Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

神武東征の真実② ~ヤタガラスの正体とは...??~

2018.02.13 09:05


随分、記事の間隔が空いてしまいましたが、すみませんでした。
今後もしっかり書いていきます。
と、申しますか、やはりこのあたりのことはとても難しいです...

筆者がいまになってとっても残念だと思っているのは、暦男だったにも関わらず、あまり日本の古代史と、神道に興味を持たなかったことです。

実は面白いもので歴女でもなんでもない、筆者の連れ合いの方が、若いころから天皇制とか皇室、また靖国や東京裁判などに興味を持っていて、筆者にしてみれば、彼女のそれらに対する整合性に関してはまったく理解できませんでした。

でもよく考えてみると、日本人という民族に関して、恐らく彼女の方が探究心が強く、しかもそれはなにを隠そう、DNAの為せる業なのではないかと、最近になって少しわかりかけてきました。

というのも、これは余談ではありますが、彼女の出身は東京ですが、母方は秋田の豪農家の出身で、幼い頃からよく義母の郷里に遊びに行っていたそうです。
ですが、わたくしも今まで何度も機会があったのですが、長いこと尋ねることが出来ずにおりましたが、近年ひょんなことから近くまで行った際に、ご同行いただいた方のご配慮もあり、まったくアポなしで訪ねる機会がありました(この際は住所も全く分かりませんでしたが、義母の実家の名前だけで辿り着きました。不思議、というかご同行されていたスピリチャルな方に取ってはごくごく自然な流れだそうです。このときはまさにそこに行くように導かれたのですね)。

しかし、大事なことはその後もあり、義母の生家のご仏前に座し、色々な発見と、前述のように、家内が何故そういうことに関しての探究心に溢れ満ちているのかがその時にとても理解できた気がいたしました。

そうなのです....

はっきり、そして意図も簡単明瞭に言えば、そこには筆者の全く知らない文化(或いは民俗であり宗教)がありました。


これはかなり驚きでした。


しかし、一方で同時に、これがこの国を形成して来たんだと思いました。
そして、だからこそ、やはり、ある時点での歴史の編纂は必要だったのだと。
その一番最初が、恐らく、古事記であり、日本書紀だったのだろうと…
そんな観点を持って望むことにいたしました。

さて、冒頭にも述べましたように、随分と記事の更新が遅れてしまいましたが、年末、というより年明け以降の忙しなさ、また、この神武天皇の箇所はとても重要な部分でありますので、結構、新しい本も読んだり、これまでの資料とか、セミナーなどで出された論点などを整理いたしました(これは現在進行形ですが…)。


①ヤタガラスとは

さて、本題にはいりますが、このヤタガラスというのがなんとも不思議な存在なのであります。

古事記においては、高御産巣日神によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラスで、一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっています。

古事記はフィクションですが、正史である日本書紀(これがノンフィクションとは到底言い難いですが、こちらは正史ですので...)にもこのヤタガラスは出て参ります。
ただし、唯一の違いは、日本書紀では、天照大御神(日本書紀では天照大神と表記)が、遣わしていることくらいで、要するに正史にもしっかりとその存在が記されております。

「八咫烏」と表記されています。
※日本書紀では頭八咫烏(ヤタノカラス)と表記されています。

ですが、実際、カラスが道案内したということは考えられないでしょう。

この設定はなにかに似ています。

そう、八俣の大蛇ですね。

「八」がついています。古代。というか神話の時代で「八」というのは「八つ」ではなく、「沢山」という意味はあることはここで何度も記しましたね。
「八百万の神」も800万柱の神ではなく、また、オオクニヌシさまの兄たちを「八十神」と言っているのも80人の兄がいたわけでなく大勢の兄という意味です。
その「八」です。
※八俣の大蛇は「8つ首」があるということですが、この物語自体は「斐伊川の灌漑工事」のたとえ話ですから、そう考えていくとヤタカラスもなにかのたとえでしょう。

また、大事なのはこのヤタガラス登場の前後で、この直前に高倉下(タカクラジ)というひとが、夢に天津神が出てきて、剣をイワレヒコに届けるように命じます。
その剣をイワレヒコに届けるとそれを持ったままイワレヒコは深く長い眠りに入り、そこで、高皇産霊尊(日本書紀ではアマテラス)から、ヤタガラスに着いていくように沙汰があります。
筆者は顕かにこのふたつの話はセットだと考えます。

ここで大事なポイントになるのが「布都御魂剣」(ふつのみたまのつるぎ)です。

イワレヒコが中つ国で苦労しているので、アマテラスさまは建御雷之男神(タケミカヅチ)に援護を要請しますが、タケミカヅチは自分が行くまでもなく、既に国譲りの際に、中つ国を統一した剣があるので、それを遣わせましょうと言ってタカクラジ経由でイワレヒコに託したのが、この布都御魂剣です。

なるほど!
って思う反面、筆者は最初に古事記を読んだときからも疑問だったのが、あれ、ニニギさまは三つの神勅と三種の神器をアマテラスさまから託されて降臨した筈なのです。その三種の神器の中に「天叢雲剣」、ようするに草薙剣があるのです。

なぜそれを使わなかったのかってことなのです。

それには秘密があります。

それは、「天叢雲剣」は、前述「八俣の大蛇」の際にスサノオさまが大蛇を退治した際に尻尾から出てきた剣で、その後、スサノオさまからアマテラスさまに葦原中つ国の忠誠の証として献上されているものですね。

どうして、その剣を遣うことをしなかったのでしょうか??

筆者はここは結構大事な箇所だと思っています。

大事なことは、なぜ、ヤタガラスの前にわざわざ、フツノミタマを登場させたのか。
そして、そこで、タカミムスヒ、もしくはアマテラスを登場させているのか。
そう、ヤタガラスがポイントなら、ヤタガラスだけで良いはずなのですね。
それをまわり口説く書いた理由は一体なんなのでしょうか。
それは、さきほど来、述べているように、この箇所では、ヤタガラスはどうでもよいのです。

要は、イワレヒコがどのように立ち直ったかなんですね。
だから、カラスの必要はないのです。

しかし、敢えて、筆者はここはカラスにしたのかもしれないのだと憶測しております。

どうしてカラスなんだろうという方に興味を寄せている、そちらに注目させて、重要なところに気づかれないようにしたのですね。


今回の結論として、既にご存知のように、ヤタガラスは、カラスではありません。
恐らくは、鴨(加茂)氏です。
これは略、定説です。
但し、鴨氏だけでなく、これ以降に色々な熊野の国津神が出て参りますが、大事なのはこっちの方で、この国津神が、後々、皇室を支える豪族の祖先なのであります。

そして、フツノミタマ。

なぜ、「天叢雲剣」を使わないどころか、その後、倭建命が出てくるまで、全くこの三種の神器に関しては触れることがありません。

それは、また、別の話になりますが、先に申し上げておくと、それは、大和と出雲の関係性なのです。
そう、国譲りで出雲が表舞台から消えていますが、実は真実はもっと混沌としているのです。

つまり、この「神武東征」は、単に、ニニギさまの子孫が、九州からやってきた。
なんて、簡単なことではなく、とても重要な箇所なのです。

だから、記紀に大きく取り上げられているのです。



今回はこのくらいで、次回につづきます...