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Tomoco KAWAGUCHI 川口智子

ニーナ・ケインのAIR作業日誌(日本語版)

2018.02.13 07:30

若葉町ウォーフAIRプログラム『4.48 PSYCHOSIS』ドラマターグのニーナ・ケイン作業日誌。英語版オリジナルはコチラ

#1

川口智子、滝本直子と3人での集中した生産的な、そして楽しい稽古初日。サラ・ケインの『4.48 PSYCHOSIS』を谷岡健彦さんの訳で読んでいます。英語と日本語のテキストを見比べ、時に翻訳が容易ではないサラ・ケインの複雑な英語回しを発見したり。ドラマトゥルクとして、サラ・ケインのテキストが持つがイギリスの社会的な背景(トランスジェンダーや)、時代的背景(患者が病院での記録を閲覧できる権利とか)を、セクションごとに追っています。さらに、サラ・ケインが部分ごとに使い分けている文体、語り口調、発言の方向性、神秘的なテキストや精神分析的な言語が、どのように内容を積み上げているかも、読み解きます。英語と日本語とでテキストを読み、マッピングをしていくこのプロセスを通して、戯曲・演出・上演へのアプローチを考える数日です。

#2

初日の夜に、智子と一緒に横浜演劇サロンという横浜の演劇人たちがつながる会に参加してきました。みなさん本当に暖かく迎えてくださり、みなさんの紹介してくださるいろいろなプロジェクトや熱意やエネルギーにとても感動しました。同じビルの中で、アーティストたちが使える場所も見せていただきました。このような場所があることは本当に素晴らしいことです。横浜という場所が、演劇をつくるのにいい場所であるように感じています。そして親切なご婦人からの「ら・ら・ら」というお芝居へのご招待や、ご自分で漫画を描いていらっしゃる男性が絵をみせてくださり、さらには、典型的な英国の文学であるJeeves and Wooster by PG Wodehouseの日本の漫画版までくださり、本当に感謝しています。ありがとう!

さて、今日は2時間半にわたる神奈川県マグカル推進事務局とのミーティングがありました。今回の企画について、たくさんの質問をいただきました。日本語での対話の部分もたくさんありましたが、私の若いころの仕事、ダンス作品のツアーの話や、キャスト・オフ・ドラマでのライフモデル、ギャラリーシアターの話などもしました。博士論文をベースにしながら、今、私が執筆中のサラ・ケインについての本には、今回のレジデンスプログラムについても書く予定です。疲れましたが、楽しい取材でした。

そのあと、智子、直子とともに日本の劇場についての話をして、それから「ら・ら・ら」を見に行きました。

この劇場体験もまた楽しいものでした。改めてご招待くださった方にお礼を申し上げます。日本の近代劇を見るよい機会でした。1980年代、私が若かりしころにした演劇の実践を思い出しました。本当にきちんと演じられていて、役者さんたちは全身全霊で舞台上の役を演じていました。見ながらたくさんのことを感じました。そして、私たちがサラ・ケインのテキストにどう取り組んでいくのかも。

とても、忙しかったけれど、楽しい日でした!そして、明日は、ついにトークです!

#3

とっても集中した1日。英語と日本語のテキストを並べて、ほとんどの時間をディスカッションで過ごした今日。テキストに書き込まれている文化的な背景を確認。中には日本のお客さんには馴染みがないと思われるような文化の違いも。たとえば重要な要素となっている患者の精神療法にかかる場面。この場面の背景には、1990年代イギリスで起こったフロイト・モデルのカウンセリングに対してフェミニズム運動がどのように展開されたか、も書き込まれています。1990年代の私自身、そして友人たちの経験を思い出し、薬物療法やカウンセリングが一体どのようなものであったか紹介しながら、ディスカッションをしていきました。このような背景と日本の文化は違ったものですし、また日本が2000年代に入って地域コミュニティの形がかわってきたことなども話しました。さらには、若い世代にとって、メンタル・ヘルスが「レッテル」のように貼られるものであること、インターネットの普及により、自殺や精神状況をめぐる振る舞いが変わってきていることなども話をしています。私たちはサラ・ケインを自殺で亡くなった人の物語、とはとらえていません。キーになっているのは、ロラン・バルト―の『恋愛のディスクール』です。

夜は、最初のトーク・セッションがありました。ゲストに新見百代さんを迎えました。新見さんの修士課程の研究テーマであった日本の下着について、そして日本の近代化・文化的植民地化とジェンダーがいかに結びついていたかという話に、すっかり魅了されてしまいました。『浄化。』の上映をみて、「クレンズド」という劇の中での、下着の扱われ方についても、あらためて面白く感じました。

#4

引き続き、英語のテキストについてのドラマツルギー的作業。最後のシーンまで当たり終わったてから、智子が今回の上演用の台本をまとめ、日本語で最初から最後まで通して読んでみました。ここからは、サラ・ケインの政治的な意図をふんだんに含んだこのテキストを、どう日本のお客さんに伝えていくのか、その演出が必要になります。智子は、医者と患者の関係性を「生まれていない子供」というイメージを使いながら再構成していきます。さらに、彼女は、政治的な問題のアプローチのキーとしてホロコーストを取り上げます。本当にこの演出の提案は、すばらしいものです。そして、日本語でどの場面が話されているのか、私が創造していたよりも易しく感じました。

昨日のディスカッションの中で「Dab」「Flicker」など、単語が羅列されている場面は、実はラバンのメソッドのバリエーションであることを話していました。来週のリハーサルでは、ラバンのメソッドについても、トライしてみようと思っていますし、この部分は英語のリーディングになる予定です。

これ以外の部分についてはお稽古は、次のステップ、つまり、日本語/文化のドラマツルギーを構築していくことになります。今日のお稽古で、川口智子のサラ・ケイン作品は最高のものであることを確信しましたし、今回のこの作業に滝本直子と一緒にかかわれたことを本当にうれしく思います。

そして、今日は『洗い清められ』の上映と、近藤弘幸さんとのトーク・セッションがありました。智子の「クレンズド」の解釈と関連して、イギリスでのフェミニストアートに対する女性蔑視、もしくは心の狭い反応があったことを紹介し、さらに「ミドル・イングランド」や拷問、フットボールのフーリガン、女性の平和運動グリーンハムなどに話は及びました。このことは、「クレンズド」の中での男性同士のカップルなどにも大きく関係しています。参加者の方からとても興味深い質問もいただきました。ありがとうございました。

#5

お稽古はお休みで、座・高円寺で行われているエドワード・ボンド「戦争戯曲集」のお稽古場を見学に行きました。佐藤信さんと、アカデミー生たちのお稽古は非常に興味深いものでした。

それから、若葉町ウォーフについて、イギリスにいる私のアーティストの友人たちにも紹介しています。若葉町ウォーフは訪問の価値のある場所ですし、今回のプロジェクトは、イギリスでも展開していきたいと思っています。

ウォーフに戻ってきてみると、週末に劇場で公演のある劇団の人々が宿泊を賑わせていました。さて、明日のワークショップに向けて準備です!

#6

今日はオープン・ワークショップ。いろいろな経験をもつ10名の方が参加してくださいました。参加者のみなさんの柔軟さ、想像力、そして熱心な態度に本当に感動しました。まず、体と関係性構築に関するフィジカルシアターのエクササイズのあと、パペットをつかったワークをしました。風船や新聞を使って、それぞれ性別を持ったパペットを製作し、それを使って『クレンズド』の3場を上演してみました。人形をグループで操作するのは、日本の伝統芸能・文楽のようで、とても面白いものでした。また人形が、俳優さんが演じる役にどう話しかけるか、ということも、とても興味深かったです。さらに、『クレンズド』と『4.48 PSYCHOSIS』でグループにわかれ、ワークは続きました。みなさま、本当に素晴らしい時間をどうもありがとうございました。お疲れ様!

#7

朝6時まで続くことになる異常に長い日曜日! 劇場人があつまると起こってしまう、この素晴らしさ。

午前中は、スタジオでロラン・バルトー『恋愛のディスクール』を読んでいました。前日、土曜日の夜、横浜で1人で過ごしながら、ひとりでこの町で過ごす幸せを感じでいました。日本で感じるいろいろな側面に気づき始めました。孤独と共生のどちらともを感じられる不思議な場所なのです。日本にいる間に感じる孤独は、時として見知らぬ人からの温かさ、立ち寄るバーの親しみやすい雰囲気、そして私の場合は4時間のカラオケ! で癒されます。今回日本に滞在して、孤独や寂しさと向き合い受け入れることを楽しんでいます。日本では、強い集団性と温かさで、このバランスが取れているように思います。夜の間、『4.48 PSYCHOSIS』の痛みを考えました。私たちの今回の戯曲への取り組みは個的な病理学や自殺の物語から離れ、より大きな思考、愛へと広がっていることを考え続けました。つまり、1日はすごく早く始まっていたのです! 

カラオケの後の体は疲れを知らず、午前はスタジオで智子のリクエストである1990年代のフェミニスト・ロック・バンドについてリサーチを始めました。いくつかの選択肢が思い浮かぶなかで、最終的にシネイド・オコナーをがいいだろうと思いました。智子がスタジオに来て、私は『トロイ』を勧めました。サラ・ケインのテキストとも通底する部分があると感じました。シネイドが虐待やメンタル・ヘルスの問題を抱えて苦しんでいたこと、それでも彼女が政治的に、精神的にとても強く戦ってきたことを智子に話しました。1993年アメリカのTV番組で、性的虐待の真実を訴えるためにローマ法王の写真を破ったことも話しました。智子はこの話に興味を持ち、シネイドがボブ・マリーの『War』をカバーして歌っているこのテレビの映像を見つけました。そして、この歌、この時のシネイドが、『4.48 PSYCHOSIS』で今回私たちが読み込もうとしているドラマツルギーにとてもあっていることに気づきました。

さらに、智子とともにランチを食べにいきました。ランチのつもりが、2時間半に及ぶプロジェクトの計画会議になり、2年間分の計画を練りました。イギリスと日本だけでなく、ドイツや香港も視野に入れ、2020年の3月まで、大体の活動の目安をつくりました。製作だけでなく、助成金の申請時期なども、スケジュールに反映。こういう話合いはインターネットでやるよりも面と向かってやるほうが、本当に生産的なのです!

そして、ランチの後、私たちはウォーフの1階で上演されていたSAIの公演を見ました。『贋作 マッチ売りの少女』は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの人生を描く作品でした。ここでも、パフォーマンスの力強さに感心しました。歌や身体表現、素晴らしかったです。彼らとは、その後の打ち上げの席で、イギリスと日本のトレイニングの違いについて、話をしました。SAIは、いろいろな劇団から集まった人でつくった作品を上演していました。彼らに出会うことはとても意味があり、次回私が日本でワークショップをする機会があれば参加したいと言ってくれる人もいました。ダンス作品を映像で見せてくれる人もいました。大人たちが終戦後の子供のような服を着て踊るその作品はとても素晴らしいと思いました。ファシズムをテーマにしたヨーロッパのアーティスト、ポーラ・レゴを思い出させ、その話をしました。それから、1950年~1970年代のナンセンス漫画、つげ義春などの話もしました。実はウォーフには本棚があり、すばらしいコレクションなのです!サラ・ケインの作品と漫画がつながらないか、と思っていたので、とてもいい機会でした。それから、私がイギリスに帰ってから、ヨークで2月23日に行う『Life Happens』 にもとても合うイメージです。ほんとにたくさんのことを夜が更けるまで話しました。

お稽古は夜7時~10時まで、冒頭から13場までのシーンにあたりました。いくつかの曲を取り込み、シーンの構成も進んでいきます。お稽古のあとは、銭湯でゆっくり! 本当に素晴らしく、忙しく、長い1日でした!

#8

ドラマターグの時間、演出の時間を経て、今はパフォーマーの時間へ。

録音作業(女と生まれていない子供)。そのあと、智子の提案で、シーン19を理解するためにラバンの方法論のワークショップ、45分ほど。とても集住した時間。直子の柔軟さと集中に驚きました。その後、1階の劇場に移り、テクニカルチームとともに通し稽古。パフォーマンスがだんだんと形になっていきます。明日はそれぞれの要素をもっとチューニングしていく作業です。明かりづくりが進む間、みんなのために生姜、ニンニク、レモンがたっぷりはいったパスタをつくりました! 上出来!! 一日の終わりは、銭湯とカラオケ!

#9

銭湯(温泉)は、私の愛する日本の文化のひとつです。清潔にそして裸で過ごす銭湯は、実用的で公に開かれている場所です。お喋りをしたり、フレンドリーな雰囲気で、女性たちは互いの背中を流しあったりもしています。長々とお湯につかっているのも、ただただ素晴らしい時間です。イギリスにもこの文化が輸入されればいいのに! 昨晩の銭湯では、私も智子も別々に女性たちのお喋りを体験することになりました。私には彼女たちの会話はわからなかったし、眼鏡もしていなかったので顔もよくみることができなかったけれど(湯気でもやもや!)、彼女たちのポジティブなエネルギーを感じることはできました。一方、智子が今朝教えてくれたのは、彼女の話したおばあちゃんたちは認知症のテストの話をしていたとか。さらに、「100」から「7」ずつ引いていくというテストの話を! これって、「4.48 PSYCHOSIS」のシーン4と20の話じゃないですか! 数字の場面がよくわかります。こうやって、偶然にもパフォーマンスでやっていることと出会うのって、素晴らしい! また少しずつ理解が進んでいくのです。

さらに智子との話は、舞台上にある空の机と椅子、サラ・ケインのために残されている空間の話になりました。舞台に霊がやってくるという感覚は日本では慣れ親しんでいる感覚かもしれませんが、ヨーロッパやアメリカではあまりありません。むしろイギリスでは、幽霊を追い払うことに執着します。例えば、ハムレットの父親や、「スコットランドの劇」という言い回し(『マクベス』のこと)、舞台裏で口笛を吹いたり、緑の服を着ない、「good luck」という代わりに「Break a leg」という言い回しをつかったり。でも、私自身は、劇場では作者の霊が存在し、尊ばれていると信じています。これは、劇場での作品と同じように、美術館にある絵画や彫刻にも感じることです。ヨーロッパの多くの演劇人がこの考えを認めようとしなくても、実際には出演者や演出家たちがこのような気配を感じていることは多々あります。サラ・ケインを上演する他のプロダクションの人が、お稽古の間にサラ・ケインの存在や声を感じていた、と言っていたこともあります。

それから私の新しい本(Sarah Kane: Queer Desires and Feminist Continuums (Routledge, 2018年10月10日出版))の話になって、『洗い清められ』の舞台写真を装丁に使おうと思っているので、いくつか候補を選びました。楽しみ!

午後、舞台稽古がありました。稽古が始まる前、突然具合が悪くなって、まだ息子が幼かったころに見た夢を思い出しました。1994年、私が息子を妊娠した時の記憶、その時の具合の悪さを思いださせました。何か食べものにあたった、とかではなくてこれは今回の劇とそのプロセスに関係していると感じました。今回の作業の中で、私たちは「生まれていない子供たちと、その母親」をモチーフにしていました。お稽古を見ながら、アリアンヌ・ムヌーシュキンの演出家は助産婦であるという考えに思いを馳せていました。私、智子、直子の3人は母になり出産するというプロセスに巻き込まれていると感じました。劇は赤ん坊のようなもので、何を必要としているか、何を欲しがっているか、知っています。成長するため、生まれるために何が必要であるかを要求してくるのです。この朝感じた具合の悪さは作品が世に出たい、育ちたいと私に訴えかけているのだと思いました。これも、プロセスの一部です。

舞台稽古の前に19場の言葉を録音しました。ラバンのメソッドに関連する言葉です。智子から、それぞれの言葉にそれぞれのラバンのメソッドの中に示されている力を込めて言葉にするように求められました。そのあと、実際に稽古の中で使われている録音を聞いて、数日前に智子がラバンにあまりいい反応をしめさなかったように思いました。ひとつには、今回のように日本語で、日本のお客さんに向けてリーディングをする際にはこの場面で使われているラバンのことばがうまくは伝わらないことなのです。

舞台稽古はうまくいき、作品も仕上がってきました。直子は本当に集中力が高く、即興にすぐれた役者です。豊かで強い声を持っていて、それぞれの場面で使い分けています。稽古を見ているうちに、事前に録音されている場面で、直子が目を閉じていることに興味を持つようになりました。智子にこれを質問すると、彼女はフロイト式の精神分析の中で、精神科医が患者の頭の後ろに座っていたことにヒントを得ていると言いました。直子が目をつぶっているのは彼女が過去に思いを馳せていることを指していると。さらに、シーン24の前の暗闇の中で空の机と椅子だけが浮き上がることがとても気になり始めました。誰かがそこに座っているかのような照明です。これはとても強いことであるように感じました。

通し稽古の中で、シーン19のラバンの言葉のサンプリングを聞き、私は強い衝撃を受けました。音響で加工されたその声は、とても荒荒しいものになっていたのです。音は重く、凶悪な感じがしました。これはファシズムを表しているのか、英語という言葉の持つ植民地主義的で、残酷な側面を描いているのか、と思いました。このことについて、智子とさらに話をしました。イギリスで話されているラバンのテクニックは、常に演者や演出家を力づけるものです。自らの身体と声を定義し、柔軟に使うためのトレイニングです。それは、サラ・ケインのテキストの中で、言葉の「意味」を追うよりも、俳優たちに呼吸すること、身体化すること、声にすることを促すものであると感じていました。一方智子は別の考え方で、それでもなお動きをコード化し身体を枠の中に押し込めることへの疑問である、と考えていたのです。智子は、このシーンの中で、サラ・ケインがラバンを持ち出すのは、「クレンズド」の暴力シーンと密接に関係していると主張しました。演出の方針に同意しましたが、ドラマターグとしてすべての言葉が流れるようにと強く主張し、彼女はこれに同意しました。これは非常に緊張感のあるディスカッションでドラマターグの必要性も感じるところでした。私はまた「朝の具合の悪さ」を思い出し、作品が生まれるために何を必要としているかを感じました。とってもタフな作業なのです。

2回目の通しで、シーン19の改定された音を聞き、私は智子の演出の方向性が正確で、政治的で、非常に効果的であることがわかりました。暴力の場面なのです。よくよく見ていると、それは「クレンズド」の中の電気ショック療法の場面を思いだしてきました。それぞれの言葉が武器になり始めました。ドラマターグの視点からみても、それは筋が通っていて、最終的にこれがどうなっていくのか、とても楽しみになりました。ラバンのメソッドを疑うことなく受け入れていた私にとっても、この挑戦のプロセスはとても意味深いものでした。

これは、国際交流の利点のひとつです。自分のいつもの文化の外側で作業することで、自分の文化を認識できるのです。とてもいい1日でしたが、とてもハードでした。

お稽古のあと、銭湯に行きました。さらに4時間のひとりカラオケ! に行き、新しいレパートリーを見つけているあいだ、智子と直子は飲みに出かけていました。智子と直子だけの時間をつくっておくことも大事だと思っていました。彼らは本当に素晴らしいホストで協働者です。でも、一日中英語で話続ける、翻訳し続けることは、智子にとってもとてもタフなことだと思います。そして、作品は、直子のパフォーマーの時間になり始めていました。直子は、観客に言葉を伝えることのできる唯一の人です。朝4時、薄明りのウォーフに帰りましたが、誰もいませんでした。みんなが違う時間を過ごしていること、それが心地よく感じられました。朝5時頃、私はベッドに入り、そして朝6時、2人が帰ってくるのを聞きました。てんこ盛り、でもとても意味のある、大切な1日でした。

#10

冬の美しい青空が広がる朝でした。みんながまだ眠っている朝、目が覚めて、外に出たいと思いました。空間は光に満たされて、上演が結実する準備ができていました。ドラマターグとしての作業は一段落し、今日必要なのは、直子が準備をする時間、智子とテクニカルスタッフたちが最後まで調整をする時間だと思いました。そこで、3時まで出かけることにしたのです。横浜市民ギャラリーの学芸員の天野さんがご招待してくださった石内都さんの展覧会「肌理と写真」に行くことにしました。本当に素晴らしい展示でした。この素晴らしい日本の写真家の作品に出会うことができて感激し、彼女の作品が本当に好きになりました。彼女の写真と私がフェミニストと体を使ったパフォーマンス・アートでやっていることに共通点があるようにも感じました。彼女の「1906 to the skin」「ひろしま」「Mother’s」といった作品に特に感動しました。お年をとって方の優しい肌のクローズアップが、クリスマスの前に98才で亡くした祖母を思い出させました。石内さんがお父さんの踵を撮った写真にも感銘を受けました。子どもたちが彼らの両親の足に親しみを覚えることを思い出させました。子どもたちの目線は低く、年を取ればそれを忘れていきます。それから、直子がパフォーマンスの中で、足をつま先立ちにしていることを思い出しました。彼女はこれを特に目をつぶっている場面でしていました。自分が涙ぐんでいるのがわかりました。母を亡くした母の気持ち、祖母への憂慮。

そして3時30分を指した時計の写真の前で私は一瞬立ち止まりました。祖母の死のあと、私は彼女が私にくれた時計を身に着けていました。それは祖母の兄弟のもので、彼女が亡くなり私にわたるまで彼女が身に着けていたものです。飛行機の中で、私は祖母が年を取ってからも外国を旅することを好んでいたことを考えていました。祖母の兄弟は、アイルランドから移住してから、イギリスの中西部ダッドリーから外に出ようとはしませんでした。ですから、私は「おじさん、これから日本に行くのよ!」と思い、あと30分で日本海を渡って日本につくそのとき時計を見ると、3時30分で時計が止まっていたのです。大叔父の声の笑い声が聞こえてきたように思いました。「ありがたいけど、日本にはいかないよ!ここでいいんだ」そして、彼がダッドリーの家で座っている姿が見えました。かれが「ここが私が行く一番遠いところ」と言っているように思いました。同時に祖母が私をそっと彼らの時間から私の時間へと押し出してくれているようにも感じました。優しいアイルランド人の微笑みを湛えていました。そんなわけで、3時30分を指した写真の前で、私は今回の出来事がすべてつながり完全な円となっていくのを感じていました。悲しみだけではなく、彼女が私と共にいてくれることも感じていました。ノートには石内さん「彼らの持ち物は、過去へ残されることなく、私たちを未来へとつないでいる」(英語より翻訳)という言葉を書き留めていました。とても素晴らしい考え方です。

美術館と、その周りのエリアも素晴らしかったです。保育士さんたちが子供を移動式のカートで遊んでいるのを眺め、噴水の周りを歩いている人たちの写真を撮ったりしていました。写真や映像は、私が2月23日にヨークで行うパフォーマンス「Life Happens」で使う予定です。私は「船酔い」のような感覚を味わっていました。少し浮かんでいて、バランスを失っているような感覚です。日本では地震が活発だし、地球の揺れを感じているのかと思い、日本にいるイギリス人の友人に聞いてみました。彼は横浜でも地震の揺れを感じることはよくあるし、身体が地球の動きに敏感になっていると言っていました。私は心地よく感じていました。日本で「光」「やわらかさ(柔軟さ)」を感じていました。エネルギーの動き、反応、光、移ろい、それを好きになりました。ものごとは早く動いていき、人々はそれに反応していきます。ヨークシャーとはだいぶ違います。ヨークでは、もっと重く、孤独で、ゆっくりで、閉ざされています。私は美術館で満たされ、最後の通し稽古に準備万端になりました。

ウォーフに帰ると、みな同じようにリラックスしたムードでした。それから、智子のお母さんにも会うことができました。彼女は私のためにバッグを作ってくださいました。本当にありがとう。

最後の通し稽古、それから初日の上演と、本当に素晴らしいものでした。劇場に満員となったお客さんたちはとても注意深く、そして静かに上演を見守ってくださいました。上演後、好評なコメントや面白い話を聞きました。「4.48 PSYCHOSIS」を以前から知っている人は、今回の上演がかなり新しいアプローチであると言ってくれました。素晴らしい雰囲気で、私たちのタフな作業が実ったように思いました。今回の交流事業の実現のために助成金をくださった神奈川県、それから若葉町ウォーフに本当に感謝を伝えたいと思います。

私はイギリス人の友人を招き、ウォーフを紹介しました。それから、石内都さんの展覧会も勧めました。他の友人たちにも、ぜひウォーフでのレジデンスをしてくれるように、FBでも知らせました。座・高円寺アカデミーについても、日本に住んでいる友人に勧めています。イギリスに帰ってもウォーフやアカデミーについて、友人たちに知らせていこうと思っています。昔からの友人と夕食を食べ、カラオケをして、素晴らしい一日の終わり!

#11

今日もいい天気、でも明日帰ると思うと、すでに寂しい。今日もリハーサルが始まるまでウォーフを出て、今度は港の方へ。キャストやスタッフへのプレゼントを買いに行きました。私はヨークに帰ってから行うパフォーマンス「Life Happens」のために、「横浜ワンダリング」と名付けた街中の音や、写真、漫画を集めていました。港で、私は探し求めていた風景、空き地を見つけました。フェンスに囲まれた小さな場所、錆びたシャトル、雑草が生えていて、ピースと書いてある煙草の箱が落ちていました。1時間ほど撮影をしたあと、長い橋を渡らなければと思いました。私は6年間ほど、橋に恐怖を感じていて、短い橋であっても渡るのに苦労していました。それが今日は、少しも橋が怖くなくなって、楽しく渡ることができたのです。私はまたひとつの円が出来上がるのを感じていました。苦しみが去って、「生まれ変わる」感覚です。これが今回の作品に関係しているように感じました。私はチームへのプレゼントと、家族へのお土産を買って最後の通しに向けてウォーフに帰りました。

最後の通しで、晶が写真を撮ってくれている間、私も数枚の写真を撮りました。彼の写真がとても楽しみで、私の本にも掲載していと思っています。最後の通し稽古、そして今日の本番も直子のパフォーマンスは本当に素晴らしく、彼女が上演をひとつ上のレベルに上げてくれたと思います。この最後の2日間、私は日本語の台本を見るのをやめて、パフォーマンスに集中し、たまに英語の台本を見ることにしました。特に今日のパフォーマンスの中では、彼女が足をどうやって使っているかにとても興味を持ちました。そして、彼女の豊かで表現に富んだ声です。今日、この作品の中の政治的な要素を見ることができました。これには本当に興奮しました。通し稽古、そして最後の上演もとても楽しみました。

通し稽古には、小さな赤ちゃんを連れた女性(彼女は以前に4.48 PSYCHOSISを演出している)と、今回フライヤーのデザインをしてくれたデザイナーも来てくれました。彼女たちに会えてとてもうれしく思いました。以前に4.48 PSYCHOSISを上演した彼女は、今回のアプローチがとても異なるものであると言っていました。本番には、アーツカウンシル東京のオフィサーや演劇ジャーナリストも来てくれました。彼らもとてもよい反応をしめしてくれました。

お客さんは今日も素晴らしかったです。私たちのワークショップに参加してくれたメンバーや、先週の演劇サロンで出会った方も来てくださいました。中垣みゆきさんが着物を着てきてくれたのもとても嬉しかった! しかもユニオン・ジャックの帯です! とても美しく、文化的な興味も掻き立てられ、とても感謝しています。それから、サラ・ケインの博士論文を書いているという学生さんにも会い、お話することができました。

ばらしが終わったあと、智子がとてもおいしいご飯をつくってくれました。彼女が料理をしている間、さらにいろいろな話をしました。この数日、「ドラマターグの時間」よりも「劇場の時間」を大事にするべきだろうという判断から、彼女に様々な質問をするのをこらえていたのです。同時に私も上演を見て、考えることに集中していました。上演が終わった今、出版に向けての新しいチャプターに記載する内容のいくつかを明らかにしておきたいと思いました。智子はいくつかのポイントにおいて、演出的な選択をしていることを話してくれました。私たちは「生まれていない子供」「祖先」について、そして昨日のお客さんのひとりが言ってくれた「誰が、誰を殺しているのか」という疑問についていろいろと話をしました。私たちは、この作品のプロセスの中での「中絶」のメタファーについても話をしました。さらに、サラ・ケインについて、ボブ・マリーについて、シネイド・オコナーについて。それから空の机と椅子が表している「Other」について。智子のこの企画の中での考え方、そして智子と直子、そしてすべてのチームの協働の仕方に感銘を受けました。イギリスに帰って、このプロダクションについて書くのが待ち遠しいです。

ご飯はとってもおいしくて、何人かのスタッフが帰っていき、そして香港からはヒュー・チョウが来日しました。彼と、ダンスについて、演劇について、香港と日本とイギリスとで異なる実践についての話をいろいろとしました。ウォーフの素晴らしいところは、こうやってアーティストたちが国をまたいで出会い、話ができるような場所であるということです。この場所が「コミュニティー」になっているように感じました。ご飯を一緒に食べ、話をし、生活空間を共有する。エネルギーを生みだす場所です。今後、すばらしい交流が生まれていくだろうと感じました。またウォーフに戻ってくるのを待ち遠しく感じます。普段はお酒を飲まないのですが、キリンビールと日本酒を少し飲みました。スーツケースに荷物を押し込み、結局朝4時まで飲み、話し続けました。朝6時にアラームをセットして就寝!

#12

朝6時に起きて、最後のコーヒーを智子と直子と。ウォーフのゲストブックに記入しながら、寂しさがこみあげてきて、ウォーフから離れるのが悲しくなってきました。いまにも破裂しそうなスーツケースとリュックが、家に帰るまで耐えられるように祈りました。黄金町から横浜駅まで向かい、成田エクスプレスで空港まで行きました。ブリュッセルで乗り継ぎマンチェスターまで帰りました。出発ロビーで待つ間、戯曲の中でのセリフがランダムに浮かんできて、涙ぐんでしまいました。本当にとってもタフで、素晴らしい作業、そして生活するという経験をしました。飛行機が出発していくつかの山を越えていくと、雪化粧の富士山が雲の間から見えました。帰りの飛行機でもいろいろなことがありましたが、とても楽しみました。不思議なほどリラックスしていました。出発の涙は、隣に座り合わせたおしゃべりなオーストラリア人のシェフィールド大学の教授のおかげで止まりました。彼はセメントについて、飛行機の羽の設計について、そして彼の小さな息子について話しはじめました。彼は、劇場とカラオケが大嫌いで、セメントについて話すほうが好ましいと言っていましたので、私はセメントについての質問をいくつかしました。このおかげで日本を去ることが少し悲しくなくなりました。

本当に素晴らしい日々でした。私たちは自分たちが想定していたよりも多くのことを成し遂げたと思います。14時間後、マンチェスターにつくと、大雨でした。遅れている電車を待ちました。帰宅!

さあ、ここから、出版する本に、この経験について書くという大仕事が始まります。それから、ワークショップやパフォーマンスの準備もしなきゃいけません。すべてが3月1日には終わっているはず!

改めて、川口 智子さん、滝本直子さん、佐藤信さん、そしてプロダクションのスタッフ、若葉町ウォーフのスタッフのみなさん、神奈川県アーティスト・イン・レジデンス推進事業、近藤弘幸さん、そしてトーク、ワークショップ、リーディングに来てくださったすべての方々に感謝をささげます。本当に本当に素晴らしいAIRでした。これは、2年企画の入り口にすぎません。次のステップを楽しみにしています。