霧島に降臨し、北上して出雲に至る

大国主が食肉を許した罰により出雲国は滅び、統治権を天上界に返上 後任を探すが難航(多くの神々が降臨するがいずれも行方不明となる)

大国主はニニギの降臨のために準備調整を行ない政権交代を実現させる

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なにか、納得のいかない理由 大国主が食肉を許した罰により出雲国は滅び・・・

なぜ、食肉してはいけないかという理由が判らない。 食肉ととらえた物事が、違う?

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世界文明は日本から始まっていた! | 新國體派多元ワールド(多神教)史観研究会 (ameblo.jp)

②この物部系海人族による政権の中心は「出雲系」と「邪馬台系」でしたが(不合朝?)、記紀によると「国譲り」によって「大和王朝」として平和的に統合されます。が、後に古代ユダヤ教の"牛の生贄"を神事とした物部氏は、後から帰国した殺生を禁じる仏教を重視する「蘇我氏」と対立、抗争になります。

↑は、頂き物ですが、牛のいけにえは、生贄・・というより、焼き贄(丸焼き)(通常は灰にまで焼く)にしていたようで・・・神に供えるためのもの。

燔祭(はんさい)

旧約聖書『レビ記』でモーセが定めた供犠の1つ。供物を必要とし,雄牛,羊,やぎ,はと (この場合は,雄,雌を問わない) のみが用いられた。その目的は神の崇敬と賛美,神への感謝,祈願,贖罪の4つに大別され,供物が供壇で焼尽され,神のみに捧げられ,供犠中最も高貴なものとされた。ホロコーストは,転じて第2次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大量虐殺をもさす。

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捧げた(神のみに捧げられた)ものを、いわゆる、お下がりとしていただくことを大国主命が許した。と、いう事なのかもしれない。

だが、そうだとすると、背景に何かあったと思われる。

例えば、飢饉とか。飢えた国民を思うと、食肉を許さざるを得なかったとか・・・

こののち、何かの別の理由で滅亡したのを、そら、罰が当たった。と、こじつけた?

なにかが、隠されていると思う。

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その罰で・・という意味は通るが、だとすると、出雲王朝は物部氏・・ユダヤ12支族のレビ族行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)(内、マナセ族:インドに住むイスラエルのマナセ族は2700年もの間、異国の地でユダヤ人として生きてきました。その彼らがついに現代、イスラエルの地に帰還する動きが始まっています。)

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出雲王朝からウガヤフキアエズ王朝への政権交代が国譲りと取れる。

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ウガヤフキアエズ王朝実在論 (jimdofree.com)

ウガヤフキアエズ王朝は、

◆時期的にも、ちょうど紀元前660年頃とピタリと一致します。

⇒ニニギが天孫降臨したときの星座の配置から紀元前800年頃と推定される。

その編集には豊後の国の守護職を代々務めた大友氏の初代・大友能直が、直接かかわっているのです。

というより、彼自身が自ら序文を書いて、署名しているのです。

世界文明は日本から始まっていた! | 新國體派多元ワールド(多神教)史観研究会 (ameblo.jp)

豊後国の大守だった大伴能直が「山窩(サンカ)」の伝承を記録した「上記(うえつふみ)」によると、「鵜芽葺不合王朝の第二十五代、二十六代天皇は、皇子たちを世界に派遣し文字を伝えた。富金足中置天皇は一万五千四百八十五年前に、四百六十年間に渡って治世した」と有り

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大国主(出雲王朝)はニニギの降臨(ウガヤフキアエズ王朝)のために準備調整を行ない政権交代を実現させる。

同じ、12支族と考えれば・・・

出雲王朝(スサノオ)と ウガヤフキアエズ王朝(ニニギノミコトー天照)

スサノオと天照の姉弟の意味合いが見える。

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豊国文字が6000年前以上・・・とのことで、

喜界が島カルデラ噴火(九州・四国(九州側)壊滅)ー6400年前ー7400年前ーを思うと・・・

もっと、古い時代からの文明があったと思われる。

12000年前の大洪水(ノアの箱舟あたりか??・・・)により、

ムー大陸から、脱出した人間が

九州あたりに住み着いた?

ムー大陸

ジェームス・チャーチワートの著作によると、ムー大陸は約1万2000年前まで太平洋上に存在したという東西7000km、南北5000kmにもなる大陸で、現在のハワイ諸島やマリアナ諸島、 イースター島など南太平洋上に点在する島々が陸続きになっていたとされる。世界でも類を見ないほど栄華な文明を誇ったとされるが、約1万2000年前に巨大地震などの天変地異が起こり、一夜にしてムー大陸は水没したという。

*******イースター島のこと、サブルーチン***

 超古代ミステリー5:世界の謎の碑文は神代文字で読めるのだ!つまり日本語だった! : Kazumoto Iguchi's blog (exblog.jp)

まずイースター島の謎の碑文という形でそのYouTube番組に紹介されている。

これはすでに神代文字研究者の高橋良典氏が、北海道異体文字(俗称アイヌ文字)とトヨクニ文字を混用しているという発見に基づいて解読されたのである。

贄(にえ)ささげまつりて 降ることなき雨が降らめと 水も飲まず 一時(ひととき)なむも寝ずに 夜昼となく海見晴らし 父母(ちちかか)たちを讃(たた)えまつらく

熊野(くまの)の諸手船(もろてぶね)の舵をとり 我ら神さびつつ廻(まわ)る・・・・・

「贄=にへ」とは、もちろん生贄のことである。

つまり、イースター島のモアイ像は、雨が降らなくなってしまった島になんとかして雨を降らそうと天の神様に生贄を捧げ、祖先をまつろうと頑張って近郊の島々を諸手船ではせ参じた、ということを書いているのである。

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王任三郎はチャーチワードが『失われたムー大陸』(1926年、1931年)を発表する4年前の1922年(大正11年)に、『霊界物語』第9巻の総説歌で「太平洋の真中に 縦が二千と七百浬 横が三千一百浬 黄泉(よもつ)の島や」と書いて、太平洋に巨大な大陸があったことを発表している(2700海里=5000キロ、3100海里=5741キロ)。チャーチワードは1931年の著作の中で、日本人はムー大陸住民の支配層だった白人の子孫であり、その血をかなり純粋に維持していると述べ、日本とムー大陸に接点があることに言及している。1932年(昭和7年)に大阪毎日新聞でチャーチワードのムー大陸説が報道されると、ムー大陸とは霊界物語の黄泉島(よもつじま)のことである、と述べている。ムー大陸が沈没したことも、霊界物語第12巻第27章で書いている。

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古史古伝の竹内文書を紹介した1940年(昭和15年)10月刊行の『天国棟梁天皇御系図宝ノ巻き前巻・後巻』(児玉天民 太古研究会本部)で葺不合朝(ウガヤフキアエズ王朝)69代神足別豊鋤天皇の代に「ミヨイ」、「タミアラ」という大陸(というよりも島)が陥没したとし、その世界地図が記載されている(1934年(昭和9年)5月の『大日本神皇記』(皇国日報社)では4代天之御中主神身光天皇と35代の千足媛不合10代天日身光萬國棟梁天皇の時とする。ただし「ミヨイ」、「タミアラ」の名称はない。)。竹内文書では、これらの島では五色人(白人・黒人・赤人・青人・黄人)と王族の黄金人が暮らしていたが天変地異で沈んだため、天の岩船で日本など太平洋の沿岸域に避難したとする。「ノアの洪水」に代表される世界の大洪水はこのときの「ミヨイ」「タミアラ」の水没の影響としている。

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残念ながらムー大陸の痕跡は見つかっていないようです。夢のない話になってしまいますが、ムー大陸があったとされる場所は約1万2000年前も海底だったとか。イースター島のモアイ像がムー大陸の痕跡とも言われていますが、モアイ像は約1000年前につくられたそうなので、年代が大きく異なりますよね。

また、沖縄県与那国島の海底遺跡がムー大陸の痕跡であるとされる、とんでも説も! この遺跡については、ピラミッド状の神殿のようなものもあり、岩が直角にカットされていて、人口的な建造物である可能性は確かにあるでしょう。しかし、この遺跡すら自然にできたものだと唱える人もいますので、真相は藪の中・・・。いまだに見つかっていないムー大陸の痕跡が、見つかる日がくるのか、気になるところです。

**********ムー・スーパーミステリー・ブックス『失われたムー大陸の謎とノアの箱舟』 | 学研出版サイト (gakken.jp)

失われたムー大陸とは、いったい何だったのか。実在を現代地球科学で否定される一方で、疑惑の人物チャーチワードの周辺に見え隠れする旧日本軍の影。唯一の証拠とされながら、公開されることのなかった『ナーカル碑文』の正体を暴露する!!

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『ナーカル碑文』を探していると・・・

*********大変な事態です。かつて日本は世界を滅ぼした可能性がある事が判明し... - Yahoo!知恵袋

大変な事態です。かつて日本は世界を滅ぼした可能性がある事が判明しました。 みなさん超古代文明という言葉をご存じでしょうか? 現代の科学アカデミーからは認められていませんが、我々の教科書に書かれている歴史が全てであるとは限りません。 大西洋にアトランティス文明・インド洋にはレムリア文明・そして太平洋には一番野蛮で好戦的な軍事大国のムー文明が、かつて存在していたのです。 人類の歴史には、我々が知っている歴史より前の世界が存在したのです。アダムとイブの前の時代にも人類は存在しており、現代科学に匹敵する文明を築いていたのです。 超古代文明が存在した証拠としてオーパーツ、過去から現在に至るまで世界のあちこちから出土・発掘された正体不明の遺物が数々発見されています。 これらの文明は全てムー文明の引き起こした核戦争により崩壊してしまいました。 何を隠そう、この古代核戦争を引き起こしたムー文明こそ、今の日本のルーツです。日本は世界を滅ぼした原罪を持つ人間なのです。 全世界を植民地をして、最後に残ったムー・アトランティス・レムリアの古代の超大国。 三つ巴の緊張状態での均衡の中、レムリアが突如として大災害で滅びさり、これによりムーとアトランティスが最後の覇権を賭けて争ったのです。 古今東西、全世界には神話や伝説の部類ですが、この当時の歴史が記憶されており、代表的なものはマハーバーラタ でしょう。 世界中の遺跡等に、光る石や燃える山等の表現が残っているのも、ムーとアトランティスの古代核戦争の残留放射能で、長い間、夜な夜な不気味な光を放っていたからです。 荒唐無稽な話に聞こえるかもしれませんが、何を隠そう、この事実は旧日本軍は知っていた事実です。

日本がイギリスと同盟関係にあった頃に、日本がインドのヒンドゥー寺院の調査探索を目的として調査隊をインドに送り込んだ際に、ナーカル碑文という上記の歴史を書き写した粘土板を発見。 かつて日本が超古代文明を築いていた事実を知り、大和民族は特別な存在、優れた人種であるとした選民思想に陥り、日本はムーを復興させようと、再び世界に冠たる軍事大国を作り上げようとし、あの無謀な戦争に突き進んでいったのです。 日本独自の選民思想・精神論・大和魂は特別であると錯覚してしまったのも、こうした歴史がある故になのです。 更に、あまり知られてはいませんが、当時、日本はいち早く原爆の開発を行っており、なんと原爆開発の期限は1934年にまで遡ります。これは驚くべき事です。 1934年に原爆の着想を得ていたのは世界でも日本だけです。アメリカの原爆開発は1942年に本格始動したのです。 1930年代の時点で日本は、今のウランが埋蔵されている北朝鮮によりウラン鉱脈の発掘を試みていたのです。 一体、日本はどこからこの核兵器開発技術を得たのか? 答えは明らかです。調査隊が持ち帰ったナーカル碑文やその他の古代の粘土板から核兵器技術の一端を読み取り、その技術を復活させようと試みたに違いありません。 超古代に日本(ムー文明)が古代核戦争を行った証拠として、沖縄から発掘された沖縄の線刻石板(沖縄ロゼッターストーン)には、かつての時代に日本(ムー)が建造した建築物が描かれていますが、その描かれた建物は、どうみてもミサイル基地と飛翔体が描かれているのです。 このような歴史は、今では封印されていますが、当時では公に公言されており、古神道の宗教団体代表である出口王仁三郎氏は、この碑文の兵器が、当時、無謀な戦争に突き進んでいたに日本に逆に投下されるのではないかと危惧していたようで、無謀な戦争を止めるように公言するようになり国家に弾圧される事態にまでなりました。結果として、出口王仁三郎氏の言う通りになりましたが。 超古代に最も激しく争った日本(ムー)とアトランティス(ドイツ)が、第二次大戦では同盟関係を結び、新たに登場した超大国に敗れ去るというのは壮大な歴史の皮肉ですね。

*********一番下に貼付け****

沖縄から発掘された沖縄の線刻石板(沖縄ロゼッターストーン) https://livedoor.blogimg.jp/hideki4612/imgs/e/6/e6e7dc5c.jpg

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古代において、核戦争があったのではないか

そして、天皇が世界各地に降臨していた。

王任三郎もトルコ(旧名・・・・・)にて、天皇が執政を行っていた。

トルコにカッパドキア モヘンジョダロ(パキスタン南東部、シンド州のインダス川下流にあるインダス文明の代表的都市遺跡)

双方とも、核を使用した?痕としか思えないものがある。とか・・・・

そして、前回書いたが、1度あることは2度ある。2度あることは3度ある。

3度目にしてはならんのじゃ。(王任三郎)

1度あること (古代、カッパドキア・モヘンジョダロ・・核兵器?を使用)2度ある。(現代 広島・長崎に核兵器使用)

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ムーとアトランティスが最後の覇権を賭けて争ったここは、逆に、2度ある・・事のほうから、考えると、アトランティスがムーを追い詰めた。

トルコ(旧名・・・・・)にて、天皇が執政を行っていたという言葉を信じれば、アトランティスが、核兵器?をムーの執政地に使用したともとれる。

マナセ族(12支族)がブネイ・メナシェはこの10の支族のうち、「メナシェ(マナセ)族」の末裔だと信じられている。

シナゴーグで祈りを捧げるブネイ・メナシェの人々=インド北東部マニプール州チュラチャンドプールパキスタン・モヘンジョダロとの関係があるか判らないが・・・

ユダヤ人迫害?のヒットラーと同じようなことがあったかもしれない(1度あることは2度ある)

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結びに

超古代に最も激しく争った日本(ムー)とアトランティス(ドイツ)が、第二次大戦では同盟関係を結び、新たに登場した超大国に敗れ去るというのは壮大な歴史の皮肉ですね。とあるが・・・

アトランティス(ドイツ)の根拠が判っていない。が、ムー・レムリアの魂をもつもの(スピリチュアル)たちの話?では、アトランティスは粗暴・破壊的・で、ムーをのっとろうと何度も交戦してきたとか・・・

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当時、日本はいち早く原爆の開発を行っており、なんと原爆開発の期限は1934年にまで遡ります。これは驚くべき事です。 1934年に原爆の着想を得ていたのは世界でも日本だけです。

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これも、ずいぶん昔、40年くらい前?日本は原爆を作っていた(開発できていた)と、聞いたことがあり、間に合わなかった遅れをとった。と、いう風に、思っていながらどこかで、アメリカに勝たしてやった。あるいは、あえて、日本は負けておいた。と、いう思いがあった。

そこを煎じ詰めていけば天皇が地球全土を破滅させるような原爆を先に落とすこともなく

(当然―アメリカも報復で落とす・・すなわち、地球破滅)アメリカに落とされても、あえて、報復しなかったのも、最後には地球・人類を破滅させるから。

日本国民だけの父でなく人類の父といってよいだろう。目先の勝った負けたにとらわれると怖ろしいことになってしまう。

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実際に、核兵器が使われたとして・・・それは、どこが使用したかは判らない。

ただ、日本の執政があったところ、(12支族系?)ユダヤ人が居たところ?(年代的にあうかどうか・・)に落とされたとしたら少なくとも、古代日本が落としたとは思えない。

前回もどこかで書いたが第二次世界大戦中 皇室で、裏古神道?により、

ヒットラーを呪詛して(殺そう?)としていたーらしく ユダヤ人を筆頭にヒットラーの虐殺を読めようとしたというところだったかもしれないと思っていたが、超古代に最も激しく争った日本(ムー)とアトランティス(ドイツ)が、第二次大戦では同盟関係を結び、(新たに登場した超大国に敗れ去るというのは壮大な歴史の皮肉ですね。)これは、民族の因縁?

繰り返す因縁を、どこかで、解脱・納所しないとまた、繰り返すという事かもしれない。

それを単純にいったのが、1度あることは2度ある。2度あることは3度ある。

3度目にしてはならんのじゃ。(王任三郎)と、いう事になるかな?

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関連リンク

いまあらためて終戦の詔勅を逐条ごとに読む

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ウガヤフキアエズ王朝の前にあった文明(王朝)

さらに喜界が島カルデラ噴火前(6400年前)にあったと思わしき豊国文字を

伝えた?開発した文明・民族そこも気になるのだし・・・やはり、饒速日という

天磐舟にのった人物この乗り物に乗ったという事からして高天原系より先に日本に来ていたと思える。その時期が12000年前(ノアの大洪水)になればムー大陸から?

そして、スサノオの子供と目される饒速日 スサノオ=大国主命?

スサノオ=大物主と思われるややこしい現存の記述。

もうすこし、前の時代が見えてこないところがあるが ウガヤフキアエズ王朝→倭王朝

というのは、間違いないと思うが 倭王朝がウガヤフキアエズ王朝の神話を継承するしかなかったようにウガヤフキアエズ王朝の前の神話を継承していると思う。

それが、出雲王朝かどうかは判らないが12支族からの派生は紀元前1500年~2000年ころと思われる。

と、なると、それより古い文明があったのと思うし豊国文字 6000年(以上?)前ということからしてもそう思う。

それが、ここに結びついてくるかもしれない。

話が変わるが、王仁三郎は次のように述べている。「今から約四千年前、中東パレスチナの地に集結して、イスラエル王国を建設した十二部族というのは、セム族である。

このセム族というのは、太古の時代、世界経綸のため富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。

中東パレスチナの地にイスラエル王国を建設した十二部族こそ、富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔と見るべきである」だが、ペトログラフ学によると、シュメールのルーツは日本にあると考えられている。

もし、王仁三郎の話が事実だとしたら、ノアとその家族は、大洪水前は日本列島に住んでいたことになる。

『ガイアの法則』でも、シュメールの起源は日本列島だと説明されている。

そのシュメールの神官の霊は、次のように語っている。「私たちは日本列島が故郷でもあるのだ」「私たちはその昔、日本列島で新たな文明を開始した人々の子孫なのだ」

「日本列島から西への移動も、この法則通りであったのだ。

それだけではない。この地球は大きな変動を何度も繰り返しているが、そうした大変動も、基本的にはこの法則に基づくのだ。

最も最近に起きたこの変動は、約1万2000年前だ」「その変動は太平洋の日本寄りの位置で起きた。これによって、陸地として繁栄した太平洋上の文明は海底に沈んだのだ」

「現代の人類の文明が、約6400年前にシュメールからスタートしたように、さらにもう6400年前から始まった文明周期は、今のあなたの国がある日本列島からスタートしたのだ」

日本列島から西(シュメール)への移動も法則通りだった…