vol.19 久保田徹さん(21)【向き合う人③ミャンマー・ロヒンギャ問題に向き合う。】
慶應義塾大学法学部政治学科4年。クマ財団クリエイター1期生。ドキュメンタリー映画監督。民族とアイディンティティーをテーマに、社会の多様性を訴える作品を製作している。
ミャンマー・ロヒンギャ問題をテーマにしたドキュメンタリー”Light up Rohingya“は、国際平和映画祭でAFP通信賞を受賞するなど、大きな反響を得た。
ミャンマー・ロヒンギャ問題をテーマにしたドキュメンタリー”Light up Rohingya“
事前に久保田さんの作ったドキュメンタリー作品を拝見していたため、
同年代でありながら、どんな方なんだろう…と
待ち合わせの時間が近づくにつれ肩がこわばっていた私であったが、
「おはようございます。」
そう言って颯爽と現れたのは、爽やかで人当たりのいい青年だった。
◼始まりは、授業でたまたま見た一本のビデオ
今でこそロヒンギャを中心に、民族やアイデンティティーをテーマにした作品を精力的に製作している久保田さんだが、その原点はなんだったのか。
返ってきたのは、意外な言葉だった。
「2012年8月、高校2年生の時に留学先のアメリカで観たビデオがきっかけなんです。たまたま履修した授業で扱っていたのが、ロヒンギャ問題でした。」
実は、その2か月前の2012年6月、ミャンマーラカイン州南部でロヒンギャの男性が、仏教徒の女性をレイプしたのち殺人するという事件が起きた。
この事件は暴動につながり、同州都シットウェでは多くの死傷者が出たとともに、ロヒンギャが暮らしていた住居やモスクは破壊され、20万人近くが郊外の劣悪なキャンプに「避難」の名目で隔離された。
事件に直接関係のないロヒンギャたちが多数迫害されている。彼らの置かれている状況の悲惨さに衝撃を受け、久保田さんの心は震えた。
◼初めてのドキュメンタリー撮影。初めての難民との触れ合い。
大学に進学した久保田さんは民族、難民問題に意欲的に取り組むべく慶應大学の学生団体SALに入る。
大学一年生の時、シリア難民を主題にした作品をトルコで取材・撮影に参加する機会に見舞われたものの、納得のいく渡航にはならなかったと言う。
「映像の撮り方はもちろん、難民の方へ何を話せば良いのか、全く分からず…
取材対象者(難民)の方と信頼関係を築く努力をしなかったことを反省しました。」
その後、かねてから興味のあったミャンマー・ロヒンギャ問題に関する3つのドキュメンタリー作品の製作に携わった。
◼ドキュメンタリーでありながら、現地に赴かないことへの疑問。
団体の先輩が監督となり撮影した2つの作品はロヒンギャ問題をテーマにしていたが、それらは「日本にいるロヒンギャ難民*」に着目したものだった。
*群馬県館林市には約230人ものロヒンギャたちが生活している。
「もっと現地の声を届けたいと思いました。現地で必死に生きているロヒンギャたちの姿に目を向けて、彼らの声で、現状を伝えたいと思ったんです。」
そんな思いが募り出来上がったのが、“Light up Rohingya“だ。
久保田さんが初めて監督をつとめ製作した。
撮影のために現地に訪れた際に、この思いは、ますます大きくなっていった。
「排斥されて生きている彼らの姿を見たとき、純粋に伝えなきゃいけない。そう思いました。」
◼評価とは裏腹に…感じる無力感
この作品は、国際平和映画祭でAFP通信賞を受賞するなど、大きな反響を得た。
しかし、久保田さんは無力感さえ感じると話す。
「自分は映像で表現することしかできません。これは、ミャンマーの問題で、解決できるのは当事者、ミャンマーの土地で暮らしている人だけです。そもそもロヒンギャ達に敵意を抱くミャンマーの人々は見てくれませんから。」
◼撮りたいのは、ミャンマー人達自身が差別を乗り越えていく姿。
そのような思いを抱いていた久保田さんは、今新しい作品を撮影中だ。
「ミャンマーにいる、仏教徒、そして国民の大多数を占める民族であるビルマ人たちが、ロヒンギャ問題に向き合っていく様子を捉える作品です。
ロヒンギャとふれあう中で、彼らの考えが少しずつ変化していく様子を撮りたいんです。」
撮影中には、ミャンマーの仲間が強制送還されるなどの障害もあったが、彼は撮影の手を止めることはない。
現在作成中のドキュメンタリー
「正義感のある素晴らしい人間に真実を感じるし、それを描きたい。それ以上の理由はありません。」
ロヒンギャに敵意を向けることが多いビルマ人の中にも、差別・不条理に立ち向かっていく人がいて、そういう人に、勇気付けられてきた。
◼作品で、世界の分断をなくしていく
今は世界を見渡しても各地で同時多発的に「分断」が起きている。
それぞれの土地で生きている人間の本質を作品を通し描くことで
その分断をなくしていきたい、そう話す久保田さんの目はじっと前を見据えていた
ロヒンギャの子供たち
**編集後記**
インタビューを通して、久保田さんが作る映像は
数字やデータ、正確な情報を伝える手段としての「報道」ではないということを教えてくれた。
彼が撮る作品は、偶然性を持った人間の営みを捉えるいわばドキュメンタリーだ。
生の人間の声は時に人の心をぐっと捉える力を持つ。
一朝一夕で解決出来る問題ではないが、ロヒンギャたちの基本的人権が少しずつでも取り戻されていくよう願うばかりだ。