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北緯33度線上に位置する古代九州ティルムン文明

2024.08.21 07:40

http://blog.livedoor.jp/kodaisi_/archives/51822564.html 【北緯33度線上に位置する古代九州ティルムン文明】より

『北緯33度線上に位置する古代九州ティルムン王国』

 契丹古伝によれば古代九州のティルムンには東大神族(シウカラ族)がいたとあります。

略してカラ族と呼ばれ広くメソポタミアからエジプトに至るまで黒目黒髪の黄色人カラ族がシュメール、エジプト、インダス、長江文明を築き上げた歴史が記されている。

しかし紀元前2,000年のエジプトは白人種の台頭で黄色人種カラ族は追われミノア文明を地中海に造ります。

この紀元前のエジプトや地中海クレタ島のミノア文明の未解読の文字が日本の古代文字だったのです。

共に九州の豊国文字と北海道異体文字の複合文字で解読されます。

黄色人種のカラ族はコーカサスで発生したコーカソイド(白人種)のアッシリアなどの帝国主義の奴隷になり逃れてティルムンのある東方を目指します。

ちなみに聖書の出エジプト記やバビロン捕囚からの解放などの出来事は白人支配から逃れる黄色人種カラ族の民族の記憶がユダヤ民族の歴史と重複したものです。

さて古代イスラエルが滅亡するときに預言者イザヤが示した『東方の約束された島々』を目指してユダヤ人はシルクロードを移動します。

一部はインド経由でドラビィタ族となり長江から海路で九州に。一部は陸路で韓半島経由で九州へ。

イスラエルから33度線を真東に来れば、古代の海路の中心であった長崎県五島に最初到達します。

そこの野崎島には、世界最大の人工立石(メンヒル)の王位石が彼らを迎えます。

高さは24メートルで、天井石が3m×4mという巨大さです。(写真参照)

さらに33度線を進むと雲仙岳、ここには日本最古で最大の前200年の支石墓(ドルメン)があります。

渡来民族の最初の移住地となります。

さらに東に進むと、阿蘇山の岩肌の切り立ったがけの下にある超テクノロジーの光化学現象を目撃する。

阿蘇の切り立った岩壁にまるでレーザーで鏡のように岩を磨いた凹レンズ高さ約1・5メートル、幅約3・4メートルの人工レンズがあり、それに太陽光が反射し焦点に立体の光球が出来て遠方からまるで小さな太陽のように見えるのだ。(写真参照)

地元では日中坊主と呼ばれる現象である。

アルキメデスのπの数式が発見される遥か以前にこの光学技術を持つ民族が阿蘇に存在したのである。

さらに33度線を辿れば創建15,000年の日の宮、幣立神宮が九州の中心地に現れる。

神宝とされる、五色人の面、ダビデの水玉、古代文字で書かれたヒフミ石板がある。

このヒフミ石板の文字は地中海ミノア文明やエジプト文字と同じ豊国文字の草書体です。

この豊国文字で書かれた九州の古文書の上書(ウエツフミ)には神武天皇以前の73代に渡る有史前の古代天皇が存在した九州ウガヤフキアエズ王朝の歴史が書かれています。

さて、幣立神宮を超えて33度線をさらに東に進めば伊勢神宮に辿り着くのです。

Fin

https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/898fe50b19c61bcca578fe07f52b6d27 【秋田物部氏のアヒル草文字】より

先週、また「秋田物部文書」の本を図書館でかりてきまして、そろそろ8月に入る夏の時期になると、なぜか、秋田物部妄想にスイッチが入ってしまいます…。

2014年の夏に秋田唐松神社へより、妄想ブログ書いてましたが、それ以来、梅雨明けのお盆近くになると秋田物部妄想をしてしまう。

2015年の8月もアテルイと物部氏の妄想し、暑い中、出羽神社(胆沢)に行ったのを覚えています。今回も、8月に秋田の方へ行く予定なのですが、(あくまで予定)

雄物川の氾濫をニュースで見ると、やはりこの川は昔から氾濫の多い川だったのだな、と思いました。

田んぼがーー!被害にあわれた方はいないようですが、無事の知らせを祈っています。

大変だと思いますが、どーも、九州と日本海の東北がリンクしているというか、地震でもそうだし、ほんとにシンクロしてしまうのだな、と痛感してしまいます。

秋田県には鉱山が多いのですが、荒川という川名があります。荒川は秩父もそうですが、福島、秋田にもあるように意外と聞く名前です。

銅や金も古代はとれた秩父なので、そのような場所に「荒川」とつける事もあるようですが、「荒れくるう川(あばれ川)」から由来しているのが定説です。

それが秩父夜祭の原点ですから。

物部氏も川の氾濫を防ぐ目的のように、三角形に結んで神社(特に鹿島神と香取神)

を置いたり、エジプトのナイル川を想像させるような話があります。

ナイル川も氾濫が多かったみたいです。

秋田物部氏は、日本海から鳥見山へ上陸。男鹿半島~雄物川流域に下っていきました。

雄物川は、生保川とも言ったそうです。

※秋田物部文書

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さて、秋田物部氏が占拠していた所で有名な唐松神社や韓服山というのは、「カラ」と読む。

このカラの由来は不明ですが、よく古代史に出てくるのはカラ族のことをさす。

妄想ですが、唐桑半島もカラですけど、なぜ「韓服」と書いて、「カラマツ」とよませたのか、以前にも書いてましたけど、九州の熊襲に関係すると思うんですね。

それが九州と日本海の安東氏や安部氏が似ているなあ、と思うのです。

「唐服宮記録」というのもあるように「カラマツ」といいます。武内宿禰は、東国征伐のさい、「東夷(ひがしひな)の中に日高見国有~」と言っている。

(日本書記)この冬に、、ヤマトタケルの東国征伐が始まるのですが、そのためか、気仙沼の唐桑半島の御崎神社には、日高見神社が祀られています。

後に仲哀天皇の熊襲征伐の途中に、天皇が崩御する。神功皇后、武内宿禰らは喪に隠し崩御したことを伝えずにいた。

この時、皇后がどうしたらよいか相談をした人の中に、秋田物部文書の中には武内宿禰の名はなく、物部膽咋宿禰(いくいすくね)(宿禰は天皇の臣下の敬称。)とある。

物部氏も三韓征伐に神功皇后と一緒に行動していた。

その熊襲襲来のときに、「自ら熊襲が服従」してきたとある。

クマソは「自ら(おのずから)服らひぬ」という事で「自服」という地名?になったとか。

服は捕虜の意味もあるようで、「服従する」服からきていると考えると、男鹿半島に降りた武帝は五色の鬼を連れてきた伝承がありますが、唐=韓から多くの奴隷(捕虜)を連れてきたとも考えられる。まつろわぬ民というのは、「服ろわぬ民」と書いたということも?

繋がりそう?まだ悶々としているのでわからない。まだ悶々としているのでわからない。

そういえば、クラとつく山名は非常に多いですね。闇、鞍、蔵、倉はみんな「クラ」ですが、その由来は、カラ族ということ。

しかも、そのカラ族は、「アヒル(阿比留)草文字」の神代文字を使用していたというのだから、物部氏らしいなあ、と思ったのです。

が、さっぱりこの文字がわからない。これは、そもそも声に出して読むもの?

アワ歌とは違うの?というとこからして、意味不明。なにか憑依してわけわからん状態で書いた感じ…。電気が走ったような文字。

都市伝説のような話では、失われたアークというものがあり、それを解読するのにアヒル草文字の読解力が必要だという・・・。(ホントカ)

しかし、私はこの物部氏の(一部だけのせます)を見る限り、完全なアヒル草文字でないような。よく似てますけど。出雲文字(イズモモジ)というのを見つけました。

※神代文字の事 http://kstn.fc2web.com/kamiyomozi.html

薩摩藩が伝えたアヒル草文字こちら(出雲文字)の方にも近いような。

真相は謎ですけど。いったい、物部氏は何を残しておきたかったのでしょうか?

まあ、知るすべもないですけど。それで、カラ族とは、韓国の意味ではなくて、ペトログラフが岩に記されているように、神代文字を記し、世界の創世に関わってきたかなり古い日本人という話です。クル族というのもカラ族と同じ?らしいですが、クルは子孫の意味があるそうです。

古代インドの文献に現れる、インド・アーリア人の一部族の名称ということで、この神話に、盲目の王様がでてくるんですね。ドリタラシュートラという王様なんですが。

クル族も弓の名人らしい。弓などの戦術を使った術を学んでいる話があります。

棍棒術とか出てくるのですが、鬼がもってる棒じゃね?その棒を武器にして中国では拳法として用いられたそうです。

インド~中国に渡った時に、戦術として武術と棍棒が用いられたような話です。

また、クル王の子孫は、盲目の王様を祖としている話。なんでインドで盲目なのか、わからないけど、この写真をみると、仙人だわ~と思うし、夢の国だし。聖なる樹みたいな。

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全然、まとまってませんけど。物部氏も葛西氏と同じ、三つ柏(葉)の家紋なのです。

破壊的な感じを受けるのは、こういう所で繋がるのだな。

それで、悶々としていているところで、面白いことがわかった。調べはじめると不思議と最後は、うまく?繋がっていくものです。

徳川家も三つ葉だったと思いますが、三つの葉や柏というものは、エジプトにもあるようです。

この写真は、エジプトの「ファラオ・アイの胸飾り」といい、「アイ」という意味に謎がありました。ファラオアイというのは、ツタンカーメンらしい。

面白いサイトをみつけたので、引用します。

「前九世紀のエジプトでティルムン(日本)以来の世界の王の証として大切にされてきた空艇は、かの有名なツタンカーメン王の時代に、あやうく欧米人の祖先によって奪われるところだった。しかし、この時代にエジプトに侵入した欧米人の祖先が、テーベの都を廃虚としたとき、一八王朝最後のファラオ・アイ(日本神話の高木神)はエジプトを脱出し、インダス文明の都モヘンジョダロに避難した。

そのアイがモヘンジョダロの謎の神官王として今に伝わっていることは、彼の法衣の文様がツタンカーメン王の墓室の壁に描かれたアイの服や、同じ墓室に安置された"黄金の牛"の表面に描かれた文様と同じ"三つ葉"マークであることからも確かである。このマークは、日本の神代文字で「アイ」と読めるからだ。

高橋によれば、中国の『史記』に「西周」と記された原日本人のエジプト世界王朝(一八王朝)は、アイ(高木神)の時代にその都をエジプトのテーベからインドのハスティナープラに移したという。

エジプト一八王朝の系図が古史古伝の一書、『宮下文書』に記された日本の天常立王朝の系図と一致することは何を物語っているだろうか。」

※「古代インドの神代文宇の三つ葉が物話る原日本人カラ族の謎の出自」より

へ~・・・・・・。

もう点がついてしまいますけど、唐松神社の護符が「愛子神」なんですが、愛宕神(カグツチ)と言われます。が、「愛」という文字は使っています。

けれど、アイとはよまず、「あやし」と読むので、ちと繋がらない。アイというのは、形にすると前方後円墳の様にみえます。ホツマツタエのオシテ文字のアイをみると、私には頭と胴体にみえる。首は、身体をつなげる重要な「気」ですよね。

これは丸と四角であり、前方後円墳を模していると思いました。

その古墳が、石舞台など、エジプトの蘇生=ピラミッドであることは言えますし、

頭(丸)と体(四角)を繋げる意味があって、前方後円墳の形があると思います。

物部氏が蘇生の呪術が得意だったことを考えると、物部氏のルーツがエジプトにあるのも

みえてきますが・・・。

まだ仰天話がある。先ほどの引用したサイトから。

「元は、日本というのは。「ジッポン」とよばれ、その語源が「ティルムン」という。

ティルムン→ティムン→ティプンからジッポン。

そのティルムンは、中国で「夏」として知られ、日本では「アソベ」の国として知られた「シュメール文明の楽園」であり、3500年前の大洪水を治めて夏王朝をひらいた「禹」は旧約聖書のノアのモデルとなった日本のウトナピシュティム(天御中主)だった。」

むむむー。

中国夏の時代は、紀元前1900年~1600年前の時代。

「夏」になると物部氏妄想が始まり、今回の洪水で九州と似ていること(アソベ=九州阿蘇氏or津軽)川の氾濫に禹に繋がっていると思ったこと。して、妙見信仰は天御中主だし。

秩父神社の親分神だし。その神奈備山が武甲山だし。ハワイからきている地層だし。

でも、三つ柏(葉)に破壊されているし。都市伝説みたいな話ですが、確かに、その「禹」という文字は、蜥蜴や鰐・竜の姿を描いた象形文字であり、禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれています。

海洋民族によって崇拝されていた神であるとされ、また、禹が伝わるミャオ族の住む地域で、顔は人で身体は魚の姿で書かれた土器があることから、ドゴン族のノンモだったり、

人面魚身:出典3.bp.blogspot.com

イエスキリストが魚のシンボルとされていることなど、ルーツは宇宙人(シリウス)やノアの末裔など、いろんな諸説があります。

※禹(ウ)は偏枯(へんこ)なり。

「山海経」より、人面魚身である。氐人(ていひと)は、禹は魚の形をした洪水神として信仰し、偏枯とは、そのような洪水神としての禹の姿を表す言葉。

画像:東北学院大学アジア地域文化研究所:公開講座(長江流域の古代文化)

なんだかな~。。雄物川の氾濫で、再び禹の存在に出くわすとは・・・。

神代文字が、世界の謎を解くカギであることは、よくわかります。

まれに、それが日本にだけ残されていることが驚きでもありますが・・・。

まあ、物部氏というのは謎な集団ですが、何かと興味深い人たちではありますので、

東北の物部氏をひろってみると、なぜか、アテルイとか大武丸とか、イタコや口寄せなどに繋がっていってしまうので、これからも興味深い話があったら、妄想します。

https://ameblo.jp/japmasa778/entry-12217638669.html 【抹殺された祖先"カラ族"の歴史】より

ティルムン(東大国)…古代天皇が世界を統治した、7

㊼以上の内容は、平安時代に編纂された日本の氏族の系譜を記した「新撰姓氏録」にもあり、「カラ(クル)族が日本人の祖先であり、支那、インド、中東、アフリカまで進出、活躍していた」としています。

㊽また、インドの古典「マハーバラータ」でも、太古、デカン高原に「カラ族の宮殿」があったが、アーリア人の侵略で廃墟と化したとされ、実際、モヘンジョダロは核戦争でもあったのではないかと思わせるほどの廃墟と化していることは有名です。

このように、「契丹古伝」が伝える超古代日本と世界の歴史は、その内容があまりにも通説とかけ離れているため、これまで欧米や支那の学者たちが流布してきた世界史の常識からは"トンデモ話"に思えます。

㊿が、「契丹古伝」によれぱ、日本人と契丹人の共通の祖先である「カラ族(クル族=シウカラ)」の歴史は、エジプト、シュメール、インダス、黄河の地を次々に侵略してきたアッシリヤ人、つまり、支那で漢人(あやひと)として知られる欧米系アーリヤ人の手で抹殺、改竄されてきたと考えられます。

51、私たちがこれまで学校で習ってきた古代の歴史、すなわち、

支那人、欧米人が流布してきた世界史(=西大国史観)は、

秦・漢帝国、ローマ帝国時代以前に、私たち日本人の祖先「カラ族」が、世界各地で文明を築いた事実を封印するための"虚構"であるというのが、「契丹古伝」に貫かれたテーマとなっています。

52、ところで、「カラ族」の起源は「ムー大陸」にあったという説もあります。一方、これと並んで、12000年前には大西洋上に「アトランティス大陸」があったとプラトンが唱えており、後年、ヒトラーも「ゲルマン民族はアトランティスを起源とするアーリア人である」と語っています。

53、ただ、もし「ムー大陸」と「アトランティス大陸」が同時期に消滅し、「ムー人」がユーラシア大陸の東に上陸し西に移動、他方、「アトランティス人」はユーラシア大陸の西(ヨーロッパ)に上陸し東に移動したとすると、カラ族による「東大国(ティルムン)」が世界統治していた事と矛盾します。

54、が、「ムー」は「アトランティス」より早く沈んだと考えると、「ムー人」を起源とするカラ族が世界展開の後、「アトランティス」の消滅でアーリア人がヨーロッパ方面から東に展開して「西大国」を作り、追われたカラ族は最終的に九州に都を置く「東大国(鵜芽葺不合朝)」を作ったとすると整合性が取れます。

55、が、「まえがき」でも簡単に述べたように、「"天孫降臨"は日本で行われ、日本が世界文明の起源」となって、超古代の源流日本人がユーラシア大陸とムー大陸を中心に東西に分かれ、西に展開した部族を「カラ族」、東に展開した部族を「クル族」と考えることで、竹内文書にある「天皇が16カ国に皇子を派遣していた」との記述にも符合します。

56、この仮説の傍証としては、天才物理学者の楢崎皐月が、昭和24年に日本の兵庫県で石器時代に書かれたという「カタカムナ文献」を発見、そこには宇宙の構造や科学技術、哲理などが書かれており、超古代の日本に高度文明があったと指摘しています。

57、この楢崎は、戦前、満州に渡り、吉林にある道院で道士である蘆有三から瞬間沸騰する茶釜を見せられ、「上古代の日本には"アシア族"という、八鏡文字を編み出し、特殊な鉄の鋳造技術等の高度文明を持つ人々がいて、それが中華文明の基礎になった」という古伝を聞かされています。

58、また、創建1万5千年の熊本県・日の宮幣立神宮の御神体「日文石板」は、炭素測定の結果約20〜30万年前のものとされていますが、そこには「豊国文字」で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されています。

59、ともあれ、以上のように考えると、私たちの祖先・カラ(クル)族が、かつて"一つの世界(王道のワンワールド)"として築き上げてきた壮大な歴史は、"アトランティス人"の末裔であるアーリヤ人(アッシリヤ人、漢人)の手で隠蔽され、捏造の歴史が流布されてきたという仮説が成り立つのです。

60、参照;「太古、日本の王が世界を治めた!(高橋 良典)」「藤原氏の正体(関裕二)」