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AIアートとAIイラストについて

2022.08.30 10:30

ライフワークでアート、仕事でクリエイティブ系(しかもここ数年はテック系メディアで様々な産業のAI活用を取り上げていた)を手掛けている身として、最近の制作界隈で議題に上がる事柄について少し考えてみることにした。



AIイラスト作成サービスの炎上


技術的に一般リリースの段階に来たAI活用による視覚表現方法は、アートAI、作画AIと呼ばれ「MidjournyAI」(以下Midjourny)、「StableDiffusion」、そして今回炎上したAIイラストメーカー作成サービス「mimic」(通称「例のAI」)等がある。


「Midjourny」はSNS等でUPされたファンタスティックなAIアートの視覚的な魅力や、呪文と呼ばれるプロンプトのキーワード入力の妙や、歌や物語をベースにした結果等、「面白いおもちゃ」として割と好意的に受け入れられている印象がある。私も先日実験的に使用し、本記事のビジュアルも同AIで作成した。


「StableDiffusion」も賛否両論あれど、ラフ画から細密な作画起こしなど、使い方次第で今のクリエイターの制作サポートや、ミクストメディアになるとは思うが新しい表現スタイルの可能性を感じさせており、アナログアートはアナログアートの魅力で生き残るだろう(共存)という声が出ていた。


美術史において、写真の登場で肖像画等の写実性重視から、表現とは何か視点を変え革新していった画家たちの様に、技術と表現の変化は常に生まれるものだ。


ところが「mimic」はリリース当日(本記事執筆の前日)から、感情的な否定の声がSNS上に多く上がり、現在はいくつかの意見の方向性が見えてきている。


沢山の人が心や頭や手を使って描いたイメージをキーワード等で学び、キーワードからイメージデータを組んでいく前述の「AIアート」は集合無意識を掬い上げるシュルレアリスムの様でもあり、フリーミアムで多数の人が「遊び」から入れる事も好印象の元だろう。


しかし「mimic」はサービスのローンチ時に、ウリとして「画風を取り込んでイラスト作画」すること、商用利用の示唆(サービスを使って作画したデータの販売)、運営会社によるデータ利用等を規約に掲げていたことが、多くのクリエイターのネガティブな感情を刺激した様だ。


画風を取り込んで作画することについては、あくまでサービス利用は作者本人がサンプル画を取り込んで作画利用する前提と、違反した場合は利用停止について記されているが、悪用のリスクの声が多数寄せられていた。

他者が気に入った作者の画像を無断でアップロードし、その作者風(画風)のイラストを作り販売する盗作に近い行為の危険性や、承認欲求から自作絵として発表するリスク等。ここを守る手立てが倫理感頼りで、技術的な対策が無いのがまず課題だろう。

(Amazon等で他者のデジタルデータをプリントグッズにした海賊版販売や、無断転載で憤る不満がココで吹き出している感もある)


また、絵を描く人間は膨大な努力の積み重ねと試行錯誤でそれぞれの画風や作画技法を組み立てているが、画風自体には著作権が無い。画風という努力の積み重ねを侵害されるリスクへの対応として、多くのクリエイターが「自分の作品を『例のAI』へアップ禁止」の声をあげている。


今回のサービスはキャラクター絵がメインゾーンで、大衆芸術的なくくりに見えるが、「イラストメーカー」という単語を使っているのも運営会社のリスクコントロール意識の低さが見て取れる。


そもそも「イラスト」の意味わかって使っているのか?問題だ。

理解してその言葉を使ってるなら、その使用目的の明確化が利用の都度必要なので、商用利用前に利用者も運営会社もそこを理解しているかどうかと、その項目の入力が鍵となる。

だが、イラストの定義を知らず、雰囲気で「マンガっぽい画風や、簡易あるいはデフォルメされた画風や、サブカル風モチーフ絵のことをイラスト」と呼ぶ人達がいる。今回の運営会社もそうなのではないか?という所感だ。


大前提としてアートとイラストは違う。(ファイン)アートとイラスト(レーション)の違いは、画風の差ではなく、目的の違いである。


イラストレーションは本の挿絵等、内容を分かりやすくしたり装飾したりと使用の意図ありきの視覚表現で、印刷されて潰れない描き方や分かりやすさのための要素省略等による画風の傾向はあったにせよ、作成内容は使用(掲載)目的により変わる。

今の高精度な印刷技術ではルネサンスの油絵の様なイラストも印刷可能になり、画風自体は実際はアートと見分けがつかないだろう。

アートとイラストの違いはざっくり言えば印刷目的(今はネットメディアも含む)で描く内容の伝達目的があるかどうか、印刷(メディア掲載)が偽物・コピー扱いでは無くそれ自体が目的(制作物)であることがイラストの目安となる。つまりイラストはメディアに載った状態が完成形なのだ。


逆にアートは、作者の自由意志に基づいた芸術的価値を専らとした表現が目的だ。

(○○の本の挿画やジャケットデザイン等の印刷・掲載の使用を目的としない。ただし結果的に追って使用されることはある)

画風がマンガ的であれPOPであれ、その一枚絵やオリジナルデータ(NFTの様に)が完成形なのがアートだ。原画やNFTの様にそのオリジナルに価値があり、画集やメディア掲載はあくまでコピーということになる。

(尚、画風の話で、ルネサンスの油絵風の画風のイラストレーションの例を出したが、逆はリキテンシュタインのコミック風アートやウォーホルの有名人のシルクスクリーン等、そして今日本のアーティストが世界に出やすい文脈もマンガ風の画風採用がある)


それで、件のサービスは「イラストメーカー」を謳う以上、AI作画は都度「イラストの使用目的」にそった作画内容を、本来なら実現しなくてはいけないのだ。でも現状を見る限り、キャラ絵の画風をサンプルから学びAI作画でキャラ絵を出力する形であり、掲載媒体や何を説明する図案なのか等の目的を折り込んでいない様だ。それでイラスト作画を名乗れるのか、定義からして成り立たないのではないか。


率直に言えば運営会社はサービス開発技術があっても、クリエイティブの基礎知識や思い入れが薄い危険性が高い。だからこんなにも多くのクリエイターのネガティブ感情を引き起こすサービスローンチになったのでは無いだろうか。

(WEB系の産業は若い業界の為、アジャイルな開発やローンチを優先し、物事の基礎知識や倫理的考察が薄いまま走るケースを多数見てきた)


AI自体は技術として使い方次第(工場の不良品チェックや危険防止策等、有効な活用法がある)なものだと考えるが、知識だけで無く、オリジナリティや芸術性など属人的で心(思い、感情)に関わる領域では、運用はセンシティブに調整しなければならないのである。


「例のAI」は日本発のサービスなので、最初につまづいて海外勢に遅れを取り、後に表現内容すら喰いものにされるより、今課題に向き合い前向きに調整し活かして欲しい。


ちなみに著作権の面で法的には、AIが研究・ラーニングの為に他者の画像を取り込むこと自体は適法の様で、その先の活用で他者の権利を侵害したりする行為はNG、といった感じだ。



課題解決に向けて前向きな提案


・制作者本人のみがサンプル画像をUP出来る仕組みを追加:拾い画等無断で他者の画像をアップロードする盗作行為やなりすましによる違法な商売を防ぐ。手間は増えるけどブロックチェーンの技術活用でNFTに結びつける等。ただその場合、定義としてはイラストではなくアートの領域にすべきだろう。


・著作権教育:ネットのマナーと防犯に加え、データの取り扱いの基礎についても子供の頃から教える。プログラミングやICT教育をするなら、技術の前の大事な意識から伝え、使う人の意識を高める努力を蔑ろにしない。


・キービジュアルの変更:mimicのネーミングは真似る・擬態するという意味なのでそのままでいいのか疑問が残るが、サービス登録上変えられないかもしれない。ただ、現在のキービジュアルのキッチュなトンマナの狸(化けた狸と対の構図含む)はブランディング上、変えることを提案する。まんま、化ける=盗作や偽物のなりすましのイメージだからだ。空と水面で水面下の世界が違うとか、デザインのトンマナをリュクスに洗練させる等、クリエイターが可能性を感じられるビジュアルも社会へのメッセージになる。



尚、盗作について、私自身も絵を盗作される経験は10代からあったし、最近もアートプロダクト画像と内容テキストを偽サイトに盗用されて削除要請や関係各所への報告や諸々対応した。予防策として私の絵の画像はネット上では部分のみアップか、全体像は低画質&クレジット入りとしている。

また、SNS映えの承認欲求で、若い子が他者の著作物を自作として転載するケースも多い様だ。オリジナル表現を目指すクリエイターとはベクトルが違い、自己顕示のためならネット上のデータは使ってしまうという哀しい人達もいるのだ。そこで先述の著作権教育が大切となる。

(基本クレジットの出ない広告業の中での「アレオレ詐欺」や内容の無断流用等の問題はまた別の機会に)


尚、余談になるが、こういったデジタルアートとの対比のためか、アナログのファイン系の中堅アーティスト界隈では、「絵の具を立体的にモリモリ盛ってアナログ感を出す」ことがトレンドというかビジネス的(アドバイス)に推奨されているみたいだ。元の画風の方が魅力的だと思う人達も、絵の具をあえて荒くモリモリ盛る画風に変えてきていて、それはそれでなんだか寂しいものである。



デジタルとどう向き合うかと、己が何をどう表現するかは、それぞれが考えていかなければいけないテーマだ。AIと表現、これからもそれぞれが考えて描いて進んでいこう。

Image by Midjourny