100人のプロの19人目からのエール‼️
私の家の土手の砂利が大雨によって削れてしまいました。
私には変なこだわりがあるため…
削れてしまった砂利は同じものでなくては嫌なのです。
地元のホームセンターに行ったのですが、なかなか私が求めている砂利はなく、他の市町のホームセンターにも足を運びましたが、そこにもありませんでした。
なかなか見つかるものではないと思い、ネットで検索した所…
知立市に、私が求めている雰囲気のする砂利が!
早速!知立市へ。
伺うと、とっても気さくな店主のHさんが、丁寧に説明をして下さいました。
私が間違えて履いて来てしまったスーツ用の革靴にジャージというアンバランスな格好にHさんは、
「その靴おしゃれだねぇ」
とフォローして下さいました。
それをきっかけに、砂利以外の話に花開き「教育」へと話題は発展していきました。
私たちが今取り組まさせて頂いているインタビューの内容に共感をして下さり、Hさんに
「土建業のプロ」
としてインタビューさせて頂くことが叶いました。
◯子どもの頃の夢
「学校の先生」
学校を何度も転校していたことで、「学校」に対する思いがあまりなかったらしいのですが、小学校5年生の頃に担任をしてくれた先生がHさんの価値観を変えてくれたそうです。
担任の先生は、子どもたちに何が大切かを考えて指導して下さっていたそうで、夏休みなども先生と川遊びへ出かけたこともありました。
今では「責任問題」と言う観点からなかなか許されないことではあるのですが、それは当時も一緒だったと思います。
「規則」の中での活動は楽です。「規則」を決めた大きな組織がバックにある訳ですから…
しかし、自分なりに「正しい」と思ったことを貫くことは、並大抵の想いではできないことだと思います。
Hさんの中では「自由」を教えて下さった先生でした。
◯今の仕事に就いたきっかけ
「お父さん」
小学校を6回転校しました。
時代もあったとは思いますが、Hさんのお父さんはなかなかの方で、悪いことも沢山していらっしゃったとか…
そういうこともあっての転校。
しかしながら当時を振り返った時、お父様に対しての憎しみはないそうです。
お墓参りする際にも「有り難う」の気持ちでお参りをしています。
「その体験があったからこそ今がある」そう感じていらっしゃいました。
でも当時16歳の頃、
「このままではダメだ」
と思い、家を出てもっと世の中を知りたいと言うことから、日本全国を旅したそうです。
今までは…
「自分だけが大変な思いをしている」
そう思っていたのですが、
「みんなそれぞれに大変な思いをして、それを乗り越えているんだなぁ」
と気づかせてもらい、「自分だけじゃない」と言う思いに救われたそうです。
家を出た時に土建業のお仕事に就きます。
お父様も土建業をやられていたこともあって、その職に就いていきます。
目の前の仕事を一生懸命に取り組んでいきます。
21歳で今につながる会社を立ち上げました。
お父様の様々な影響から、あって当たり前なものも揃えることができなかったHさんを前にして、
「できない」
と言う言葉は、ただ自分がやりたくないと言う
「諦めの言葉」
なのだと痛感します。
そして、今の会社を続けることができているのは、Hさんの底知れぬエネルギーと共に痛みを知っているが故の深い優しさなのではないかなと、勝手に感じてしまいました。
◯今、自由に選べるとしたら何の仕事をしてみたいか
「冒険家」
お話を伺っていて、海外旅行や英会話の話がありました。
コロナ禍になる前にイギリスへ奥様と一緒に旅をする予定だったそうです。
イギリスをスタートとして、奥様と「世界一周」を企画していました。
コロナが終わり、チャンスがあればまた挑戦していきたいとおっしゃっていたその表情は、とても活き活きとしていました。
Hさんは奥様を「夫婦」の関係だけでは見てはいないそうです。
一番大変だった時に、一緒に乗り越えてきた「仲間」であり、共に歩み続けていく「同志」なのだと言います。
Hさんのお話に夢中になり過ぎ、汗も滴る猛暑に水分補給を忘れていたのですが、奥様がお茶を持って来て下さいました。
突然来た私たちに心配りをして下さる、ステキな奥様でした。
◯落ち込んだ時、どう乗り切るか
最後は家族。
悩むだけ悩むそうです。
そんな中、最終的にはご家族の存在が大きいと言います。
1500万円のダンプカーがパーになってしまったこともあったそうです。
「考え過ぎると良い考えは出てこない」
『貧すれば鈍する』そんな風に言われるように、考えたって仕方のないことは考え過ぎる必要はないのかも知れません。
一歩離れて客観的に見る視野は大切なんですね。
◯発達個性を持った子どもたちへのエール
「常に笑っている子はそれだけで凄い。
汚れがなく、純粋。
大人の方が不自由に感じる。
個性を出すと叩かれる。
日本人は同じ方向にしようとする。
それは違う。
心を遊ばせろ!」
硬い心をほぐしていくことで明日に繋がっていくとおっしゃっていました。
Hさん自身、仕事を忘れる時間を大切にしているそうです。
旅行に行った際は、木々を見て、温泉に入って、美味しいものを食べて…
様々な場面で深く呼吸されているそうです。
でも、仕事の時は何かに追われているわけで、呼吸が浅くなっていると…
私自身、意識をしていなかったのですが、確かにそうだと実感しました。
「〜しなければ」「こうじゃないと」
そんなことよりももっと柔軟に過ごせたら、、、
未来をもっと楽しく想像できるのでしょうね。
◯インタビューをして
「計算でやる仕事はうまくいかない」
この言葉はとっても印象深かったです。
利益を生み出すためには計算をしていかなくてはいけないもの。
しかし、この計算が邪魔になってくるのかも知れません。
「人と人との関わり」が中心だからこそ「心」が重要なのだと思います。
理想論に聞こえるかも知れませんが、「あながち理想論ではない」と言うお話を伺うことができました。
私の好きなお話です。
Hさんはコロナ禍になる前に、ご自分の車を売却しました。
自分の手元に200万円入って来たので、兼ねてより抱いていた地域の方への恩返しを実行します。
Hさんは、トラックが朝早くから出入りすることに地域の住民の方に申し訳なく思っておりました。
砂利を運ぶ時に舞う砂埃も迷惑をかけているなぁと感じておられました。
車を売却してできた200万円全額を使って工場近くの空き地でお祭りを企画します。
プロのサーカスの方々を招いたり、楽器の演奏を行ったり…
それはそれは大盛況だったとか。
お祭りも終盤に差し掛かった時、ある方が話し掛けに…
「これは全部あなたがお金を出しているのかね?」
「はい。普段、皆さんにご迷惑をかけているので、せめてもの」
「そっか〜。それは良い」
「有り難うございます」
「うちの仕事を引き受けてもらえんだろうか?」
「喜んで。私にできることなら。」
その後受注したのは2,000万円のお仕事でした。
Hさんに下心など一切ありません。
ただ、地域の方々が楽しんでくれれば!という思いでした。
結果として
「損して得取れ」
と言う状態になりましたが…
Hさんの「得」は「徳」のように感じます。
どんな相手にも丁寧に対応するHさんは、デジタルな世の中であっても「心」を大切にする方でした。