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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

近代アジアの動乱13-桜田門外の変

2022.08.22 11:18

大老井伊直弼は、幕府権威維持のために「安政の大獄」などの強権政治を行ったが、1860年3月24日「桜田門外の変」で水戸浪士に暗殺され、かえって権威は低下した。そこで穏健派は、公武合体の挙国一致で乗り切ろうと考える。ところがその引き換えとして、孝明天皇と63年5月5日までに攘夷を行うことを約束した。

日本の開国は不平等とはいえ、アヘンを売りつけられることもなかった。しかしこの過程で、金銀の兌換比率を国際基準に合わせることが大きな問題となる。兌換比率はアメリカに押し切られ、通貨の輸出も認められたため、日本の比率と国際比率との差で金が輸出され、国内ではインフレが起こる。

天皇の権威復活は、京都を中心に、今まで権力から遠ざけられてきた外様雄藩の活路をつくった。インフレによる生活困窮は、江戸で打ちこわしを呼び、中央権力を低下させた。これらのことは開国と幕府の責任と解釈され、攘夷運動が下級武士の間で広がっていく。

彼らは、攘夷を実力で行わせるべく、外人居留地近辺で「異人切り」のテロを行う。61年はイギリス公使館を襲撃する東禅寺事件が起きた。そして翌年イギリス人4人が騎馬で、薩摩藩の大名行列と遭遇し、殺傷させられるという「生麦事件」が起きた。これは個人の問題で済まされなくなる。