【牛込②】牛込玉咲町
2018.02.12 13:21
町名:牛込玉咲町
読み方:うしごめたまさきちょう Ushigome-Tamasakichō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1872(明治5)年
冠称:「牛込」
後身:牛込神楽町一丁目
現町名:新宿区神楽坂一丁目
概要:牛込牡丹屋敷。豊島郡野方領牛込村内にあったが、武家屋敷になった。八代将軍・吉宗の時代、岡本彦右衛門(通称「牡丹屋」)が吉宗に供して紀伊国から出て来た際、武士に取りたてようと言われたが、「町屋がいい」と答えてこの町を拝領した。屋敷内に牡丹を作って献上したため、「牡丹屋敷」と唱えた。岡本彦右衛門は家伝の薬「熱湯散」を作っていたが、1761(宝暦11)年にある理由で咎めを被り、屋敷は没収、公有地となった。1762(宝暦12)年12月24曰、地所は3つに分割され、大奥女中方御年寄飛鳥井(かすがい)、同花園(はなぞの)、御表使三坂(みさか)の3名の女性が拝領することになった。そのうち1ヶ所が拝領町屋となった(町方書上)。
1869(明治2)年、岡本彦右衛門が育てていた牡丹の品種名を採り、牛込玉咲町が起立。しかし1872(明治5)年、地続きの開墾地を併合し、牛込神楽町一丁目に編入となり消滅。なお、牡丹屋敷は後に現在の北区西ヶ原に移転したといわれる。
撮影場所:牛込玉咲町