Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

「宇田川源流」 少々遅きに失した中村格警察庁長官の辞意は何故安倍元首相の四十九日まで行われなかったのか

2022.08.31 22:00

「宇田川源流」 少々遅きに失した中村格警察庁長官の辞意は何故安倍元首相の四十九日まで行われなかったのか


 8月25日、安倍元首相襲撃事件(暗殺テロ)を防げなかった責任を負って、警察庁の中村格長官が辞任を表明した。一応当時の二之湯国家公安委員長の指示により、検証委員会が発足し、その結果、「辞さんな警備で防げる襲撃を防げなかった」ということが明らかになったということが、この日に辞任をした理由であるという。

さて、安倍元首相の暗殺(このブログでは、暗殺で統一し、その事件に関してはテロであると断定して書いている)に関して当然に「テロリストに襲撃をされ、対象者である安倍元首相守ることができなかった」という結果をもって、本来であればすぐに辞任してもおかしくはない。また、動画がこれだけ存在しネット上に様々な角度からあふれてしまっている状況において、警察の怠慢は許されるものではないのである。

あえて「怠慢」という言葉をあえて使わせていただいた。あの動画を見れbわかるように、そもそも「事件が起きる」という前提の警備体制ではない。まさに「平和ボケ」でしかないということになるのであり、同時に、混沌の世の中に対応できる状況ではないということになるのではないか。あえてここにもう一度警備の何が悪いのかということを書くが、大体、「警備者が誰も傷を負わずに警備対象者が死亡する」ということは、許される状況ではないのである。はっきり言って、このような警備では外国の要人が来なくなってしまうのは仕方がないことであろう。

あえて言っておくが下記のような問題点が存在する。

・ 警備対象者を中心にした360度の警備が行われていない

・ 警備対象者の背後に自動車を置くなどの防御を行っていない

・ 警備担当者が現場で背後の警備を止めてしまっている

・ 警備対象者の背後へのテロリストの侵入を許した

・ 一発目の銃声の後、警備対象者を守る人がいない

・ 二発目の発砲を許した

・ 犯人確保が優先され警備対象者の警護が遅れた

 これ等の事が明らかになると、当然に警備員の教育から警備その者の計画、そしてその場における対応と、全てにおいて稚拙であったということになるのではないか。

警察庁 中村格長官が辞意 安倍元首相銃撃事件受け会見で表明

 警察庁の中村格長官は25日の会見で、安倍元総理大臣が演説中に銃撃されて死亡した事件を受け「警護の在り方を抜本的に見直し、新たな体制で新たな警護を行うために人心一新を図る」と述べ、辞任する意向を明らかにしました。

 先月8日、奈良市で演説中に安倍元総理大臣が背後から銃で撃たれて死亡した事件で、警察庁は、襲撃を未然に防げなかった当時の警備について検証を進め、まとまった結果を25日に公表しました。

 中村長官は会見で「警護の在り方を抜本的に見直し、二度とこのような事態が起こることのないよう新たな体制で新たな警護を行うために人心一新を図る」と述べ、国家公安委員会に辞職を願い出たことを明らかにしました。

 中村長官の辞任は26日の閣議で了解される見通しです。

 中村長官は1986年(昭和61年)に警察庁に入り、警視庁の刑事部長を歴任するなど主に事件捜査や組織犯罪対策に携わり、去年9月から長官を務めていました。

 中村格長官とは

 警察庁の中村格長官は、福岡県出身の59歳。

 1986年に警察庁に入り、警視庁の捜査2課長や刑事部長、警察庁の組織犯罪対策部長を歴任するなど、主に事件捜査や組織犯罪対策に携わってきました。

 また、2009年から2015年まで、民主党と自民党の2つの政権で合わせておよそ5年半、官房長官の秘書官を務め、政治に強いパイプがあることでも知られています。

 そして去年9月に、全国警察のトップ、警察庁の長官に就任しました。

 ことし4月、深刻化するサイバー攻撃などに対応するため、警察庁内に専門部局として「サイバー警察局」と「サイバー特別捜査隊」を発足させたほか、「経済安全保障室」も新たに立ち上げ、日本の先端技術が海外に流出するのを防ぐ対策などに重点的に取り組みました。

 安倍元総理大臣が演説中に銃で撃たれて死亡した事件について、先月の会見で「警察として警護警備の責任を果たせなかったものと極めて重く受け止めている。都道府県警察を指揮監督する立場である警察庁長官としての責任は誠に重いと考えている」と述べていました。

2022年8月25日 14時54分

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220825/k10013787091000.html

 中村格警察庁長官が直接的に何かをしたというわけではない。当然に、その場にいた警備担当者と、現場の警備責任者、そして警備計画を承認した奈良県警本部の警備課の問題である。しかし、彼らの内容を統括し管理するということが、奈良県警本部長の責任であり、同時にその奈良県警本部長尾を管理するのが警察庁長官の責任であるということにあれば、当然にその「管理責任」を問われることは間違いがないことである。

さて当然にそのようなことで「自分の行為が起因となった辞任」ではないということになるから、当然に予期していたことではない。当然に「日本の役所」としては、その天下り先を手配しなければならないということになる。ある程度の役職者を二人、この時期に天下り先を探すというのは、なかなか時間がかかるということになるのであろう。その為に時間稼ぎをしていたといわれてもある程度仕方がないということになる。もちろん本人はそのつもりはなかったかもしれないが、ある意味で「組織防衛」が先にあり、「国益」よりも「省益」を優先するというようなことになってしま。

さて、もう一つの問題は、この「守れなかった」ということが、「平和ボケ」の産物であるということ、つまり、「中村長官一人に問題ではない」ということに他ならない。要するに中村長官の管理責任を問うことに関して、組織内では同情論などが出てくるということになるのである。「あるべき論」であれば「すぐにやめるべき」というが、逆に言えば、組織全体が平和ボケになってしまっていては、当然に誰がやっても同じ結果になるのである。その意味では、同情論が出てくるので会うr。その平和ボケになってしまったことっも、中村長官一人の責任ではないということになり、社会全体の風潮の責任を一人で背負うことになるということになろう。

なお、今後この中村長官の辞任を受けても、組織全体が変わるとは思えない。もちろん、この担当者を変えても意味はない。マスコミは旧統一教会などに話をすり替えてしまっており、警察組織そのものをしっかりと追及することもしていないのである。まさに「社会全体が平和ボケ」になってしまい、その事件そのものも、テロリストを擁護し、襲われた側が悪いかのような風潮を作り出している。本来は、そのような風潮を諫めるところまで警察庁長官が主張するべきではないか。そのことができないことが、最大の問題なのではないか。

今回の事件そのものを総括するのは難しいかもしれない。しかし、9月のオンラインサロン「陰謀渦巻く世界情勢の中であなたが生き残る方法」(https://lounge.dmm.com/detail/2838/)では、今回の事件を特集しようと思っている。