Okinawa 沖縄 #2 Day 206 (27/08/22) 西原町 (6) Konaha Hamlet 小那覇集落
西原町 小那覇集落 (おなは、ウナファ)
- 小那覇公民館
- 旧村屋跡 (小那覇児童公園)
- 才口門 (セーグチジョー)
- 竜宮お通し (リューグウトゥーシ)
- 才口井 (セーグチガー)
- メーマチダグヮ側の井戸
- 産井 (ウブガー)
- 集落内の井戸
- 後間毛 (クシマモー)
- リージヌメー、リージヌメーヌウカー
兼久集落に次いで小那覇集落を巡る。
西原町 小那覇集落 (おなは、ウナファ)
小那覇は、西原平野の東部に立地する大きな村落で、かつて、村落の東側は、ウナファターブックッとよばれる肥沃な水田地帯だった。北側は掛保久に、西側は嘉手苅に、南側は小波津川を隔てて兼久にそれぞれ隣接している。小那覇は百姓平民村落ではあるが、 西原平野をとりまくように立地している古村落とは違い、 海岸平野の一角に位置する村落だった。小那覇 (ウナファ) という地名の由来については定かではないが、魚がたくさん寄ってくる漁場 (ナバ) からウ・ナファと名付けられたともいわれている。
西原町の他の地域と比較しても、人口増加率はかなり低くなっている。戦前までは人口ではトップ3に入っていたのだが、この伸び率の低さで、ランクは年々落ちてきており、今は真ん中ぐらいになっている。
人口の伸び率が低い原因が何なのかについて疑問があったので、西原町の都市計画図を見ると、近隣の地域は住宅地指定になっているが、小那覇は米軍飛行場返還後の都市計画が挫折したこともあるのだろうが、面積の半分は工業専用地域に指定され、住宅地域は戦前の集落地域周辺に限られている。それでも指定なしの地域もまだかなり広範囲にあるが、現在はそのほとんどが農地になっている。住宅地が広がる余地はこの指定なし地域に可能性はあるが、開発事業者にとっては、先祖伝来の土地の買収は難易度が高いのが原因の一つかもしれない。
- 御嶽: なし
- 殿: 寄揚森之殿 (才口門の拝所)
- 拝所: 小那覇火神 (才口門内)、リージヌメー、後間毛 (クシマモー)
- 拝井: 才口井 (セーグガー)
小那覇集落訪問ログ
小那覇公民館
まずは、小那覇集落の中心地にある公民館に向かう。戦前の民俗地図では、この公民館の場所には前の広場も含めてクムイ (溜池) もあったサーターヤーだった場所になる。
旧村屋跡 (小那覇児童公園)
公民館の前の道路を渡った所に小那覇児童公園がある。この場所には戦前は村屋が置かれていた。戦後、現在の公民館に移動している。かつて、旧暦8月15日には、村屋前広場において五穀豊饒を感謝するためのムラアシビ (村遊び) が行われた。 ムラアシビのために、青年らは一ヵ月以上も前から踊りや狂言の練習に励んだ。ムラアシビは年中行事のなかでも大きな行事の一つであったが、多額な経費を必要としたので毎年は開催できず、不定期に約七年ごとに行われた。ムラアシビの前には、綱引と同様に部落内を獅子舞や棒術などを先頭に「ミチジュネー」が行われ、村屋広場の舞台では、踊、狂言、獅子舞、雑踊、組踊などが上演されたそうだ。
才口門 (セーグチジョー)
竜宮お通し (リューグウトゥーシ)
この拝所の入り口の場所に祠がある。竜宮神へのお通し (リューグウトゥーシ、遙拝所) となっている。
才口井 (セーグチガー)
才ロ門の拝所内の一角に、才口井 (セーグチガー) と呼ばれる部落の産井 (ウブガー) があると資料に写真付きで紹介されていた。かつて、正月の若水はその井戸から汲んでいたという。民俗地図では才口門 (セーグチジョー) の拝所の向かいに才口門の屋敷があり、その敷地内に中に南と東に二つの井戸があったとなっている。この才口井 (セーグチガー) も現在の公民館の場所にあったと戦前の民俗地図ではなっているののだが、その場所には見つからない。
才口門 (セーグチジョー) に移設合祀されたのだろうか? 拝所敷地に四角く囲まれた場所があった。何のためなのか少し不自然な造りだ。これが形式保存された井戸なのか?
その場所は民家が建っており、井戸跡は残っていない。敷地内の別の場所に井戸がある。
メーマチダグヮ側の井戸
才口門屋敷跡の隣の空き地にも井戸がある。メーマチダグヮ側の井戸と記載されている。詳細はないのだがを、村では拝まれていた井戸だそうだ。
産井 (ウブガー)
公民館の北側にも産井 (ウブガー) があり、集落住民で共同に使われていた村井 (ムラガー) だったそうだ。この井戸も村で拝まれていた。
集落内の井戸
この小那覇集落を巡って、目に付いたのは、多くの家に井戸跡が残っていることだ。今でも使っているものもある。この集落は水には恵まれていたと思われる。幾つかを写真に撮ったが、これ以外にも多くあった。
後間毛 (クシマモー)
掛保久と小那覇との字界付近に小高い森があり、そこは後間毛 (クシマモー) と呼ばれる。小那覇はこのクシマモーを腰当 (クサティ 聖域) に小さな集落を形成していた。小那覇の古島にあたる。その後、しだいに南側の平坦地、現在の公民館周辺に住居を構えるようになっていった。
言伝によると、本来その森は小那覇村の所有であったが、酒升で掛保久村に払い下げられたといわれる。現在は掛保久後間毛都市緑地になっており、そこの丘の頂上には小さな祠があって、才口 (セーグチ) 門中の宗家のある久志江間へのウトゥーシ (御通し) の拝所となっている。戦前そこで出征兵士の武運長久を祈願したといわれる。
この高台からは小那覇の街並みが見下ろせる。
リージヌメー、リージヌメーヌウカー
小那覇と嘉手苅との字界付近に架けられた橋の近くに、リージヌメーと呼ばれる聖地がある。資料によってはこの拝所をビージル、ウガングヮとしているものもあった。
戦前まで、二本の大きなガジュマルがあった。人々が移民や出稼出征などで県外に旅立つ時には、必ずそこで旅の安全を祈願したといわれる。祠の側にはリージヌメーヌウカーと呼ばれる井戸跡もあり香炉が置かれて拝所となっている。戦前の民俗地図によるとリージヌメーの拝所はここより少し東にあり、その側に寄揚森殿があったとされている。二つの資料で食い違いがある。
参考資料
- 西原町史 第1巻 通史 1 (2011 西原町教育委員会)
- 西原町史 第1巻 通史 2 (2011 西原町教育委員会)
- 西原町史 第2巻 西原の文献資料 資料編 1 (1984 西原町史編纂委員会 )
- 西原町史 第4巻 西原の民俗 (1990 西原町役場)
- 西原町史 第5巻 西原の考古 (1966 西原町役場)
- 西原町 歴史文化基本構想