磐裂根裂神社
https://chikuhobby.com/jinja/iwasakunesaku/ 【【壬生町】亀の像がいっぱい!磐裂根裂神社へ行ってきた【栃木の神社】】より
ども!ちく(@chikuchanko)です。
今回紹介するのは栃木県下都賀郡壬生町にある磐裂根裂神社いわさくねさくじんじゃ(@iwanesan_1873)です!初見で神社の名前が読める人は少ないのではないでしょうか?
御祭神は名前からもわかるように磐裂神、根裂神です。
伊邪那美命イザナミが迦具土命カグツチを産んだ際、死んでしまったことに腹を立てた伊邪那岐命イザナギが、迦具土命カグツチの首を剣で斬り落としました。その時の剣についた血が岩についたことで生まれたのがこの神社の御祭神の2神です。
こちらの神社は、境内に亀の像がたくさんある神社です。
早速紹介していきます!
元亀元年九月二十九日に本殿を建設し、正一位の位をいただいて、明治七年九月二十九日に安塚神社に昇格し、社号を改めて、村社磐裂根裂神社に改定し、現在に至っています。
※公式サイトより引用
実際の様子
鳥居とその周辺
車で行った私は、近くにある駐車場へ車を停めて、この畑の広がる道を進んで行きました。
木々の見える林になっている場所が神社です。
車の道路沿いにある一の鳥居。
先ほどの写真の場所から行くと、ここを通らずに神社の境内についてしまいます。
少し遠回りして、一の鳥居から入りました。鳥居の先には階段があります。
この道を進んでいくと神社です。神社の前にある伊勢神宮遥拝鳥居。
こちらへお参りすると、伊勢神宮へお参りしたことになります。
遠くて行けない人で、こちらの神社へ伺う際はぜひ遥拝鳥居にもお参りしましょう。
こちらは伊勢神宮遥拝鳥居の向かい側にある二の鳥居。
鳥居の手前にある狛犬。
鳥居の先へ進みます!
手水舎
参道を進み、左手に手水舎があります。手水舎には12個の柄杓があります。
自分の生まれ年の干支の名前が書かれた柄杓を使い、手や口を清めてから参拝すると願いを叶えてくれると言われています。
手水舎に袴の像がありました。
手水舎の近くにある天地石。
自然のパワーを感じることが出来る石です。真ん中にある重りを持って2個の石それぞれに乗ります。
そのうち、どちらかの石に乗った時、重りが軽く感じると言います。同じ重りを持っているはずなのに軽く感じるのは自然のパワーを得ている証拠。軽いと感じたほうの石の上で、パワーを頂いちゃいましょう!
本殿と境内社
こちらが本殿です。拝殿はなく、直接本殿へ参拝出来るようになっています。
こちらへ参拝させて頂きました。
本殿の手前にある境内社大杉神社。
水害や嵐を除けてくれる御利益があります。
社務所の前にある恵方神社。毎年、節分の日にここで恵方巻(福巻寿司)を食べる福巻寿司祈願が行われます。
毎年、恵方巻を食べるのに良いとされる方角に、社の向きが変わる神社です。
厄除方位除け、家内安全、身体健全に御利益があります。
亀!
手水舎にもありましたが、境内には亀の像が多い印象を受けました。
こちらは二の鳥居のすぐ奥にある亀の像。
手水舎の隣にある夢福神像。獏バクの姿をしている像です。
栃木県内にある9つの夢福神のうちの1つで、こちらの夢福神は健康長寿に御利益があります。この夢福神がのっているのも亀です!
亀の上にのっていると言うのがより、長寿の御利益につながりますね!
左側に大きく書かれているのは「亀」の文字、右側に神社名が書かれておりアマビエ印や月替印(左下)が押されています。
https://tochinoichi.com/iwasakunesaku-shrine/ 【磐裂根裂神社|壬生町|御朱印|栃木県指定史跡の亀塚古墳に鎮座する神社】より
栃木県下都賀郡壬生町『磐裂根裂神社(いわさくねさく神社)』
磐裂根裂神社の主祭神として祀られている磐裂神・根裂神という神様は、初めて日光の男体山の登頂に成功した、勝道上人という方にも深い関わりのある神様として伝えられています。
また、磐裂根裂神社の本殿は亀塚古墳という古墳の上に御鎮座されており、創建は元亀元年という亀にゆかりのある神社で、境内には至る所で亀の像をみることが出来るのも見所です😊
こちらのブログでは、磐裂根裂神社の歴史や御朱印情報、境内の様子をご紹介させて頂きます。
磐裂根裂神社の歴史
栃木県壬生町の磐裂根裂神社は、元亀元年(1570)の創建と伝えられ、御祭神として磐裂神・根裂神をお祀りしている神社です。
なお、磐裂神・根裂神を祀る神社は特に栃木県の日光市やその近辺に多く、これは男体山登頂の偉業を成し遂げられた勝道上人が男体山登頂の成功は、磐裂神・根裂神等の助けによるものであることから、周りの人、そして自分の子孫は、常に磐裂神や根裂神を尊崇して、必ずその神恩を忘れてはならない。という言葉を言い残したという言い伝えにも深く関係しているそうです😊
なお勝道上人という方は、日光市の世界遺産『二社一寺(日光二荒山神社・日光東照宮・日光山輪王寺)』のうち、日光二荒山神社と日光山輪王寺の前身となった社寺を創建した凄い方です。
壬生町にある磐裂根裂神社は、地域からはいわねさんと呼ばれ親しまれており、また福巻寿司(恵方巻き)発祥の地ともいわれ、境内には今年の恵方が分かる恵方神社もあります😊
磐裂神・根裂神を祀る神社の分布
実際に磐裂根裂神社又は磐裂神社や根裂神社という名前の神社の分布を調べてみると、日光市、隣接する鹿沼市、そしてその流れに続くように壬生町にも多く存在することが分かりました。
また、その他の社名で磐裂神・根裂神を祀る神社も存在し、鹿沼市にある加蘇山神社や、県内に数多くある星宮神社という名前の神社でも、磐裂神・根裂神を祭神としてお祀りしています。
私も栃木県内を巡っている最中に、色々な所で星宮神社を目にするのですが、この星宮神社は栃木県が最も多いそうで、かつてそう呼ばれたものも含めると約260社もあるということです😊
これはなぜかというと、今もなお星宮神社と呼ばれる神社は、かつては虚こ空くう蔵ぞう菩ぼ薩さつという仏様をお祀りしていたそうで、この背景に勝道上人と日光修験道が深く関わっているのですが神仏分離令により虚空蔵菩薩が祀られなくなると、虚空蔵菩薩が国造りに通ずるところから、岩を砕き、根木の根を掘るという国造りに通ずる磐裂神・根裂神を祀るようになったそうです。
そのため、今なお星宮神社と呼ばれている神社もあれば、星宮神社と呼ばれていた場所から磐裂神社と名称が変わったところなどもあるようで、これらは栃木県ならではの特徴だそうです。
亀塚古墳
前述の通り、磐裂根裂神社の本殿は亀塚古墳という前方後円墳の上に鎮座されており、拝殿の後ろ側へと進むと古墳を見ることが出来ます。
前方後円墳とは、四角計(方形)の突出部と円形の主丘が接続する鍵穴のような形をした古墳のことで、社殿は四角形の方にありますので、社殿の後ろの円形部ははっきりと観察できます😊
なお、こちらが亀塚古墳と呼ばれているのは、昔この辺りに第10代崇神天皇の皇子が永く住まれ、長生きされたことから、長寿の象徴の亀の文字を使い亀塚と呼ばれるようになったそうです。
また、地名の安塚にも由来があり、昔は塚が八ツあったことから八ツ塚と呼ばれたのが、いつしか安塚となり地名として残ったそうです。
そして古墳自体は、周囲に存在する古墳群の状況から6世紀後半頃に築かれたものと推定されており、栃木県指定史跡となっています。
実は、下野市、栃木市、小山市、上三川町、壬生町といった栃木県南部の地域には、亀塚古墳をはじめとする古墳群が多く存在しており、それらはしもつけ古墳群とも呼ばれています。
壬生町に存在する主要な古墳についてはこちらでもご紹介させて頂いておりますので、気になる方は是非ご覧になってみてください😊
御朱印
磐裂根裂神社の御朱印には、通常の御朱印の他、月で変わる限定御朱印などもあるそうです。
最新の御朱印情報については公式サイト、公式Twitter、公式インスタグラム等でご紹介されていますので、気になる方は是非そちらの方からチェックしてみてください😊
七福神巡り
亀塚古墳の円形の主丘の周りには、それを囲うように七福神様が配されており、七福神お姿めぐりもすることができます。
古墳をぐるりとまわり眺めながら、ご利益がありますようにと、それぞれの神様にお祈りしながら七福神巡りをさせて頂きました😊
九難除け至福神社(夢福神)巡りの一社
栃木県内には、私たちの悪い夢(厄)などを食べて、良い夢(幸福)を与えてくれる獏の化身、夢福神様をお祀りしている神社が計九社あり、九難除け至福神社めぐりとして人気です。
壬生町の磐裂根裂神社の他
下野星宮神社(下野市)
薬師寺八幡宮(下野市)
鷲宮神社(栃木市)
白鷺神社(上三川町)
大前神社(真岡市)
栃木県護国神社(宇都宮市)
蒲生神社(宇都宮市)
鹿島神社(益子町)
の計九社にいらっしゃり、磐裂根裂神社は健康長寿にご利益のある夢福神様がいらっしゃる場所で、各神社の夢福神様にはそれぞれ異なるご利益があるとされています😊
また、夢福神様のお姿にもそれぞれの神社で違いがありますので、そういったところにも注目しながら、是非九難除け至福神社めぐりをされてみてはいかがでしょうか。
最後に
こちらのブログでは、栃木県壬生町にある磐裂根裂神社についてご紹介させて頂きました。
磐裂根裂神社の境内にはいくつかの境内社もあり、大杉神社をお守りしている狛犬の表情が可愛らしかったのも印象的でした。
磐裂神・根裂神を祀る由緒ある神社であり、沢山の見所がある神社ですので、気になる方は是非参拝されてみてはいかがでしょうか😊
最後まで読んで頂きありがとうございました。