光の御一行
実家の二階には、床の間のある十二畳×二間続きの和室あり、その襖を開放して、お盆帰省中に私は寝泊りしていました。
(自分が昔使っていた洋室もありますが、そこは我が子たちが帰省中に寝泊りするのに使っていたので、有ちゃんが先立ってからは…空いている時でも、私は使わないでいます)
以来寝泊りに使うようになった和室でのこと。
8月14日、深夜(丑三つ時というのかな)2時~3時頃でした。
ふと、何かの気配を感じて、私は目を瞑ったまま体をゆっくり捩り、右向きになりました。
眠たかったこともあり、目をぱっちりと開けはしませんでしたが、片側の部屋に集まっているずっしりとした密度? 静かな熱気? のような気配と空気を感じたのです。
ちらちらと光のようなものも見えます。
一つ二つだけではないようなのです。
🎨再現画
暗闇の中、何かが集まっている気配。
光にも見える玉を、少し多めに描き入れ過ぎてしまいましたが…!
先導している特に目立った光は、明らかに一つだけだったようにも記憶しています。
部屋に充満しているような密度…熱気は…
広めのホール会場等が満席で埋まっている、それを舞台袖から覗き見たときのような、あの空気感を思い浮かべてみてください。
何かが、たいそうな数で、居るのです。
寝ている私を、覗き込むような重量感を伴う影も感じます。
でも、まるで怖くない。
まったく知らない者たち同士でもない、和んだ雰囲気と、ほんの少しの初々しい緊張感もあるような。
私はスピリチュアルなことには疎く、本当によくわかりません。
勝手な解釈になってしまいますが、この様子を感じながら思ったのは、やはりこの世は闇の中であるということ。←え
昼間は太陽というものの明かりで、物質は見えていても、もっと本質的な部分、この先のことだったりは、なにも分からない。
皆、闇の中を歩いているんだろうなと思いました。
とすれば、この者(物)たちは一体なんなのでしょう。
一つ一つに光も付いて回り、その光によって辛うじてその場は照らされているようにも見えたのです。
ヒトの姿にこそ見えないこの者(物)たちは、私の顔を覗き込んだりして(^_^;)…
この世で間接的にでも繋がりを持て、どこかからお立ち寄りくださった魂たちでしょうか…なんて。
*
さいたま宅に戻ってきてから、主人にその話をすると、
「寝室にしている有ちゃんの部屋で、時々俺は気配を感じるよ。何者かはわからないけど。あれ? 今なにか横切ったな、とかね」
「はっきり証明こそできないけど、魂みたいな? 何かは、自分の体験からすると、存在しないとも言い切れないな。あると思う」
ほほう
そんなふうに言い放っていたのを聞いて、私は少し嬉しくなりました。
有ちゃんの事後当初は、
「あいつが見守っていると思うか? 俺は居ないと思う。どこにも居ない、なんにも感じないよ、無になったんだよ。死んだら無だよ、無」
なんて、しつこいくらいムームーム~~~って、言っていたんですけど。汗
そういや私も、今日は何も感じない、居ないなって時もあります。
かと思うと突然、この世の何かを駆使して分かり易く示してきたり(もちろん全部を全部、私がキャッチできないこともあるのだろうけれど)、感じられるものでガーーっとこちらに入ってくることもあったり。
強く望んで意識している思い込みからだろう?
まあそれは無きにしも非ず、でも、ムームームームー言っていた主人が変わるキッカケとなった体験たちは、信憑性が高いと思いませんか。←否定派で会ったがゆえに
そうだ、新盆(初盆)で霊園への納骨式も含めて、実家に泊まった2017年8月15日2時12分の深夜時刻にも、撮った憶えのない写真がケータイに取り込まれていたっけ。
一見、七つの光のようなものが、画面上斜めに綺麗に並んでいました。
けれど、パソコンに送って、大画面で開いて観ると……今回の再現画にあるようなオーブのようなものがびっしりと写り込んでいたのです。
思い出しました⇒ゆうちゃんノート
また書き足しておこうと思います。
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