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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

南北戦争7-トレント号事件南部と英国

2022.08.29 11:45

戦線が膠着状態になると南部連合が動く。元宗主国イギリスに南部連合の承認使節を送ろうとしたのだ。これは独立戦争のときに使った手で、イギリスは南部から綿花を大量輸入しており、経済上のつながりもあった。ところが南部海岸線は北部が海上封鎖しており、1861年11月8日英郵便船トレント号を拿捕した。

実は開戦前の5月3日に南部代表使節は英外務大臣ラッセル卿と会見していた。しかし駐英大使の抗議を受け、人的交渉はしないことになっていた。イギリスはこの戦争に中立宣言を出したが、ブルランの戦いの南軍勝利を受け、内戦の長期化よりも米国分裂やむなしとする空気が強かった。

英首相パーマストン子爵は、米国に釈放と公式謝罪を要求、戦争も辞さずとの態度を取る。米国北部はまた反英世論が湧き、英領カナダで反乱を起こすべしと騒ぐ。しかしヴィクトリア女王は戦争反対で、英国軍部も今の状況でアメリカと戦争できる力はないと進言した。

リンカーン大統領は「戦争はいっぺんに一つでいいよ」と言って、南部連合の使節を釈放し、使節はイギリスに無事到着した。しかしイギリスでは南部使節と外交交渉をすることはなかった。この経過で、イギリスは大統領リンカーンの現実的能力を認識することとなった。