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成人発達障害者がうっかり引っ越して 一人暮らしを始めた結果

無価値感の隙間に思い出すこと

2018.02.12 02:44

元々あったはずの体力が消えてしまったからだと思うのだけど、
インフルをやった後から、仕事嫌だなって気持ちが急に強まってる。

無論、具体的に嫌になるほどのことは起こってない、
前回痛い感じの失敗したけど、それと同じ失敗はまだやっていない。
ただ、慣れてくるにしたがって「違うな」という感じが強調されてきている。
これは前の職場に居たときのものと、まったく同じ感覚なんだけど。

他の人に比べて下手なこと、覚えが悪いこと、伸びしろが微妙なこと、
要するに「向いていない場所にいて、悦びがない」。
「そろそろ慣れましたか?」と色んな人から言われるたびに
普通だったらとっくに色々覚えている頃なのに私だけ遅れている、と焦っては。
たとえ常連のお客さんが「いつもお世話様です」と楽しそうに買い物をしていったとて、
この人がお礼を言っているのは、あくまでここの看板と商品であって、
私はそれを仲介するアンドロイドと同じようなものなので、特に意味はない。
それでも「私は同僚との間では必要とされて役に立っている」と思えれば
また違ったとは思うのだけれど、たぶんそれも何年居着いたとしても叶わない。
誰かが褒めてくれたとしても、「まぁ気休めなのかな」と素直には受け取れない。
なんとなくお荷物なのに給料を貰っている、という肩身の狭さをずっと感じることになる。


前回と似た業種を選んだのだから、こうなるのは当たり前のことかもしれないが
でも他にどうすればよかったのかは全然わからない。
学歴も器量もなかったら、「今までこれをやっていた」という経験で押すしか道がない。
選択肢がそもそもないのは頭ではわかりきっている。


正直なところ、「かつて一番味を占めた体験」と
ついつい心の中で比較してしまうから、たびたびこういう気持ちになるのだろうと思う。
その味を占めた体験とは、だいたい以下のようなこと。

父親を亡くした後、漫然とネットサーフィンしていた少女が
たまたま私のサイトに来て「鎮魂歌」を聞いて、涙が止まらなくなり、なんだか
泣いてスッキリしました、この曲に会ってよかったと、掲示板でお礼を言われたりしたこと。

義務感ではなく自己満足で、自分の好きなように、もとより違う目的で作った曲だったけれど、
それで癒されたという需要が合致したことで、少なからず
「この作品に価値あったんだ、それを作った自分にも価値あったんだ」と
踏みしめるように実感できたんですよね。恥ずかしい話ですけど。
無論、無料公開だったからでしょう、
もし、彼女のような余裕のない状態で、曲が途中までしか聴けなくて、
この先は課金です なんてなっていたら、この展開はまず在り得なかったはずなので
仕事としては成り立たない前提なんだけれど、それでも。

もちろん、それらのコメントは単なるお世辞じゃないかという危惧もあるけど、
あまりそう思えなかったのにも一応理由がある。
昔は、今よりもコメントを入れることに行動コストが大きかったという点。

まず個人サイトを特定し、リンクをクリックし、掲示板という別画面を開いて、
そこからどんな曲だったかを思い出しながら長文を組み立てて投稿する、
しかもTwitterのように通知機能は無いので、いつ作者が見てくれるかどうかも定かでない、
そういうめんどさを乗り越えて書いてくれていることになるので、
少なくとも嘘ではないだろうと信じやすかったところはあると思う。

作者同士のつながりだと、自分の作品を褒めてくれたお礼に褒め返しし行く、
という流れもあったけれど、作者とリスナーの間にはそういうものもないので
ある程度は本心なんじゃないかと思っていました。

あの頃は私生活はメチャクチャだったけど、自己肯定感を高める意味では
一番うまくいっていた時期だったんじゃないかと思うぐらいでもある。

だったら、同じことを繰り返してみればいい、続けてみればいい、と思う。
そのくせ、もう電波は降ってこない。
インフルで休んでいたときすら私は曲を作らなかった。
絵を描いたりという代替行動すらしていない。

死んだのと一緒なんだろうか。
わざわざ引っ越してきたのに、やっていることは消費ばかりで
何やってんだろうかというもどかしさに包まれている。