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シュメール以前からの王権のシンボルと獅子座の謎

2022.08.23 07:22

http://new-world-friends.blog.jp/archives/33682930.html 【シュメール以前からの王権のシンボルと獅子座の謎】より

●この記事は、ネット上にあった有力情報を転載・紹介するものです。

シュメール以前からの王権のシンボルと獅子座の謎

インドの国章はライオンだが、これはアショカ王の紋章がライオンだったからに他ならない。

そして「アショカ仏教宣布団=天孫族=スキタイ」によって、アショカ仏教と共にライオン像が、朝鮮半島を経由して古代日本に持ち込まれた。

それが神社の狛犬である。

本来、角の有る方を「狛犬」、角の無い方を「獅子」と言い、1対で「獅子狛犬」と呼ぶ。

昭和以降に作られた狛犬には角が生えていない事が多いが、たて髪があることから、そのモデルがライオンである事は間違いない。

アショカ仏教は鬼道となり、後の神道に繋がっていく。

神社に狛犬が存在するのは、アショカ王のシンボルが「ライオン」だったことを物語っているのだ。

飛鳥昭雄氏は「大ピラミッドの謎とスフィンクス」の中で、次のように述べている。

――狛犬は渡来文化である。狛犬のコマとは、高麗(こま)のこと。

すなわち、狛犬とは「高麗犬」という意味だ。高麗人参と同じく、朝鮮半島を経由して日本に伝来した。ただし、高麗犬といっても中世の高麗のことではない。古代朝鮮の「高句麗」を意味する。

古代においては、高麗とは高句麗の略称を意味した……高句麗は百斉と同様、騎馬民族「夫余族」が建国した国家である。夫余族の一部は、朝鮮半島を南下し、秦韓(辰韓)と弁韓を建国した。紀元4世紀、さらに王族は海を渡って日本列島へ侵入。

先住民を征服して、大和朝廷を樹立した。すなわち、古代天皇は夫余族の末裔である。

騎馬民族が日本にやってきたとき、狛犬の文化が持ち込まれたと推測される。

もちろん、それだけではない。

騎馬民族の後、日本に渡来してきた秦氏一族もまた、狛犬を携えてきたに違いない。

秦氏の故国は新羅と伽耶である。両国は、それぞれ秦韓と弁韓がもとになっている。

秦氏は夫余族といっしょに住んでいた。彼らが狛犬を知らなかったはずはない。

神社に狛犬が存在するのは、その証拠である――

流れとしてはこんな感じたが、部分的に訂正しておきたい。

飛鳥氏は、「夫余族が高句麗を建国した」としているが、加治木が証明した通り、高麗はカリエン人(バビロニア人の末裔)である。

そこに日向族と出雲族、即ち「天孫族」が合流したのである。

尚、騎馬民族「夫余族」とは、私の見解では「出雲族」のことである。

そして、「夫余族の一部が秦韓(辰韓)と弁韓を建国した」としているが、これは夫余族ではなく「秦氏」である。

飛鳥氏自身が、「秦氏は夫余族といっしょに住んでいた」と言っている以上、秦氏は夫余族の一部ではなく、別物である。だが、秦氏は「日向族」でもない。

また、「夫余族が先住民を征服して大和朝廷を樹立した」としているが、残念ながらこれも間違い。改めて述べるが、大和朝廷を樹立したのは「秦氏」であろう。

飛鳥氏の話は次のように続いている。

――日本の狛犬の直接的なルーツは古代朝鮮にあるが、獅子の様式は中国が起源である。

神道の行事である獅子舞は、中国の獅子舞がルーツ。

神社に狛犬が鎮座するように、中国の道教寺院には2匹一対の獅子が鎮座する……

興味深いことに、中国のお隣、インドにも守護獅子がいる。

インドのヒンドゥー教の寺院に、狛犬らしき一対の獅子像が置かれている。

仏教がインドから中国へ伝来したように、狛犬=獅子像文化も、インドからやってきた可能性は高い――

やはり、狛犬のルーツはアショカ王のシンボルだったのだ。という事は、そのルーツがペルシアにある事になる。再び、飛鳥氏の説明を借りたい。

「そのインドの獅子像もまた、はるか西からやってきたらしく、ペルシアにも獅子像が数多く存在する。というのも、インド人とペルシア人(イラン人)は、ともにアーリア系の民族で、そのルーツはコーカサス地方にある。

現在、トルコ領となっているが、コーカサス地方と隣接した小アジアには、かつて製鉄技術で世界を圧倒したヒッタイトの遺跡がある。

ボアズキョイと呼ばれる宮殿遺跡の門には、やはり一対の獅子像が刻まれている。

そもそもメソポタミア地方全域に魔除けの獅子像は広く分布する。

先述した古代イスラエル王国や新バビロニア王国、アッシリア帝国の遺跡にも、必ずといっていいほど獅子が登場する。

獅子は百獣の王であり、王権のシンボルとされたのだ。

つまり、西アジアから日本まで、シルクロード全域には守護神としての獅子像文化はシルクロードを通り、ついには神道文化として日本に伝来したのである――

夢蛇鬼説では、ペルシア人はヒッタイト人の末裔だが、飛鳥氏もここで同様の事を述べている。

また、スキタイ族は主にペルシア人(ギリシア・マケドニア含む)とイスラエル民族で構成されている事を述べてきたが、飛鳥氏の説明通り、古代イスラエル王国にも獅子像が存在した。

そして、インド人はペルシア人と同じアーリア民族で、ペルシアからインドに移住した人々と共に、神話や文化が伝わった。

つまり、アショカ王のシンボルである「ライオン」のルーツは、ペルシア系(スキタイ)、即ち「ヒッタイト」と「イスラエル」にあったのだ。

新バビロニア王国やアッシリア帝国にも獅子像が存在したのは、イスラエル民族が連れ去られた地だからであろう。

古代イスラエル王国の獅子像について、引き続き飛鳥氏の説明を紹介しよう。

――神社の狛犬に相当するものが、ソロモン神殿にもあった。

『旧約聖書』には、こうある。

「また、獅子と牛の下には唐草文様が掘り込まれていた」(「列王記・上」第7章29節)

つまり、神社の狛犬のルーツは、ソロモン神殿に配置された獅子像にあったことがわかる。

カッバーラにおいて、獅子は野獣の王の象徴である。メルカバーの4位階においては、人間に次ぐ動物として表現される。それゆえ、古代イスラエルでは、獅子を王の象徴と見なした。とくにダビデやソロモンを輩出したユダ族は、自らのシンボルを獅子としている。

それは、ユダ族からイスラエル12支族を束ねる王が出るという預言を示しているのである――

もう1つ面白い話がある。

――神社の社殿には大きなしめ縄が張られ、そこからジグザグの紙垂が下げられている。

また、鈴のついた綱があり、参拝者はこれを鳴らして祈願する。

ソロモン神殿に神が臨在すると、上空に厚い雲が現れ、ゴロゴロと雷鳴を轟かせ、時折、稲妻が光ったという。神社のしめ縄や鈴はこうした雷雲を表現している――

「雲が現れる=出雲」で、雷神スサノオは出雲の神である。そして、「雷音」と書けばライオンと読めてしまうのも、不思議な偶然だ。

イスラエル民族は、ヒッタイト人からライオン像の影響を受けた可能性が高い。イスラエル民族が契約した雷神「ヤハウェ」は、ヒッタイトの神だからである。

但し、神は表裏一体、『日月神示』にも「同じ名の神二つある」と示されている。

この事は徐々に明らかにしていくが、出雲の雷神「ヤハウェ=スサノオ」の正体は、牡牛神「バアル」なのだ。

また、イスラエル民族は、エジプトでも獅子像の影響を大きく受けたに違いない。

飛鳥氏は次のように述べている。

――しかし、これで終わりではない。考えても見てほしい。

中国やインド、メソポタミア地方といえど、そこに獅子はいない。ライオンがいるのは、アフリカである。つまり、アフリカこそ、獅子文化の発祥の地なのだ。

アフリカにおける最古の文明とは、いうまでもない。エジプトである。エジプトには無数の獅子の壁画が存在する。しかも、2匹一対の獅子の壁画も少なくない。

まぎれもなく、それは守護神としての獅子であり、狛犬である。そして、古代エジプトにおける獅子文化を象徴するのが、スフィンクスである。

王権のシンボルを具現化するように、ファラオの体を獅子として表現した。いわゆるアンドロスフィンクスが、それだ。なかでも、最大のアンドロスフィンクスがギザの大地に立つ「大スフィンクス像」である。大スフィンクスは最古にして最大。

いってみれば、古代エジプト文明の獅子像のルーツは大スフィンクスにあるといっても過言ではない。

つまり、日本の狛犬のルーツは、ずばり大スフィンクスなのだ――

尚、ノアの大洪水以前は、大スフィンクスは2体存在したことが明らかにされている。

では何故、スフィンクスが王権のシンボルとなったのか……。

『神々の指紋』で有名なグラハム・ハンコックと、『オリオン・ミステリー』の著者ロバート・ボーヴァルが、1万2500年前の夜空をコンピューターで再現したところ、興味深い事実が判明し、それについて飛鳥氏は次のようにまとめている。

――……1万2500年前の春分の日、大スフィンクスの視線の向こう、真東の地平線から「獅子座」が上昇することを突き止めた。

よく知られる獅子座は古代シュメールが起源で、古代エジプトにその概念はなかったというのが常識だ。

だが、ハンコックらは、古代エジプト文明に先行した超古代文明には、獅子座という概念が存在した。

もっといえば、そこからシュメールやギリシアの獅子座が生まれたと説く。

つまり、大スフィンクスのペアの相手は、地上ではなく天空にあった。

そう、獅子座と大スフィンクスは2匹一対になっている。

言い換えれば、獅子座こそ、大スフィンクスの相棒だったと言うのだ。

これは極めて興味深い仮説である。古代エジプト人は天空を意識してきた。

天上は神々の世界であり、死後の世界である。

早稲田大学の吉村作治教授はギザの大ピラミッド複合体を死後の世界の再現であると主張する。

だとすれば、大ピラミッド複合体が星座を意識してきた建造された可能性は否定できない――

北周一郎氏は、「旧約聖書の預言者は古代エジプトのファラオだった」と主張しているが、これは真相から外れている。

まず、ノア以降の預言者の中で、モーゼ以外はエジプトとは無関係で、歴代のファラオはハムメーソンの預言者である事は間違いないだろう。

また、大スフィンクスと3大ピラミッドは、ノアの大洪水以前の産物である。

即ち、シュメール文明以前の「パンゲア文明」の遺産であり、その建設者は預言者「エノク」。

その意味では、旧約聖書の預言者「エノク」は大ピラミッドの王だったと言える。

そして、エノクの別名は「トート」だが、ヘレニズム時代にギリシャ神話のヘルメス同一視され、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれるようになった。

それは、獅子の頭をした姿で描かれている。

だが、飽くまでもファラオは、ノアの大洪水後の古代エジプトの王を指し、決してエノクはファラオではない。

しかし、ライオンを王権の象徴とするのが、ノアの大洪水以前の「エノク」にまで遡ることが分かった。

さて、ギリシア神話のルーツが「カナン神話」や「旧約聖書」などの中近東にあったことを述べたが、後にエジプトから直接影響を受けたこともまた、事実である。

エジプトは地中海を挟んでギリシアとも交易していたからだ。

そして、ギリシア神話の「オイディプス神話」にも、スフィンクスが登場する。

ギリシア神話の獅子座の物語では、ヘラクレスが人喰いライオンを退治し、その皮を剥いで生涯身に着けていた。

アレクサンドロスは、牡牛神にして最高神であるゼウスの子「ヘラクレス」と自分を重ね合わせていた。

実際にヘラクレスの武勇伝を、自らの行動指針にしていた事が窺える。

アレクサンドロスは「マゲドニアの若き獅子」と呼ばれ、石棺にはライオンの兜を被った姿が彫刻されている。

つまり、アレクサンドロスのシンボルは「ライオン」だったのだ。

と、同時に「牡牛」をトーテムとしていた。

また、ヘラクレスは9の首を持つ大蛇ヒドラを退治した。

ヘラクレスはギリシア神話の中の「スサノオ」なのだ。

「ヘラクレス=スサノオ=アレクサンドロス」で、ペルシアを征服後に「スサの王」を名乗っている。

また、アレクサンドロスは、このように語っている。

「一頭の羊に率いられたライオンの群れは怖くない。

私が恐れるのは一頭のライオンに率いられた羊の群れだ」

これは、文字通りに解釈して良い。

だが、ライオンを「ユダ族の王」、羊を「イスラエル民族」の象徴と見ることも出来る。

そして、アショカ王のシンボルの「ライオン」が、アレクサンドロスに由来する事は想像に難しくない。

話をまとめると、神社の狛犬のルーツの源泉は、パンゲア文明の遺産である大スフィンクスだったという事である。

そして、神社の裏には山がある事が多いが、要は山が神体の山岳信仰であり、そのルーツの源泉は、やはりパンゲア文明の遺産である3大ピラミッドだったのである。