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本読みが楽しい比喩5選 part.2

2022.08.24 14:12

 こんにちは。

 今回は帰ってきた比喩5選ということで、以前6月に行った比喩特集の第二弾を決行いたします。第二弾で取り上げますのは、この数ヶ月ブログで取り上げてきた作品たちからのものです。ふつふつと誰かに伝えたいとメモに溜めこんできた素敵な比喩たちを、ここに解き放ちたいと思います。

 お時間がございます方、お付き合いくださいませ。


多和田葉子『百年の散歩』


 右側の男は、両手を大きく動かしながら話している。むやみに梨を投げるような動かし方ではなく、両手が常に同じ動きをする。四角形を描いたり、鼻先に水平線を引いたり、上から下へ雨を降らせたり、手のひらが天に向かって花開いたり、左右の手の指が戦友のように抱き合って泣いたり、拳骨になってテーブルの上に落ちてグラスを震撼させたり。


 全編がベルリンの風景を捉えた作品ですが、その冒頭の喫茶店シーンから抜粋しました。これが多和田葉子かと圧倒された文章です。この作品が初読みとなった作家さんで、冒頭から独特のリズム感に取り込まれるような気持ちで読んだのを覚えています。

 隣の席で話す内容が聞こえてくることはあれど、そういったフィクションで取り上げられるパーツとは全く性質が異なります。風景であって伏線でもなんでもありません。

 ただ無音のまま、ひたすらに両手の動きだけに焦点がしぼられ、頭の中に明瞭のかたちのまま侵入してくる凄まじい文章です。

 この文章は、このような話し方だと恋の話ではないだろうという、視点人物の想像、そして恋の話だとすればこのような手の動きになるはずといった新たな比喩に続きます。先が読みたくなりませんか。

 どこか海外の映画のようにオーバーな、芝居じみた風景を、横目で見ている視点人物の独特な感性こそ主役なのです。



玉城夕紀『青の数学』


 自転車をこいでいる最中に思いついた解法を試す。紙に軽く書いていくと、いけそうだという手応えを感じる。風が、吹く。そのまま問題を進めていく。時折、ラジオから球場の歓声とアナウンサーの声が高ぶるのが耳に入る。が、すぐにまた問題に戻る。そういう自分の集中の動きを、面白いな、とどこかで思う自分もいる。展開されていく式が、徐々に望ましい形へと風通し良くなっていくのを感じていた。


 数学にひたすら打ち込む高校生を描いた作品ですが、抜粋部分こそ作中随一の文章だと勝手に思わせていただいています。細かいパーツがというよりは全体図がすばらしい。

 「そういう自分の集中の動きを、面白いな、とどこかで思う自分もいる。」の一文によってこの一連の読み方は丁寧に示されています。焦点の移っていく様子はどこか集中や没頭とは相反する散漫な印象も受けるのだけど、自転車、風、ラジオからの歓声にはどこにもマイナスなところがなく一連がさわやかな風のようでもある。集中力がおおらかに散っているような状態こそ、大きな意味で集中出来ている、という主人公の成長や余裕を感じる描写でもあります。

 一連の解説でもある「そういう自分の集中の動きを~」の文章が、外ではなく、このひと段落に埋め込まれているのもいいと思います。リズム感がとても好きです。



レイ・ブラッドベリ『火星年代記』


 ティモシィは、パパが火に投げ込んだ最後の一つを、眺めた。それは、〈地球世界〉の地図だった。地図は、みるみる皺だらけになると、熱くねじれてぱりぱりと裂け、あたたかい、黒いチョウのように、舞いあがっていった。


 『火星年代記』の最後、26番目の短編「百万年ピクニック」からの抜粋でございます。

 内容や背景を言えば、この短編どころか一冊全体のネタバレをしてしまうので言いませんが、内容はわからない方でも、とてつもなく抒情的な風景だと思えませんか。

 舞いあがる灰に対して──灰を舞いあがると違和感なく使ってしまっていることからしても──、黒い「チョウ」という喩えはどこかにあるかもしれない。ですがそれが燃やした地図の灰であること、「みるみる皺だらけになって」「熱くねじれてぱりぱりと裂け」と続いているこの脆さや軽やかさは、そう見つかるものではありません。そして何より「あたたかい」の言葉ただ一つが全てを救っています。どうか読んだことがないなぁという方には全体を通した後でこの文章に触れてみてほしいです。

 実は比喩5選part.1でも『華氏451度』からブラッドベリ氏を引用しています。『華氏451度』は本を燃やす社会と敵対する粗筋ですので、偶然ながら対照的になっていて、ちょっと面白いなと思っています。



小川洋子・堀江敏幸『あとは切手を、一枚貼るだけ』


 仮に、今目の前に未来がぽんと置かれていたとします。私はそれを抱き上げたらいいのか、背中をさすってやればいいのか、あるいは皮が破れ、中身が飛び散るくらい踏み潰せばいいのか、さっぱり分からずに混乱ばかりするでしょう。泥にまみれた起爆装置が転がっているのと同じくらいよそよそしく、とらえところがなく、幻想的な状況です。


 手紙のコーナーを紹介する記事に取り上げた、書簡体小説です。

 女性側の手紙になりますので、小川洋子さんが筆者となったところとなります。「あるいは皮が破れ、中身が飛び出るくらい踏み潰せば」というところが優しさだけでは済まさない小川さんらしさという気がしますが、私の中で気に入っているのが3文目で、特に「よそよそしく」という言葉の選び方です。

 「泥にまみれた起爆装置」がそこにあれば「よそよそしい」だなんて日常的な感想は持たないはずですが、この一連は知りようもない「未来」の話です。しかし「未来」が「よそよそしい」というのは小川洋子さんにしては平凡かもしれない。「未来」がそこにあれば「泥にまみれた起爆装置と同じくらいよそよそしくなる」が彼女の言葉選びです。納得がいくようないかないような、肌触りはとにかく心地よいような、文章との距離感がいいですよね。

 この全体が「幻想的」ですけれど、ここにある「幻想的」はどこか魅惑的という要素が透明な水の中にスポイトで一滴垂らされているような印象を受けます。



湯本香樹実『夏の庭』


 歳をとるのは楽しいことなのかもしれない。歳をとればとるほど、思い出は増えるのだから。そしていつかその持ち主があとかたもなく消えてしまっても、思い出は空気の中を漂い、雨に溶け、土に染みこんで、生き続けるとしたら……いろんなところを漂いながら、また別のだれかの心に、ちょっとしのびこんでみるかもしれない。時々、初めての場所なのに、なぜか来たことがあると感じたりするのは、遠い昔のだれかの思い出のいたずらなのだ。


 小学生3人がひとりの老人を観察する、夏休みを描いた作品です。

 今、書店の夏休みの読書コーナーに児童書向けのバージョンになった『夏の庭』が並んでいるのを見かけます。正直、小学生でこの作品を読んで楽しかったと思えた子は、一生読書が好きだろうなと、読んだ本を自分の身に落とし込める人になるんじゃないかなと、それくらい、敬意を持ってしまう一冊です。

 全体は小学六年生男子の一人称ですので、抜粋の文も彼の思ったところになります。この文章の真ん中「思い出は空気の中を漂い」から「しのびこんでみるかもしれない」の凄さ、ここにある多元的な想像力に納得してしまったなら、どれだけ世界が美しく見えるだろうという話なんです。大人だろうと、ですよ。最後の「いたずらなのだ」こそ、前文を少し簡単に、親しみやすくした、比喩に対する喩えのようなものですが、とにかくわからなくてもじっと見つめて考えてほしい、素晴らしい文だと思います。




 ということで、今回の比喩5選、比喩に着目しつつも文章全体の質の高さを伝えたいという気持ちが前に出てしまった自覚があります。

 良い比喩と良い文章には当たり前のように隔たりがないこと、きっと作家さんたちも、どちらに力を入れようという意識などないだろうということを、抜粋させていただきながら気づかされました。とにかく何度味わっても新鮮な、心地のよい文だと思います。

 またいずれ比喩特集の第三弾もしたいと思います。

 ともあれ誰かに伝える伝えないに関わらず、技巧のきいた文章に着目したりそれをメモとして残したり、そういった味わい方はなかなか本以外の媒体作品だと難しいことですので、ちょっとおすすめできる贅沢です。よろしければ皆さまもぜひ。