鶴亀山(剣山)
https://blog.goo.ne.jp/dome8008/e/2c0cf99fc9b6670d5a409fb54668ca52 【鶴亀山(剣山)】より
1955m、鶴亀山と書いて、つるぎさんと呼んでいたこともあるらしい。
剣山の観光パンフレットの頂上付近に、鶴岩亀岩が描かれている。
今まで気づかなかったが、少し気になり、場所が分からないかと調べて見た。
調べ始めると「ソロモンの秘宝」伝説が結構多く引っかかってきた。
面白そうではあるが・・・マユツバ?
場所が分からないまま、その岩探しに、剣山へ出かける。
剣山のリフト乗り場の人や、登山途中、草刈り機を担いだ方二人に聞いてみた。
剣山頂上広場の西斜面を少し下がったところにあるが、網の目のようにある登山道も、その岩のそばを通る道は一つもないらしい。
大分前には、頂上から岩の所に降りる道があったらしいが、今は消えている。
岩の下にトンネルが掘られていたらしいが、今は塞がれている、との事。
とりあえず、頂上広場に向かう。
途中、イシダテクサタチバナが咲いている(絶滅危惧種)
頂上広場には木道が設置されていて、一番西のルートをとり、三角点手前の木の広いテラスから西斜面に降りる。
昔の道かそれとも鹿の道か不明だが、少し辿ってみると、白い大岩。これかな?
その大岩から南方向を見ると、ちょっと不自然な石の並びが一直線にあり、その先にも大岩。(後で調べると、剣山観光推進協議会HPのミステリースポット鶴岩亀岩の写真と同じ光景)この石の列は上を歩けそうにもないし、横をたどって歩くにも笹が深そうなので、少し登り返して回り道。
突然鹿が飛び出してきて目の前を駆け抜けた。ビックリしたー!(そっちも?)
たどり着いた大岩から下の方を見ると、赤い屋根の大剣神社が見える。
この岩が鶴岩亀岩だろうか。今度ゆっくりとした時に、岩の下へ降りてトンネルがあるか調べて見よう。
頂上三角点から振り返って北方向。広い頂上広場。
左端に人が二人、黒い点に見えるところの、木道のテラスから降りてみました。
青線が岩を探して歩いたルート。
剣山から一の森へ。途中振り返る。笹原が良いですねー♪
笹原をよく見ると、網目のようにスジがたくさん見えます。鹿の通り道です。
次は花散策。目的のオオヤマレンゲ。少し時期的に遅いので花二輪、つぼみ一個。
右下の茶色は終わった花。鹿対策のネットに囲まれ、近づけません。(略)
https://ameblo.jp/333ahahaha333/entry-11897449865.html【徳島剣山は昔、鶴亀山たったのか~】より
個人的発見をタイトルにしてみました。笑わが地元の大國魂神社にも鶴亀石があるんですよ~
滝沢泰平さんのFacebookとお店のメルマガで記事になっていました~
そのうちblogでもアップあるのかもですが 取り急ぎ~♪ 勝手にシェアして 泰平さん
失礼オバッべーっだ!以下コピーです
こんにちは。“やつは”の滝沢泰平です。本日は2014年7月21日の月曜日、《“やつは”メールマガジン(NO.19)》をお届けします。
すでにFacebookをご覧の方はご存知かもしれませんが、今、メルマガを書いている場所は四国の徳島県です。
一昨日から人生初めて徳島県(阿波国)へと入り、昨日は念願だった剣山へと登頂して来ました。
剣山。かつて鶴亀山(つるきさん)と呼ばれたこの山は、地球で大洪水が起こる前から聖なる山として存在しており、ここには縄文以前より高度な文明が栄えていました。
また世界中の聖者の憧れの聖地であり、日本を目指した古代ユダヤ人も数多く剣山に訪れていたようです。
「剣山の中は空洞で神殿がある」という噂は事実であり、戦後にGHQは血まなこになって剣山を掘りあさり、神殿の発掘だけでなく、100体以上もの古代人の遺体を回収していったとか。ただ、彼らの目的の遺体は2つ。1つはモーセと呼ばれた古代ユダヤ人。
そして、もう一つは、イサヤと呼ばれた古代ユダヤ人。イサヤは後にイエス・キリストとして2000年以上経った今でも世界中で知られている人物。
「イエスは磔(はりつけ)で死んでなく、日本にやって来た」というのは、かつては都市伝説のような噂に過ぎませんでしたが、戦後のGHQも知っていたように、今となっては一部の人々の間では有名な話であります。
3ヶ月前にイスラエルでイサヤ生誕の地を訪れ、今日に日本で生涯を閉じた場所を訪れるとは…。個人的にキリストには様々な想いもあるので、イサヤの遺体発掘現場に手を合わせお祈りさせて頂きました。
そして山頂に着くと、今日は年に一度の剣山の山頂のお祭りの日で、ひょんな流れから突如お神輿を引っ張るお役目に任命されました。
いつもどこ行っても不思議な流れに導かれて思わぬ展開が待っています。
お祭りも無事に終わり、今回は目的の1つである古代人が残した秘密の鏡岩へ。
巨石を研磨して太陽光を自在に操っていた古代人。
その証拠となる日本一の鏡岩が剣山近辺には隠されています。
その反射力は、まさに驚嘆であり、手をかざせば肌の色だけでなく手のシワまで見えそうなほど。これを見て自然の岩と思う人もいないでしょうし、人工物でも今の文明では到底無理な加工技術です。
大洪水以前に存在していた古代人。彼らの身長は2.5mから3mほどで巨石も自在に操っていたとか。
それはさておき、いよいよ鶴(スサノオ)と亀(オオクニヌシ=ニギハヤヒ)がスベった剣山。
新生日本の夜明けは近いなり。
https://recotripp.com/spot/489/reviews/86104 【熊野本宮大社 2】より
この時にスサの人間が伝承でスサノオ(一族)になり全国の海岸の方にある神社はスサノオを祀ってるところが多い更にスサノオ一族は海洋民族とも言われてる
スサノオを祀っている神社が水害や津波に襲われても無事なことが多いのも合点がいく
スサノオもそうだけど神話は同じ神様が日本各地で登場する 何故か
それは役職だったり世襲名だったりするからで アマテラス” ”ヒミコ” ”オオクニヌシ”
はその代表でこれを”多次元同時存在説”と言います
このことから和歌山の熊野本宮に主祭神で祀られているのがスサノオというのが理解できる
とはいえ古事記でもでてくる出雲のほうのスサノオが本筋かと ヤマタノオロチ伝説も外せないしね
古代出雲という地は広く”丹波国”ぐらいまであり”越国”もまた関係性がある
スサノオは国を大和に譲るまではかなり広範囲で平定していた超権力者
国譲りはの神話はかなりの”密約”ではなかったのかと「裏に回るから表は任せた」
紀元前の大和は当時自然に覆われており山岳地帯で平野に住むより山に住んでる人ばかりだった このため言葉は統一されていなく山を越えれば言葉がちがう
ちょうどキングダムの山の民同士が言葉違うみたいな感じ てか楊端和ってもしかして卑弥呼か?w
古代はまだ言葉がまだ完成されていないからコミュニケーションが上手くとれない
そこで舞踊や演劇などで歴史を伝えたこれが神楽や浄瑠璃の始まりらしいです
そりゃ言葉だけじゃ思いを伝えれない
要は歴史やルーツを知らずして前には進めないしゴールは見えてこない なんてことないゴールはすぐ近くにあると思うほぼ全員の人が左から右に動く時間軸に囚われ右に進む
当然それを前だと認識するではなくて左も進めて時間を遡ることでインスピレーションが落ち逆に未来が見えるどうするかは多分 世界や日本各地に点在している遺跡を点で繋げればいい ワンピース見てたらわかるはず
亀は万年、鶴は千年=物部氏は万年、秦氏は千年 八咫烏と天皇 全ては歴史から読み取り
自分が進むべき道の解像度を上げていくもう水面下ではあの密約の期限は過ぎ 何千年の時を経て表に出てきてるかもですね ロマン爆発w