ニール通りにある人力車の旧駅舎
1880年代に上海経由で日本からシンガポールに輸入された人力車。
手頃な価格で簡単に利用できる為すぐに人気の交通手段になり(3 セントで 0.8 kmも行けるし、20 セントで人力車を 1 時間自由に使えたらしい)1990年代初頭までに多数の人力車がシンガポールの通りを走っていたと言う。
ここはその中央管理センターとして、1903年に市議会によって建設されたもの。
エドワード朝様式の露出したレンガと白い石膏が目を引く。建物の正面にある市議会の紋章(ヤシの木のある島にライオ)と八角形のクーポラを備えた四角い時計塔はこのエリアのランドマークとなったと言うのも納得。今でもマックスウエル界隈のランドマークだもの!
初期の人力車は小型で1 人の男が引く大きな車輪を備えたフード付きの軽量カート。簡単に立てられ、雨や強い日差しから保護され、場合によっては詮索好きな人の目からも保護されたとか・・・・
ほとんどの人力車引きは、シンガポールでの滞在後に中国に戻るのに十分なお金を節約することを期待して働いていたクーリー(労力)だった。
人力車はとても人気があったので、競争相手の蒸気機関車を打ち負かしたほど。しかし第二次世界大戦後、世界の多くの地域で人力車は貧しい人々への抑圧と見なされ、道路に渋滞を加えたため、非合法化されました。
同様にシンガポールでは英国政府が1947年に禁止令を発令し、人力車事業を段階的に廃止し、三輪車、路面電車、バスなどの他の輸送機関に置き換えてしまった。
2007年、香港の映画スーパースター、ジャッキー・チェンがこの歴史的建造物の所有者になったとあったけれど、今でもそうなのだろうか・・・・?
(工事中、中がチラッと見えた↑)
駅舎後にはクリニックになったり、色々と使われていた建物は暫くの間空き家のままだったのに、近くのMRTの駅周辺の工事と同時進行で工事が始まり、何が出来るのかなぁ?と興味津々だったのだけど、6月頃にファインダイニングのBornとしてオープンした。
気づいた特にはすっかり出遅れていて、今では予約も2ヶ月待ちという状態。